関山


信越本線 明治19年開業:昭和60年配線変更により消滅






妙高山麓を日本海に向かって下りていく途中、日本でも有数の 豪雪地帯に位置するスイッチバック駅。 松井田についで古い歴史をもつスイッチバックであったが、勾配中に駅施設を移動し、 スイッチバックを解消した。現在の駅舎の写真を見ると、どこかのペンションと 見間違えるほどである。

まずは、大矢真吉氏から提供戴いた、非電化・蒸気時代の当駅の写真を ご覧戴きたい。 すべて、昭和41年1月3日撮影のものである。
上段は、下り直江津行き列車が スイッチバックの駅構内に侵入してきたところと思われる。 中段は同列車の出発風景で、 引き上げ線へ後退していく様子(左端が本線)。 全面に白線が回り込んだ長野区所属機である。 下段は、上り長野行き列車の発車風景であろう。
それにしても、同線・松井田のスイッチバックとよく似て、 初期のスイッチバック駅が、いかに堂々と広々と設計されていたかが、 これらの写真からも伝わってくる。本当に素晴らしい。
*「鉄道ジャーナル」昭和62年8月号の記事中に 「かつてスイッチバック式に駅が設けられていた関山・二本木も駅の移設により その設備は使われなくなっている」とあったこともあり、筆者は一時、 この両駅は、同時にスイッチバックが解消されたものと信じていた (山田線の大志田・浅岸のように、隣接する二駅が同様の経緯を辿るのは自然なケース)。 その後、貨物発着の関係で、二本木だけが生き残ったことを知り、 ほっと胸を撫で下ろした覚えがある。
*「旅と鉄道」平成2年冬の号に掲載の、スイッチバック駅一覧表によると、 関山について「定期列車の(スイッチバック施設)利用なし。異常時のみ使用する」 という記述が見られる。これが真実なら、廃止後5年も経過した段階で、 まだ施設自体は存在していたのであろうか? また、今回、現状の配線図作成にあたり、 「鉄道ピクトリアル」平成8年11月号の図(祖田圭介氏による)を参考にさせていただいたが、 勾配上の新ホームの谷側に、1本の留置線のようなものが見られる。 常識的に見て、この線路は非勾配と考えられるので、その位置から、 この線路こそ、かつての引き上げ線とほぼ一致すると想像した次第であるが、 その真偽の程は、如何なものであろうか? ただ、筆者の勘では、関山は、まだかなりスイッチバックの痕跡を残している 気がしてならない。
以下の高橋氏の報告により、以上の仮説が証明された!!)
埼玉県大宮市の高橋誠一郎氏が、平成6年5月時点の当駅のレポートを寄せてくださった。
それによると―――
「その時の状況はプラットフォームや駅名標は完全に保存 されていて、 更に驚くことにはスイッチバック駅の構内にある入換信号機や出発信号機はしっかり 点灯していて しっかり現役でした。 (スイッチバック駅は昭和60年10月に廃止されて勾配上の本線に移転しているの ですが...) 聞くところによると、冬季の妙高高原行き臨時スキー列車が留置線としてスイッチ バック構内を利用 しているとか...だったと思います。 また、冬季の除雪車の留置等、保線基地も兼ねていたようです。 ここ数年見ていませんが、多分今も現存していると思います。 関山駅を訪ねる前に小学館の全線全駅鉄道の旅シリーズの「中央・上信越2200キロ」 という本を 参考に事前勉強をしてから行きましたが、そこの配線略図と私が実際に見た様子は全 く同じでした。 (この本に掲載されているスイッチバック改良後の配線図は関山駅については非常に 正確でした。) ここは廃止って言うよりも中央線の初狩駅と同様に新しいスイッチバックの配線に変 更されたっていう印象でした。 このスイッチバックは実際に引退後も役にたってたので、残っていると思うのです が、現在の状況は実際はどうなんでしょうか?」
――ということであり、筆者の予想と希望を裏付けるものとなった。
さらに「鉄道ジャーナル」2000年8月号の中で、 当駅の近況を伝えているが、そこの写真にも、高橋さんの報告にあったように、 点灯している信号機がはっきり写っている!
しかし、同記事中で、 高橋さんの訪問時には「保存されていた」という、 旧ホーム上の駅名標が、朽ち果てて倒れている光景を目にすると、 やはり この旧駅が真の意味での「現役」ではないことを痛感する次第である。 とは言っても、草生していない力強い線路の存在は、 頼もしい限りである。
ということで、現状マップも書き直してみたので、ご覧いただきたい。
なお、高橋さんから、その訪問時の写真をお借りできる可能性もあるので、 その節は、掲載させていただきたいと思う。気長にお待ちいただきたい。
●筆者による最新報告(平成14年4月1日現在)




筆者自ら当駅の最新情報を報告させていただきたい。
マップに関しては、基本的にほとんど現状と変わっていなかったが、 唯一、引き上げ線跡と見られる側線が消えていたのは、正直残念であった。 ただ、いつそれが消えたのか? あるいは、最初から存在しなかったのか? (つまり、スイッチバック廃止と共に、引き上げ線は消滅したのか?)―― そのあたりは、謎として残されたままだが、 架線も張られたまま旧駅構内を貫く線路の存在は、未だ消え入らぬ「命」の存在を 感じさせるのに充分なものであった。
*上段左は、旧駅構内に向かう線路と本線の分岐部分。スイッチバック時代、 右手前に、旧引き上げ線が伸びていたはずである。
*中段左は、旧駅構内から臨む本線。115系の下り各駅停車が 勾配中のホームを出ていく。
*中段右は、旧駅構内。朽ち果てた駅標は、やはり物悲しい。
*下段左は、現在のホーム脇に伸びる草生した、引き上げ線跡。
*下段右も同様。勾配標は、25パーミル〜LEVELを示している。 設置された場所からして、スイッチバックの引き上げ線の勾配を示したものだと思われるが、 つまり引き上げ線側も、分岐点からしばらくは本線と同じ勾配を持ち、水平部分は全長の 半分程度でしかなかったことが、現在の地形からも証明される。 ただ、当駅の引き上げ線で停止する列車は、 水平な駅構内あるいは下り勾配へ進入するわけであるから、 必ずしも水平でなくても良かったのであろう。道理ではある。
以上の引き上げ線の勾配具合は、大矢氏の中段写真からも窺い知ることが出来る。 列車の後退して行く引き上げ線と本線とは、遠くの方まで同じ勾配で並んでいる)

※現役時代及び現状の写真・データ募集中!


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