薩摩永野
宮之城線 昭和10年:薩摩鶴田〜薩摩永野間開業
(昭和12年:薩摩永野〜薩摩大口間開業):昭和62年路線廃止により消滅
鹿児島本線の川内と、山野線(昭和63年廃止)の薩摩大口
を結んだ宮之城線。川内側から順次、薩摩永野まで伸ばしてきた線路を、
ここから、当線最後の開通区間でもある薩摩大口へと
伸ばす際に、方向転換を伴うスイッチバック構造が出来た。
これは、十和田南などと同様に、あくまで町の中心部と
線路の位置関係によって出現したスイッチバックであり、
勾配とは無関係とされるが、しかし、分岐点から分かれた上下線
の高度差が瞬く間についていく様を見ると、
薩摩大口に向かう山越え区間への勾配を緩和するための
折り返しという意味もあったのではないだろうか?
C56“ポニー”のバック運転でも知られた、当線であったが、
マイカー普及による利用者の激減等の理由で、
昭和56年には、第2次廃止対象路線とされ、
住民の願いも虚しく昭和62年1月9日、バス輸送に転換された。
移設されたとはいえ、駅跡に出来た「鉄道記念館」の
一部として、現在もスイッチバックのシンボルでもある、
クロッシングポイント部分が保存されている。
*写真は、maatanさんの
「汽車旅悦楽館」
から転載させていただいたもの(撮影は、昭和57年)。
針持方面から薩摩永野構内に進入する上り列車の車内から、
同時進入する下り列車を撮影したものである。いずれも
勾配型のキハ52系が使用されているようだが、
この附近でもかなりの勾配区間であることが写真から分かる。
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