湯田中


長野電鉄(山ノ内線) 昭和2年開業:平成18年配線変更により廃止



そのルーツとなる「河東鉄道」の名の通り、 千曲川の東岸に位置する地域と、 長野、屋代を結ぶ長野電鉄。 中でも、昭和2年に山ノ内線として開通した信州中野〜湯田中間 7.6kmは、志賀高原への観光路線として発展し、 現在では、電鉄本線としての地位を得るに至っている (一方、当初のメインルートでもあった信州中野〜木島間が、 平成14年3月末日を持って廃止されたのは、記憶に新しい)。
一方、この区間は、最大33〜40パーミルの急勾配と、 半径200mの急カーブを有する、全国的にも珍しい 山岳路線であり、 終着駅の湯田中も、駅直前まで40パーミルの上り勾配が続くために、結果的に 「ミニスイッチバック」とも言える奇妙な構造が出現することとなった。

右下のマップを見ていただきたい。駅(ここも5パーミルの上り勾配である)の すぐ先に踏み切りがあるため、充分な構内スペースを確保することが出来ず、 3両編成を超える下り列車がそのまま停車しようとすると、 急勾配の本線上にお尻がはみ出すか、 踏み切り上に頭が飛び出すか、どちらかになってしまう。 そこで、一旦、踏み切り上まで前進(約半両分)してから、ポイントを切り替えた上で、 後退し、ホームに入るような方式が採用された。
一方、信州中野に向けて発車する場合は、やはり一旦、踏み切り上に後退した後、 ポイントを切り替えて本線上に出て行くことになる。
昭和32年製造の特急2000系(3両編成)や、 かつて国鉄から乗り入れていた直通急行電車は、必ず発着時に、上記のように動作を 伴うことになるが、2両編成の列車(現在も設定されている)では、 折り返しは行われていないと思われる。
ということは、必ずしも、駅の設立当初から、こうした運転形態が行われていたわけではなく、 あるいは、上田交通の別所温泉駅的に平坦な留置線として使われていた部分の線路が、 列車の編成増によって、現在のような用途になったのかもしれない (なお、現在、主に使われているホームは、下り列車に対して右側の2番線だが、 当初は左側の1番線だったと思われる。両者はシンメトリカルな構造を持っている)。
信越本線の旧熊ノ平や、黒部峡谷鉄道の鐘釣などに採用された折り返し型配線を 片側だけにしたような、このミニマムサイズ・スイッチバック。 ほんの10メートルほどの折り返しだが、 この駅のチャームポイントになっているのは間違いないであろう。
「全国鉄道事情大研究」(川島令三氏著)によれば、 スイッチバックの解消を軸とした、駅前再開発の計画があるようであるが、 モータリゼーションの影響で、すでに志賀高原へのメインルートではなくなった 駅前の静けさを見ると、ここしばらくは、同じ光景が続くような気配である。
*写真は、すべて平成14年3月31日撮影。
上段見出し写真は、湯田中駅を発車して、すぐ40パーミルの下りに 差し掛かる2000系特急。平坦な引き上げ線と比べると、谷底へ落ちていくような 急勾配である。
下段1段目左写真は、上段とは逆に、上条方向から構内を臨んだカット。 到着した2000系は、これから手前にバックして停車する。
2段目左は、ホーム上に吊り下げられた古い駅標。書体が年代を感じさせる。
2段目右は、1番線側の本屋。建物の年代等から判断すると、以前はこちらが 正面口だったのであろう。それにしても、木造の良い雰囲気の建物である。
3段目左は“問題の”踏み切り。 ただ、実際に現地で見ると、10メートル程度の距離なら、 必ずしも踏み切りを移設できないほどの地形とも見えず、 なぜその労を惜しんでまで(?)、 こんな面倒な運転形態を選択したのか?――という疑問が湧く。
3段目右は、構内のさらに奥、終端にある留置線。構内から続いてきた5パーミルは、 ここまで来て初めてレベルを示す。




★“ロマンスカー”と入れ替わりに平成18年8月31日――湯田中ミニスイッチバック廃止!!
平成18年10月より、新型1000系(小田急の旧ロマンスカー10000系)による特急「ゆけむり号」が、 長野〜湯田中間に運転されるすることになったが、それに伴って(1000系は高運転台ゆえ、スイッチバックによるバック運転が危険と 判断されたからと聞く)、湯田中駅の改良工事が行われた結果、ホームの1面化と共に、スイッチバック構造も消滅した。
旧1番線側の木造駅舎(国の登録有形文化財)が、隣接する町営温泉施設と共に生き残ったのは嬉しいことだが、かなりノッペリした終着駅に なってしまった感は否めない。

再開後、早くも清水氏より、現状の湯田中駅の終端部の近況が寄せられた。この場で感謝を申し上げる。
「頭端式バリアフリーホーム(?)」風のコンクリートの塊は、 “なにが突っ込んできても、道路を邪魔させないぞ!!”とばかり、威圧的に立ちはだかり、 後方に見える留置線の跡は、例によって1年も経たずして、草むらになっていることが見て取れる。




※国鉄乗り入れ時代、スイッチバック廃止後の写真募集中!


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