北宇智


和歌山線 明治29年開業:平成19年3月17日配線変更により廃止








南和鉄道により高田から二見(大和二見)まで開通したときに、 スイッチバックの停車場として開設(明治40年には、国有化されて国鉄・和歌山線となる)。 蒸気時代には、急行「大和」に併設の寝台車1両を含んだ 和歌山行きの客車列車が、C58に牽引される姿も見られたが、 昭和46年頃には、全面ディーゼル化された。 さらに、昭和55年には電化されたが、 未だスイッチバックは健在である。
*写真(下段以外)は、すべて小林一夫さんによって、 昭和43年の2月に撮影された、蒸気時代の貴重なもの。 上の五枚は、C57147に牽引された下り回送列車と、 C58359の牽く上り貨物列車の交換風景(左上から右下へ見てください)。
次の4枚は、当時、北宇智を往来した気動車たち。 左上から、キハ17系、キハ55系(急行2216D)、キハ30系、キハ45系と、 非常にバライティーに富んでいたことがわかる。
*下段は、電化後の同駅風景(平成3年撮影)。 車両は近郊型電車に変わり、無人化された駅のホームは、 歩道橋のような跨線橋で結ばれたものの、基本的な配線等はそのままである。
*それにしても、この北宇智のスイッチバックは、ある意味で「現代の奇跡」とも言える。
つまり―――
●電化されている(短編成の電車のみ施設使用)。
●貨物列車の設定が無い。
●勾配が20パーミル以下である。
―――この駅が抱える以上の条件は、スイッチバック存続にとっては厳しいものである。 都市連絡の近郊ローカル線ということで、列車本数が意外とあるのが、 施設の存続理由であろう(当駅交換列車が設定されている)が、 列車の多さは、一方で、煩雑な折り返しの多さにもつながり、 今後も全く安泰とは思えない。
しかし、駅に掲げられた 「関西でただひとつ:スイッチバックの北宇智駅」という誇らしい看板や、 分岐点にかかる踏みきりに書かれた 「通行者の皆さんへ:この踏み切りでは、スイッチバック運転のため、しゃ断時間が少々 長くなりますが、しゃ断機があがるまで、しばらくお待ち下さい」 という文字を見ると、 当駅のスイッチバックが、土地に完全に根付いているように思われる。 この姿が、将来に亘って続いて欲しいと願わずにはいられない。
アルバイトで毎週この駅を利用されているという 桜井慶子さんより、北宇智の近影を戴いたので、 ご紹介したい。
近年、自動発券機が設置されたり、 ペンキが塗り替えられたり、細かい違いはあるものの、 「関西でただひとつ×スイッチバック」の看板をはじめ、 基本的には、平成3年に筆者が訪ねたときと ほとんど変わらぬ佇まいである。
ぜひ、いつもでもこのままの姿でと、改めて祈りたい。
それにしても、鉄道ファンでもない女性が、 このサイトで、改めて自分の使用されている駅を 再認識されたのだと思うと、 筆者も、望外の喜びを感じる次第である。


★“奇跡”の終焉!! 平成19年3月17日――北宇智スイッチバック廃止!!
本当に残念なことであるが、“折り返しの際に起こった度重なるATSの切り忘れ”という人為的ミスを 直接の引き金にして、ついに当駅のスイッチバックは廃止を迎えることになった。
まずは、以下にスイッチバック廃止後の配線図を紹介しておく。
近日中に、筆者本人によるスイッチバック最終日と、廃止翌日(ホームの設置工事中につき、当日は吉野口〜五条間全面運休、バスによる代行輸送が行われた) の様子を紹介させていただく予定である。
嬉しくもなんとも無い旅行記である。



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