大志田
山田線 昭和3年開業:昭和57年配線変更により消滅
昭和45年2月までC58の活躍が見られた、全国でも有数の勾配連続線区、山田線。
この路線には、区界をサミットに大志田、浅岸という2つのスイッチバックが存在した。
どちらも、当初は通過不能のタイプだったが、
中山宿と同様の配線改良によって、通過可能タイプに変更。
さらに、山田線の山線区間から急行列車が全廃された昭和57年11月改正時に、
勾配中にホームを設置して、スイッチバックは廃止となった。
*上段4枚の写真は、大石和太郎氏より提供いただいた、蒸気時代のもの
(撮影は、昭和44年冬と思われる)。
宮古区のC58にとって、雪の峠路を越える最後の姿である。
*それ以外の写真は、昭和56年頃、府川泰氏撮影によるものである。
貨物列車が2本待避している中を、
気動車急行が通過していく様は、スイッチバックが、スイッチバックたり得た、
良き時代を見せてくれる。
*右下写真は、
「寂鉄・廃鉄・国鉄のホームページ」
の「かわっぺ」さんより提供いただいた、廃止後2年ほど経過した
大志田駅構内の様子。ホームは、草生しているものの、
まだ、線路は撤去されていない。
*
「うっしー」さんの「秘境駅へ行こう」というページ
に、さらに最近(平成9年夏)のこの駅の様子が紹介されているが、
小さなホームの脇から分岐した、スイッチバックの名残の錆びついた横取り線……
図らずも、岩泉線の押角とよく似た姿になってしまったようだ。
★大志田駅の近影をご紹介!
*「京阪びわこ号」さんより提供いただいた
大志田駅の最近の様子である。
隣駅・浅岸や岩泉線・押角と同様、スイッチバック駅が廃止され、秘境駅化した様子は寂莫感たっぷりだが、
押角の横取り線が消え去った今(2007年現在)となっては、当駅がもっとも立派な佇まいであるとも言える。
生い茂っていた草が消えている時期ということもあって、数多くの遺構を発見できたようである
(右下写真に見えるのは、道路から駅本屋に上がるための石段であろう。現役時代の写真と比べて欲しい)。
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