下牧信号場・越後大沢信号場


上越線 下牧(信)昭和19年開業:昭和22年電化により施設廃止? (信号場自体の廃止は昭和41年複線化による)
       越後大沢(信)昭和18年開業:昭和22年電化により施設廃止?



「日本陸運十年史」の中に、特に日華事変以降、北海道炭の陸送に対応するために、青森→長町 →水戸→田端のルートと、青森→秋田→長岡→高崎のルート上に、線路容量を上げるための信号場が 多数設置されたとの記述がある。 そして、これら信号場の中には、建設規定による従来の勾配制限(最大勾配10パーミル)を超える 区間に設置しなくてはならないものもあり、それらに関して、新たに設けられた規定が 「戦時型信号場」というものである (昭和19年1月25日運輸通信省令第5号による)。
これは、上り勾配線の下手に緩勾配の「加速線」を設けたもので、 上り勾配側の列車は、対向列車と行違い後に、一旦加速線にバックしてから、 再び勾配に向けダッシュしていくという、一種のスイッチバックである。

この種の停車場として、昭和19年10月11日、後閑〜上牧間(起点50km)に 設置されたのが、下牧信号場。
一方、それに先立つ昭和18年11月10日、 「上越線初のスイッチバック」として、石打と塩沢間に設置されたのが、 越後大沢信号場。
通常、左側通行を実現するためには、加速線は、 本線から見て、左後方に伸ばされるべきで、 「中央本線:新府」や「函館本線:仁山」等の同種信号場では、 それが実現されているのに対して、 上越線の両信号場では、附近の地形の関係から、 加速線が右後方に伸ばされているのが特徴。 構内配線から考えて、 おそらくこれらの信号場では、通常右側通行であったと思われる。

前者は、昭和41年7月20日の同区間複線化に伴って、信号場自体が廃止の憂き目に遭っているが、 その時点まで加速線が存在していたのかどうかは疑わしい(詳細後述)。
一方、後者は、昭和24年に旅客駅「大沢停車場」となり、 現在に至っているが、こちらに関しても加速線がいつまで使われていたかは、不明である。 電化時かあるいは、中央線の新府と同様に複線化時消滅のいずれかであろう (同区間の複線化は、当駅を境に、石打側が昭和41年9月25日、 六日町側が昭和42年9月13日となっている)。

なお、両スイッチバックの配線図は、 米軍が終戦直後に撮影した航空写真から解析したものである(下牧=昭和23年4月撮影/ 越後大沢=同年7月撮影:調査は兵庫県・原英俊氏による)が、 遠景ゆえ、駅本屋位置等ディテールに関しては、 一部想像の域を出ぬものということをご了解戴きたい。
参考写真は、同区間の電化直後(下牧を含む高崎〜水上間が、昭和22年4月1日、 越後大沢を含む石打〜長岡間が、同年10月1日=全線電化完成)ということになるが、 原氏の指摘によると、越後大沢では、加速線の線路が明確に見えるのに対して (以下、原氏により追加報告あり)、 下牧では、加速線らしき路盤跡は見えるものの、線路らしき姿が確認できておらず、 あるいは、複線化時ではなく、電化を機に加速線自体は廃止されていた可能性も高い。
※追加報告(平成14年11月段階)―――

上記の調査をされた原英俊氏より、最新報告が届いた。 以下に紹介させていただくが、 原氏の慎重なる調査態度には、筆者、いつも頭が下がる思いであると同時に、 自らの安易な考察(決めつけ)を改めようと、これもいつもながら心に誓うものである。

「下牧については、戦時型信号場であることを示した文献が、『日本陸運十年史』と その文章を引用した『国有鉄道百年史』以外見つかっておらず、後は航空写真からの推測のため、 ほぼ間違いないとは思いつつも正直若干の不安があります (この付近がそう勾配がきついようには見えないので)。 現地調査で確証を得ようと思っていたのですが、 結局今までそのままになってしまっております。
ただ、鉄道ピクトリアル昭和41年10月号の『各地だより』に 『姿を消した下牧信号場』 として簡単な写真レポートが載っているの を見つけました。それによればこの区間は複線化に際して、別線化(ショートカット 目的?)された模様です。 つまり、信号場の場所は現在の上越線上ではなく、わずかに山側に寄った地点という ことになります。 写真は廃止後の施設撤去中のもののため、それ以上の情報は得られませんが、スイッ チバックについては何も触れられていないことから、 存在したとしても廃止時期は電化時点だろう と考えています。
越後大沢についても、廃止された時期は同様に電化時点だろう と考えています。 以前の報告で、航空写真上で線路が見えると報告してしまいましたが、 改めて写真を見てみると線路があるかどうか明確に判定するのは この写真からでは難しいようです (仁山のような例もあるので、事実上使用しなくなってからも 線路が残されていた可能性はありますが)。」


※各信号場の当時の写真・構内配線データ捜索中!


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