押角
岩泉線:旧小本線 昭和19年開業:昭和47年2月6日(?)配線変更により消滅
岩泉線の前身である小本線が、岩手和井内から押角まで延長された際に、貨物専用駅として開業
(釜石の製鉄所で使用する耐火粘土の積み出し駅として)。
その後、客扱い開始と共に、昭和22年に押角峠を越えた宇津野(現在廃止)まで線路が伸びた段階で、
スイッチバック構造が出来たと考えられる。
しかも、肥薩線の真幸に似た構造の、駅に一旦進入しないと先に進めないZ型のものであった。
しかし、
「停車場変遷大事典」によると、
昭和47年2月6日、浅内〜岩泉間が開通し
「岩泉線」と改称した時点で、
当駅の手荷物及び小荷物の扱いを取りやめ、
単なる旅客駅となっている。
このことから、この時点で無人化と同時にスイッチバック設備は廃止
されたと思われる(※)。
30パーミルにもなる急勾配の
線路をそのまま直結させた地点に作られた、
小さな板張りの新ホーム。
現在では、一ヶ月に数人の乗降客しかいない、究極の「秘境駅」であるが、
この押角どころか、岩泉線自体も、常にJRの廃止路線予定リストの上位に入る現在、
すべての痕跡が、自然に還っていく日も、そう遠くはないのかもしれない。
※
なお、この推測が正しいと、筆者がこの研究を始める
きっかけともなった、宮崎繁幹氏の「日本のスイッチバック」
(キネマ旬報刊「蒸気機関車」収録)にある
「岩泉線:押角スイッチバック」という表記は
間違っていることになってしまう
(つまり、「小本線:押角スイッチバック」としか言えなくなる)。
―――この点について、宮崎氏御本人から「件の記事は、最初に
『早稲田大学鉄道研究会の機関誌』に掲載されたもので、
その時点では小本線だったものを、キネ旬からの依頼で
転載した折に、単純に線名のみを直してしまったミス」との
報告を受けました。感謝及び恐縮すると共に、氏の業績なくして
このWEBはできなかったことを、改めて明言させていただきたい。
●スイッチバック時代
*Z型という珍しい形態の割に、その姿を見ることのない、幻のスイッチバックである。
筆者としては、当初、竹重達人氏の書かれた「ローカル鉄道の旅」(産能短大出版部刊)で、
小本線時代の記述と写真に出会えたのが、唯一であった
(4段目の左写真が、その本から転載させていただいたもの)。
しかし、ついに決定版とも言える、当時の写真を入手できたので、
ここで紹介させていただく。撮影は、大石和太郎氏
(全国のSLをムービー&スチールで隈なく撮り歩いた大石氏は、
新幹線の最初の運転士ということでも知られる方である)による。
昭和44年、小本線時代に撮られたものであるが、それにしても、「秘境駅」と
化してしまった現在とは、同じ駅とは思えぬほど、堂々とした光景である。
なお、氏が16mmで撮影した、雪の押角スイッチバックを力行するC58の姿が、
「幻の映像:蒸気機関車(前編)北海道・東北」(発売:東芝EMI)に収録されている。
これぞSLと言える、凄まじい迫力である。興味のある方は、ぜひ見ていただきたい。
●スイッチバック廃止後(国鉄時代)
*昭和56年頃に、府川泰氏が撮影した、
廃止後の新ホーム付近の状況。
上段右の写真に写っている小屋は、
前述の、竹重氏が撮影したスイッチバック時代の写真にも見られるが、
その後しばらくして壊されてしまったようで、現在では見ることが出来ない。
それ以外は、現在とそれほど変わった感じではない。
山奥に置き去りにされたことが、痕跡保全には、幸いだったとも言えるだろう。
但し、よく見ると、例えば、ホームの背もたれ部分が、
この当時は木造であった(現在は鉄製)とか、
細かい変化を見出すことは可能である。
なお、旧駅跡が、この当時から鱒養殖場として使われていたかどうかは、
この写真からは、定かではない。要調査である(昭和57年発行の
「全線全駅鉄道の旅2:東北2800キロ」には、すでに「駅前には和井内養鱒場があり、
年間を通じてマスの養殖と取り組んでいる」と記載されている)。
●スイッチバック廃止後(JR時代)
*平成11年10月末撮影の、現在の押角の様子である。
上段は、現ホームを発車する下り一番列車の姿。手前のスイッチバック線跡が、
雨に濡れている。物悲しい景色である。
下段は、峠の国道から、現ホーム付近を俯瞰。
もし、スイッチバック時代に、この地点から、押角を見下ろしたら、
どんな光景が見られたのであろう?
落ち葉に埋もれてしまいそうな、脆弱な線路を眺めながら、そんなことを
考えていた。
※なお、この訪問の折に、筆者本人による現地調査を敢行!!
その模様は、クリッカブルマップを多用した
「“幻のZ型スイッチバック”押角ルポ」
で紹介!! ぜひ御笑覧あれ!!!
※
岩泉線の岩手刈屋に実家がある「ヤベッチ」さんより、8年前(上段左)と、
最近の(上段右&下段:なんと、旧駅のホームが、草むらから姿を現わした!!)
押角駅の風景が寄せられたので、ご紹介したい。
上段は、ほぼ同アングルから撮ったものである。
筆者が現地調査したときは、ほとんど自然に還ってしまったように見えた
本線側のホームであったが、こうして見ると、かなり完璧な形で
残っていることが分かる。
さらに、ホームの反対側で、筆者が見かけた「1956−11」の文字は、
こちらサイドにも刻まれているとの報告も入っている。
本線上から容易に貴重な「鉄道文化財」が見られることになったのは
真に嬉しい限りだが、一方で、この草刈りが、遺構の保全に
とって逆行するもの(整地の準備等)でないことを望まずにいられない。
★平成19年に入り、最大の遺構、消滅!!
あろうことか、スイッチバック時代のシンボルとも言えた横取り線(2段目の線路の名残)が、
本年に入って剥がされたことが発覚!! より「何もない秘境駅」としての完成度は上がったのかもしれないが、筆者としては非常に残念である。
以下、「京阪びわこ号」さんより提供いただきました最新映像……なんとも寂しい。
※スイッチバック現役当時(特に分岐部分周辺)の写真及びデータ募集中!
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