墓 所 名 | 大友親時の墓 | |||
お墓の様子 |
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所 在 地 | 大分県豊後大野市 三重町久田3180 |
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〜コ メ ン ト〜 大友家第四代当主・親時の墓。親時は大友頼泰の 長男で文永・弘安の役の際には父・頼泰とともに 博多に出陣し、九州の諸将を指揮して蒙古軍と戦い 武功を挙げた。父・頼泰のあとをうけて鎮西談議所 頭人をつとめたが、永仁3(1295)年、父に先立って 死去した。尚、この中尾五輪塔は土地の人により 「虎御前」「腹太」などと呼ばれている高さ255cmの 巨大な五輪塔で、中世の五輪塔では大分県下 最大のものであるといい、この近くに親時の菩提寺と 推定される大楽寺跡があることから親時の墓と 考えられているという。また、この塔がある場所は 「殿様道」と呼ばれる旧道であるという。 (※親時の墓とされるものは大楽寺跡にもある) |