新府信号場
中央本線 昭和20年開業:昭和45年(?)配線変更により消滅
●昭和37年 国土地理院撮影
無断転載不可
第二次世界大戦中の輸送力増強を目指して、
中央本線の単線勾配区間に設置された、
簡易型(「戦時型信号場」と呼ばれる)のスイッチバック信号場。
函館本線の仁山信号場と同様に、行き違い施設は勾配中に設置されており、
上り勾配に向けて発車するための加速線としてのみ、
スイッチバック構造が存在した(下り列車が使用)。
その後、昭和47年9月10日に、信号場から駅に昇格し、現在に至るが、
スイッチバック自体は、同区間の複線化が完成した45年9月に、
廃止されていたと思われる。
*最上段は、昭和37年に国土地理院が撮影した航空写真である(原英俊氏提供)。
画面左(韮崎方面)から、Sカーブを描きながら穴山方面に向かっていく本線が見えるが、
本線より若干緩いカーブで左上方へと分岐している
加速線の姿をお分かりいただけるであろうか?
新しいバラストのせいか、加速線周囲が白く見えている(余談だが、この部分を辿っていくと、
仁山と同じように、加速線の途中から横取り線のようなものが分岐しているように見えなくもない
※これに関して現地取材をされた原氏よりコメント有り。要参照)。
なお、この写真をもとに、マップも大幅に修正を加えた
(但し「現状」のホーム&本屋の位置関係が不明ゆえ、
その点がいい加減なこと、ご了承願いたい)が、
興味深いのは、本線を挟んで、スイッチバックの加速線と線対称に位置する
上り側(下り勾配)の安全側線が、加速線に負けじと、かなりの距離を有する事である
(仁山も同様。当該ページを参照いただきたい)。これは、万が一の場合、下り勾配を暴走する列車を
減速させるために必要な距離ということであろう。
一方、下り側(上り勾配)の安全側線(航空写真からははっきりと確認できないが、
画面のさらに右にあるものと思われる)が、通常の小ぶりなものであることは想像に難く無い。
*以下写真5枚は、現在の駅風景を、上り列車の中から写したもの
(平成11年11月撮影)。韮崎寄りの駅構内はずれから、
右奥に向けて加速線が存在していたわけである。
筆者としては、穴山や長坂のように、保線車両の留置線として加速線が
生きているのではないかと勝手に想像していたのだが、
列車の中から観察した範囲では、
線路はおろか、言われてみなければ、
とても加速線があったとは思えぬほど、自然に還っている状態である。
*最下段右のカラー写真は、埼玉県の小林昭夫氏から提供いただいた
旧引き上げ線の跡地の現状(撮影は平成15年4月)。
筆者は列車の中から覗いた印象だけで、
「とても加速線があったとは思えぬ」と申し上げたが、実際は
このようにはっきりと路盤が残っていることが分かる
(画面右、複線となった現本線が、切り通しの間からチラッと覗く)。
手前に見えるのは、信号機の基礎であろうか?
コンクリートのブロックが、鉄道施設としての痕跡を今に留めている。
※原氏よりコメント 新府に関しての「横取り線のようなもの」ですが、
実は、今年のGW前半(奇しくも小林氏が訪問されたのと同じ4月)に
私も新府で下車して、加速線跡の状況を見てきました。
その時、加速線跡の築堤を歩いた際に、前記の分岐線跡らしき痕跡に気が付き、
これは当時からのものなのかと疑問に思いました。
そのときの感じでは、分岐点ではむしろ「横取り線」側にまっすぐ自然につながって
いて、
本来の加速線跡の方が、カーブしているように感じられました。(この状態は写真か
らでも確認できます)
で、私の考えですが、この「横取り線」らしき痕跡は開設当初の加速線の跡ではない
でしょうか。
その後、加速線の有効長を延ばす必要が生じ、写真に写るような感じに改良したので
はないでしょうか。
いずれにしても、この推測が正しいかどうかは終戦直後の米軍撮影の空中写真を取り
寄せれば、
解決できると思います。
※最新報告(平成15年10月現在)
上記の疑問に関して、原氏から最新報告が寄せられた。
「問題の加速線の“横取り線”らしきものに関してですが、昭和23年3月31日撮影の
米軍空中写真を取り寄せたところ、推測通り、例の横取り線方向の線路しか写っておりません」
とのことで、やはり、当初、直線に近い形で引き出されていた加速線が、
その後、延長される際に、(道路との交差を避けるためであろうことは想像に難くない)
本線に沿って、より強いカーブを描くように位置変更された
ということが証明された。
★ついに登場!現役スイッチバック写真!!(平成22年1月)
筆者的には、未だ一度も見たことがなかったスイッチバック現役時代の写真であったが、
この度、山梨県在住の内藤博氏からご提供頂くこととなった。
EF13牽引の客車列車の車内から撮影されたものである。本線の右側に整備途中の複線化用の敷地が見えるので、
まさには複線化=スイッチバック廃止の直前の光景である。
感謝の気持ちと共に、ここでご紹介させていただきたい。
「鉄道マンとして主に中央線で働いたことがあります。
偶々手許に新府停車場加速線にいる下り列車の写真がありましたので送らせていただきます。
昭和45年前後の写真だと思います。
ハーフサイズのカメラ、キャノンAE−1でしたので画像も荒く
ハレーションのおまけ付ですが参考になれば幸いです。客車の窓にも第二出発信号機の進行
現示が映っていますね」(内藤)
※現役時代の写真及びデータ募集中!
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