笹場信号場


土讃本線 昭和22年開業:昭和24年信号場廃止に伴い消滅



戦後、窪川を目指す土讃線は、土佐久礼から久礼坂を上り、6km先の影野まで延長されるが、 25パーミルの上り勾配と24のトンネルが連なる当区間の途中 (第4笹場と第5笹場トンネルの間)に設けられたのが、 笹場信号場。
同線区の2スイッチバック信号場(設立当時)と同様に、シザースクロスポイントを 中心に点対称に引き上げ線、発着線が1本づつ引き出された、シンプルなものだったと思われる。
ただ、他の新改・坪尻が昭和20年代に相次いで停車場化されたのに対して、 当信号場は、わずか2年弱で廃止されてしまう。その理由は、当時の列車ダイヤや周辺状況等 を調べないと正確なところは分からないが、中村に向けて同線区の延長を見込んでも (宇和島方面から窪川・中村に向かう路線も既に計画されていたはず)、 実際、信号場を使って閉塞区間を増やすほどの輸送量を、当区間には期待でき なかったということではないだろうか。 それにしても、存在期間わずか1年と10ヶ月、いくつかの戦時型信号場と並ぶ、 最も短命な「幻の」スイッチバックのひとつとなった。
●笹場信号場跡地現状報告

高知県四万十町在住のkiboさんより、 跡地の現状報告が届いた。
地元の方とはいえ、人里はなれた地で、木々をかき分けて “発掘作業”にあたった偉業に対する敬意と、感謝の気持ちを込めて、この幻のスイッチバックの最新ルポを掲載させていただく (取材日は平成19年5月13日)。

▲まずは、kiboさんによる現地の見取り図である。
読み取りづらくなってしまったが、ホームらしき跡やアッシュピットのようなようなコンクリート構造物、 さらには引き上げ線の突っ込みトンネル(!)も発見されており、 一見、木々しか見えない景色に埋もれつつ、遺跡たちは静かに保全されてきたようである。
お気づきの方もいらっしゃると思うが、kiboさんの見取り図により、筆者の作図したMAPに誤りがあることが 発覚。これを機会に修正をさせていただいた。

▲第4笹場トンネルを出て、ホーム跡を通過する下り回送「アイランドエクスプレス」。
「信号所跡にやって来てまずホームが目に留まりました。 タブレット授受が行われていたと思われるホーム跡です。 石積みの小さなホームでした。 周囲は草木に覆われ、ざっと見渡してもこのホーム跡しか見当たらない状態でした。 そのホームの横に建物か何かの基礎部分が残っていました。 ホームの後ろには少し広いスペースがあるようにも見えましたが、 草が生い茂って近づくことができませんでした」(kibo)

▲ホーム跡越しに第5笹場トンネルを臨む。それにしても、新改や坪尻以上に狭い土地に思え、よくスイッチバックが設置できたものだと 感心する。
「ホーム跡から影野方に発着線があったはずですが、 見たところ草木に埋れて何もないように見えます。 茂みに入ると確かに平らなところがあり、何かあったようです。 最初に谷を付け替えた排水路が目に入りました。 本線および発着線は一部谷部分を埋めて造成されており、 コンクリート護岸で谷を付け替え、暗渠で線路下を横断させています。 谷の写真の左側護岸の上に発着線跡が走っています」(kibo)

▲影野側に引き出された発着線跡の終端付近。上部に第5笹場トンネルの坑口。 本線トンネルの坑口とツライチで発着線が途切れる様は、坪尻によく似ている。
「発着線跡は草木が茂って歩くことができず、谷を伝って奥へ進みました。 谷底を進んで護岸が低くなったところで上に上がると、 発着線跡に沿ってコンクリートの水路が走っていました。 水路状のコンクリート構造物の上にボルトが出ていましたので、 どうやらこの上にレールが取り付けられていたのではないかと思います。 何だかわからないので、この形状のものについてネットでいろいろ検索してみますと、 カマ換えの際に灰を落としていたというアッシュピットではないかと思いました。 窪川へも蒸気機関車が来ていたそうですからその可能性はありそうです。 さらに奥へ行くと本線のトンネル坑口が見えるところで、コンクリートの壁にぶつかり行き止まりとなっていました。 本線の第5笹場トンネル坑口がすぐ上に見えています。発着線は本線とほぼ平行に走っていたようです。 行き止まりに立ちはだかる擁壁は本線トンネル坑口の擁壁と、一体的につながっていました」(Kibo)

▲幻の信号場の存在を強烈に示す最大の遺構。引き上げ線の突っ込みトンネル(この写真は土佐久礼側の坑口)。
「ホーム辺りから土佐久礼方を見ると、右側にコンクリート擁壁があります。擁壁は直線的に続いていますが、 本線はカーブしてすこしずつ擁壁から離れていきます。 擁壁の延長上に引き上げ線があったようです。 また、本線の第4笹場トンネル手前で谷が横断しており、 谷が暗渠で線路の下をくぐっています。 列車車内からもトンネル手前の本線横に暗渠が確認できました。 その暗渠の上に引き上げ線が通っていたはずです。 ここも草木が生い茂っていましたが、 暗渠の上の方に行ってみると確かに平らな部分があり、 昔線路があったことがうかがえます。 本線の方はトンネルに入りますが、引き上げ線跡はもっと奥へ続いていました。 ちょっと行くと茂みの中からトンネルが口を開けてビックリしました。 まさかトンネルがあるとは思いませんでした。第4笹場トンネルと第5笹場トンネルの間の空間は、 スイッチバックがあったにしてはどうも狭いなと思ったのですが、引き上げ線はトンネルでさらに奥へ続いていたわけですね。 」(kibo)

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