間藤
足尾線(現わたらせ渓谷鐡道) 大正3年開業:昭和45年配線変更により消滅
大正3年8月に足尾から足尾本山に至る区間が開通した足尾線だが、
同年11月に、その途中駅として設置された間藤駅は、
26.7パーミルの勾配上に位置したため、スイッチバックとなった。
但し、旅客列車は間藤止まりだったため、スイッチバックを使用したのは、
貨物に限られたが、昭和45年、同駅の貨物営業廃止、無人化に伴い、
スイッチバック施設は撤去された。
廃止後は、勾配上に一面のホームを設置、
旅客列車はそこでの折り返し運転を行っている。
なお、足尾線は、平成元年3月29日をもって、
第三セクター「わたらせ渓谷鐡道」として再スタートして現在に至っているが、
足尾本山までの線路は残されているものの、
ここ間藤での折り返し運転が行われているのは、国鉄〜JR時代と変わりない。
無人化された当駅の旧駅舎は、長らく
老人会の陶芸作業場として使用されていたが、
新しい駅舎に建て替えられた現在も、「ゆとりいきいきセンター」として
陶芸教室や観光案内施設として活用されていることを、最後に付記しておきたい。
上記4点は、
昭和45年6月に撮影されたスイッチバック時代の様子である。
C12牽引の貨物が到着、足尾本山に向けて発車するシーン
(右隅に見える気動車は、この貨物列車が引き上げ線にバックしている時に
到着した列車と思われる)は、
小規模ながら均整のとれた、このスイッチバック駅の魅力を
見せてくれる。なお、この写真は、わたらせ渓谷鐡道(株)の方々のご尽力を通じて、
JR高崎機関区の青木氏より、ご提供いただいた貴重なものである。
この場を借りて、お礼を申し上げたい。
上の写真は、スイッチバック廃止から数年を経た、
国鉄時代の間藤駅の様子。左上のみ
谷嶋貴志さんのホームページ
「ようこそ!国鉄が好き!」
他の三枚は、「かわっぺ」さんの
「寂鉄・廃鉄・国鉄のホームページ」
より転載させていただいた。
この当時は、新ホームの谷側に、
まだ旧駅舎や旧ホームがしっかりと残っていた
(旧ホームから盛り土して、新ホームへ渡る構造になっている)が、
駅舎建て替えと共に、新ホームの高さで全体を埋め立ててしまったので、
現在では、スイッチバック時代の痕跡を見つけるのは
難しくなっているようだ(下段左写真の右手前に伸びるのが
引き上げ線跡だが、この辺りは比較的に手付かずで、
現在も、痕跡が残っている可能性があるのでは?)。
上記4点は、「思い出のローカル線」
の信沢あつし氏から提供戴いた国鉄時代の間藤駅全景である。
左上は、旧引き上げ線脇の高台より、その他3枚は、逆に旧発着線側の高台より俯瞰した
アングルで、スイッチバック廃止後とはいえ、往時を偲ぶに十分な
素晴らしいアングルである。
なお、スイッチバックの痕跡がかなり残っていること、
さらに首都圏色になる前の気動車(キハ20)が写っていることから、
先の谷嶋氏や「かわっぺ」氏よりも早い時期、
昭和50年代の前半までに撮られた写真と思われる
(
※
その後、昭和52年4月10日撮影であることが判明)。
右下写真で画面真ん中(本屋の向こう)に見える駅標は、
現在も残されているものであろう。
さらに、信沢あつし氏から同日・同地点で撮影のカラー写真をご提供いただいた。
旧塗装の気動車や付近の山肌の色合いなど、カラーならではの臨場感である。
モノクロ左上の写真と同じく、
旧引き上げ線脇の高台から、間藤から足尾方面に下りていくキハ20の二連(上り列車)
を捉えたものだが、驚くことに、引き上げ線の線路が一部残されていることが分かる。
この時点で、すでに廃止から7年近く経っていたにも拘わらず、
この付近は手付かずであったということは、あるいは、
現在でも雑草の中に錆びた線路が存在するのでは、
ないだろうか。いずれにしても、現地に行かねばなるまい。
左上は、たけやすすてーしょんの
「第13室:わたらせトロッコでGO!!」より転載させていただいた間藤駅の近影。
駅舎は、時計台付きの明るいものに建て替えられ、
さらに新旧ホームの間の凹地全体を、ホームの高さで埋めて花壇にしてしまったので、
駅全体の印象は一新されたが、
花壇の一角にある駅標(画面中央下に白く見える)は旧駅ホームにあったもので、
しかも位置もそのままと思われる。定点写真を撮る際の基準ポイントとなりそうである。
余談だが、上の信沢氏撮影の写真と比べ、
山が緑が取り戻しているかがよく分かる。
閉山からすでに4半世紀、
足尾の「銅」は、風景の色味の中からも、
すでに“遠くなりにけり”というところであろうか。
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