滝見信号場


東北本線 昭和19年開業:昭和42年複線化により消滅



西岳信号場と同様、複線化時に廃止されたが、 この区間(小繋〜小鳥谷)の方が、複線化が遅かった関係で、 昭和42年の7月まで、存続した。
*奥中山と言えば、御堂寄りの大カーブの写真が有名であり、 小繋側は意外と題材にされていない。 しかも、峠にかかる両スイッチバック自体が撮られた写真は、ほとんど皆無と言って良いほどである。
滝見信号場も、筆者の記憶では、鉄道ファン誌の昭和41年5月号に掲載された、 内田真一氏の写真くらいしかない。しかも、この写真、引き上げ線上のC61がメインで、 構内の全貌は、ほとんどわからない状態。
よって、上図は、現時点までの限られた情報(線形決定に関しては、主に昭和23年撮影の米軍航空写真による) からの憶測に過ぎぬことを、ご了解願いたい。
★ついに発見!!現役時代の滝見信号場
*「幻のスイッチバック」としてこれまでほとんど写真を見ることの出来なかった当信号場の 写真を、茅ヶ崎市在住の青木一郎さんから提供いただいた。
すべて昭和40年7月24日撮影。


▲上野発青森行の21レ 急行「おいらせ」。すでに優等列車の一部にはDD51が進出していた。 信号場の建物に駅名票が――確かに「滝見信号場」である。

▲D51の重連(後部補機の有無は不明)で勾配を上る362レ。 小鳥谷側引き上げ線終端部近くの犬走りから小鳥谷向きに撮ったもの。
「これは120mmレンズですので、200mくらいの距離がありそうです。小鳥谷側引き上げ線の状況ですが、 (江上様の配線略図通りに)終端部へは少しの直線の後右カーブになってました。
犬走りを歩いていても木々に阻まれ、 本線は見えなかったように思いますが、終端近くで急に視界が開け、このような光景になりました」(青木氏)

▲D51の重連に牽かれ(後部補機の有無は不明)急勾配の本線を上る176レ。手前は小鳥谷側引き上げ線。

▲D51164とC60の重連に牽かれた、青森発上野行112レ。後方に小鳥谷側引き上げ線が見える。 なお、手前に見えるプラットホームは、10〜20mくらいの短いものだった模様。
「近隣の人用に乗降の便を計っていたとの旨の記事を読んだことがあります」(青木氏)

▲奥中山を越えて勾配を下るD51三重連 2181レ。小繋側を撮影したもの。手前は引き上げ線だが、この少し先で本線、 引き上げ線共にトンネルに入る。
※当時の写真及びデータ募集中! 


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