墓所名 | 大友親時夫妻の墓 | ||||
お墓の様子 |
|
||||
所在地 | 大分県豊後大野市三重町 久田3194(大楽寺跡) |
||||
〜コ メ ン ト〜 大友家第四代当主・親時の墓。親時は大友頼泰の長男で 文永・弘安の役の際には父・頼泰とともに博多に出陣し、 九州の諸将を指揮して蒙古軍と戦い武功を挙げた。父・ 頼泰のあとをうけて鎮西談議所頭人をつとめたが、永仁3 (1295)年、父に先立って死去した。この大楽寺跡にある 宝塔には刻銘がなく詳細は不明であるが、室町時代の 造立と推定されている。親時は「永仁3年9月に60歳で 死去し、中尾に葬る、大楽院殿道徳大禅定門と号す」 という記録があるので、この宝塔は大友親時夫妻の 墓と考えられているという。 (※親時の墓とされるものはすぐ近くにもある) |