本川内


長崎本線 昭和18年信号場として開業(昭和27年駅に昇格): 平成14年3月配線変更により消滅

諫早から長崎を目指す、長崎本線の最終コースは、 喜々津から新旧の二手に分かれる。 そのうち、大村湾沿いに進む旧線側の山越え区間に 存在するスイッチバックの停車場。
シザースクロスを中心に発着線・引き上げ線が1本ずつ 配置された、非常にシンプルな構造であった。
この配線のお陰で、旅客駅でありながら、上下の旅客列車が 交換のために、同時に発着することが出来ない (つまり、交換する場合は、必ず片側は「通過」となる)。
そのため、単線時代は、 当駅を通過する各駅停車が数多く設定されており、 あくまで「客扱いもする信号場」的な駅であったと言える。 しかし、昭和47年の新線開通以降は、 この区間が、実質、複線分のキャパを持つことにより、 極力、各停同士の交換が、当駅で起こらないようなダイヤ作りが、 されているようである。
小ぶりながら楽しい汽車旅のアクセントとして親しまれてきた当駅のスイッチバックだったが、 平成14年の3月23日に行われたJR九州のダイヤ改正に先立ち、 3月9日に勾配上の新ホームへと切りかえられた。
なお、当駅と同じく峠越えの交換用信号場をルーツに持つ、 土讃本線の新改や坪尻も、当駅と同様の構造である。
★現役時代のスイッチバック風景。



*写真は、すべて、上滝徹三郎氏より提供いただいたもの (撮影は、平成元年12月)。 直進する本線から、なだらかに分岐する、 2本のスイッチバック線が描くフォルムは、 こじんまりとしながらも、バランスの取れた プロポーションを見せてくれていた。
★廃止直後の現地報告。


*長崎県在住のNAKAMURAさんより、スイッチバック廃止直後の画像を提供していただいた。 同氏によると「新設ホームは本線上に5両分の長さで、大草側は踏み切り に接するように設置され、長与方面に向かって伸びています。勾配による 傾きの差はありますが線路1本分移動しただけという位置です。 新設ホーム部分の勾配は本来の20/1000を半分に緩和したため、長与側 のホームはずれより約300Mの区間を盛りあげて25/1000にしています。今 年1月より、列車の来ない夜中に少しずつ盛土し、バラストを積んでいっ たように見受けました。踏み切りより大草側はそのままで、クロッシン グは未だ残されています」とのことである。
★そして3ヶ月が経ち…


*同じくNAKAMURAさんより、スイッチバック廃止約3か月後の(6月2日) 同駅画像をいただいた。「付近は田植えの真っ盛り。 列車は普段は2連ですが、高校総体のため臨時に4連となっていました」との報告。
すでに使用されていない引き上げ線が未だ健在なのは嬉しいが、 早くも草生し「屍」的な様相を示してきているのが、なんとも切ない。
★平成19年夏、廃止後5年経った本川内の姿。

*本川内の近影を紹介する。かつての駅舎はもちろん、本線とのクロッシングポイント部分、 旧駅発着線含めて、すべての線路が廃止時のまま残っているのが嬉しいが、
5年間、車両が踏み込むことのない 引き上げ線の“緑化”は見事で、やがては錆付いた線路の間から大木が生えることであろう。


★平成20年撮影の本川内近影。

*H.N.ETOUさんより送付いただいた、本川内の近影である。掲載が大変遅くなってしまったが、お礼と共にご紹介させて頂く。


▲「大草方から本川内(奥)と引き上げ線(手前)を見た写真です。
こちらの引き上げ線も、一枚目同様“緑化”が進んでいました。」(ETOU氏)合掌…!!

▲「旧ホームから大草方を見た写真です。レールがあるかどうか分からないほど草に覆われており、
所々に木のようなものが生えかけていました。」(同上)兵どもが…!!

▲「使われなくなった信号機同士の“睨めっこ”です。
おそらく手前が大草に向かう為の、奥が引き上げ線への場内信号だと思います。」(同上)
…にしても、通常はすぐに撤去される ポイントや信号周りが“一応”保全されているのには、正直、驚かされる。撤去費用の問題であろうか?
★★ついに登場!!蒸気全盛時代の本川内スイッチバック!!

*鉄道写真の大ベテラン・村樫四郎さんから、本川内の蒸気時代の写真を提供いただいた(撮影は、昭和44年12月)。
大俯瞰による上下貨物列車の離合風景(連続写真)。未だ遮る建物も少なく、道も未舗装だったりするが、 逆光に輝く線路が描く美しいフォルムは、確かに本川内である。








※蒸気時代、及び廃止後の現状写真、募集中!


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