中在家信号場


関西本線 昭和3年開業:平成18年施設使用停止








名古屋と奈良・大阪を結び、官設鉄道と熾烈な競争を演じた ことで有名な、関西鉄道が前身である、関西本線。 中でも鈴鹿山脈を越える加太〜柘植の区間は、通称「加太越え」と呼ばれ、 関西鉄道時代から、 蒸気機関車が、補機を従え25パーミルの急勾配に挑む 難所であった。
蒸気時代、峠の加太トンネル(930メートル)には、 煤煙による乗務員の窒息防止のために、 入り口に垂れ幕が設置されていたほどであったが、 そのトンネルから、少し加太寄りに下った地点に位置する、 折り返し型の信号場。
蒸気時代以降も、このスイッチバックは健在で、 今や全国でも珍しくなった、 旅客列車同士の交換風景を見せてくれているが、 近年の発着列車の減少や、列車編成の短縮化などもあって、 平成10年には、構内配線が簡略化されてしまったのが残念なところである (マップに「改良後」と記したが、本当は「良」とは言いたくないところ)。
「ただ、この地方でよく運転される、京都−伊勢・鳥羽の修学旅行臨時列車はほぼ 間違いなくここで交換します。乗っている生徒はみんなうらやましいですね」とは、 棚瀬浩志さん(後述)の弁。確かにその通りである。
*2〜3段目の4枚は、 「なつかしの蒸気機関車館」で、現役・復活SLを数多く紹介している 久保順氏より提供いただいたもの。 峠の主役、D51に替わり、すでに1部DD51が進出してきた 47年11月の光景だが、 スイッチバックのシザースクロスを貨物列車が行き交う様は、 「本線」というにふさわしい迫力を醸し出している。
*5段目の右写真と6段目は、三重県北部を中心とした鉄道研究を行う、棚瀬さんの 「三重県鉄道郷土史研究所」 より転載させていただいた、現在の信号場の様子。 5段目左写真(平成3年撮影)と比べると、発着線の減少(2→1本)や、本屋建物の消滅などが お分かりいただけると思う。
なお、棚瀬さんの報告によると、 マップ上でも示したように、発着線は、本数だけではなく、 全長も約100mほど短縮されてしまったらしい(引き上げ線側は変化なし)。 とはいえ、未だ10両編成の気動車が交換できるだけのキャパを持つ、 巨大な施設である。

土讃線:坪尻駅の配線簡略化では、 シザースクロスポイントを取り外した上で、そこに新たに片分岐機を2個置いた感じだが、 ここでは、もともと片分岐機のあった場所を活かしながら、シザースクロス部分だけを ごっそり削除したようである。重箱の隅的で恐縮だが、同じように見える配線でも 履歴が違っているのが、面白い。
★SLブームの名所、ついに終焉!!
平成18年3月18日改正により、当信号場で交換する列車はなくなり、本線上の信号機のみ稼動しているものの、 スイッチバック関連の施設、信号機はすべて使用停止となった。本線として頻繁な列車交換が行われ、SLブームには 巡礼地のひとつとなった鉄道名所も、完全に過去のものとなったわけである。
●三十七年前の中在家信号場
*三重県の西口幸一氏より提供いただいた昭和40年頃の 当信号場の写真を、大画面で掲載させていただきたい。
人間との関わりが伝わってくるストラクチャー、 テールライトに反射板をつけた凛々しい蒸気機関車達、 信じがたい長大編成のDC、 すべて、鉄道が逞しかった時代の象徴である。 涙モノとはこのことを言うのであろう。







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