呼野
日田彦山線 大正4年開業:昭和58年配線変更により消滅
城野〜香春間に敷設された小倉鉄道の途中駅としての起源を持つ。
石灰石採掘で抉り取られた異様な山肌を臨む丘陵地帯に位置するこの駅は、
付近が10〜17パーミルの勾配区間となるため、折り返し構造が採用された。
このスイッチバック、日田彦山線からSLの姿が消えてからも、しばらく存続したが、
昭和40年代には、発着線上にあった上り列車用のホームが廃止され、
その代わり、勾配中に1面のホーム(2番線:現ホーム)を設置。
大半の旅客列車は、そちらを使用するようになったようである。
昭和58年の夏前後(後述:早稲田氏による)に、
翌年の日田彦山線CTC化を待たず、旧駅ホームを含む
スイッチバック施設は廃止。
その後は、発着線1本のみ保線車両の留置線として存続。
旧駅舎も、筆者取材時の平成5年時点では、まだ現役であったが、
「ラパン」1999秋号で、木船至樹氏という旅行ライターの方が――
「次の呼野駅で降りて驚いた。改札どころか駅舎もなく、
ホームと広場だけの殺風景な駅で、ホームの横には石灰石の山が並ぶ。
このあたりは勾配がきつく、
昔はスイッチバックの駅になっていたというが名残は全然ない。」
(特集:20世紀鉄道旅行より)――
との報告をされており、すでに歴史ある旧駅舎は消えているようである。
*写真は、すべて平成5年5月撮影。
2段目:右は、旧分岐点付近より。正面が、現ホーム。左下の旧駅構内に向けて、
スイッチバック名残の留置線が伸びている。
3段目:左は、旧駅構内の様子。旧ホームを降りて構内跡を横切ると階段があり、
それを上って現ホームに出るようになっている。
この頃は、まだ往時の様子を偲ぶに十分な雰囲気があった。
右は、旧駅舎。小倉鉄道時代からのものか?いずれにしても、相当な年代モノである。
4段目:左は、現ホームを通過する快速列車(キハ58系)。
この付近は、10パーミルの勾配となっている。
右は、引き上げ線跡。線路跡に沿ってきれいに植林されている。
●現役時代の呼野スイッチバック
早稲田功氏より、スイッチバック駅時代の
呼野の写真を提供いただいた。
SLブーム時点ですら地味な線区であった、日田彦山線だけに、
趣味誌でもほとんど見かけることのない、当駅のスイッチバック。
撮影は、昭和58年5月2日(4段目のみ昭和57年8月30日)というから、まさに廃止直前の姿である。
それだけに、幻のその姿を、最後の最後に捉えた涙モノの写真と言えるだろう。
*本線を採銅所方面に上がった地点から、見下ろしたスイッチバック全景。
同じく鉱石運搬を受け持つ「足尾線・間藤」に似たような雰囲気の構内である。
*スイッチバックで退避中の上り貨物列車と、本線を通過する下り貨物列車の交換。
なお、この時点でスイッチバックを行うのは、下り普通列車2本と、この上り貨物列車
1本のみだったようであるが、連休とは言え、貨物列車の短編成ぶりは痛々しい。
そして、翌年2月のダイヤ改正で、石原町以南の貨物列車廃止に伴って、
当駅のスイッチバックが廃止される憂き目に遭うわけである。
*石原町方面から、スイッチバックと本線の合流地点を臨む。
当駅は、新設したホームの関係で、
上り列車に対する出発信号機が本線上にも設置されており、そのため、
腕木式の信号機が林立するという、珍しい光景が見られた。
*ホームから下り列車を見送る駅員の姿。画面右に、使われなくなって久しい旧上りホームを
臨むことが出来る。
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