西岳信号場


東北本線 昭和18年開業:昭和41年複線化により消滅






D51、C60、C61が二台、三台運転で峠に挑む姿で有名な「奥中山」越え。 次述の滝見と同様に、この区間の途中(奥中山〜小繋)に位置する、交換用の信号場。 SLの活躍は、東北本線全線電化の昭和43年10月(ヨンサントウ)まで見られたが、 当信号場自体は、それに先立つこと約2年、41年9月の複線化時に廃止されている。
*写真は、すべて杉江弘氏。昭和40年の10月末に撮影されたものだが、 すでに複線用の用地が整地され、道床・線路の敷設を待つばかりとなっている。 それにしても、引き上げ線で待避する、重連貨物の横を、 これまた補機を従えた旅客列車が驀進していく様は、蒸気機関車が総力戦で挑む、 この最後にして最高の見せ場を、後世に伝えるに十分な迫力である。 なお、当時、この信号場のことは、SLファンにもほとんど知られていなかったようである。 杉江氏自身も、奥中山から小繋方面に撮影ポイントを探している最中に 偶然、信号場に出くわしたとのこと(古いネガ袋に「西山信号場」と誤記されていたほどである)。
★杉江氏写真以外でついに登場!!現役時代の西岳信号場。
*滝見信号場の写真に続いて、茅ヶ崎市在住の青木一郎さんから提供いただいた当信号場の写真をアップさせて頂く。
撮影は昭和40年3月28日。写真では確認できないが、杉江氏より半年ほど早いため、同年12月14日に完成する小繋〜西岳間の複線化工事はまだ それほど進んでいなかったものと思われる
(杉江氏写真ではすでに道床部分の整備進展が見られる)。

▲下り17レ急行『北斗』(牽引機=C616)とC6016牽引の上り524レによる、早朝の交換風景。
「手前側が本線です。『北斗』の本務機には、まだ前照灯が点いています。
当日は、この524レに一戸から乗って来て、西岳(6時20分頃)に降り立ちました。」 (青木氏)

▲C6016牽引の524レが、一旦バックした引き上げ線から本線上に出てサミットを目指す。

▲D51525号機とD51(ナメクジ)重連牽引による、上り貨2182レ(後部補機の有無は不明)。小繋寄り引き上げ線の脇を通過していく。


スイッチバックリスト2に折り返す
滝見信号場に向けて発車する