長坂
中央本線 大正7年開業:昭和47年配線変更により消滅
スイッチバックは、
主に、鉄路の複線化と電化という「二大近代化」のもとに消滅していった
と言える。
その意味では、複線区間のスイッチバック自体、極端に
数が少ない。
筆者の記憶の範囲では、
御殿場経由時代の東海道本線に設置された3信号場(谷峨、富士岡、岩波)、
奥羽本線の板谷峠にかかる4駅と、ここ中央本線:長坂の8つに過ぎない
(しかも、電化以降に存在しているのは、後者5つのみ)。
この区間が複線化されたのが、昭和41年(電化は、昭和39年9月)であるが、
この年すでに、複線化と同時に笹子のスイッチバックが消滅しているわけで
あるから、長坂も同様に勾配中にホームを移設できたはずである。
あるいは、貨物の取り扱いの関係、または甲府以西ということで、近代化に関して
多少猶予があったのかも知れないが、とにかく、複線型のスイッチバックとして
この駅は、かなり近年(昭和47年)まで、その特異な姿を見せてくれた。
なお、地形の関係からか、
ここの複線型スイッチバックは、板谷のものと違い、引き上げ線が
上下線の間に位置する「巻き込み式」と呼ばれるものであった。
このタイプは、日本で唯一であるが、
行き違う列車同士が、互いの進路を妨げ難いということでは、
理想的な形態である。
現在は、他のスイッチバック改良駅の例に漏れず、勾配上にホームを設置して、
電車列車のみの発着が行われているが、隣接する韮崎や穴山と同様に、
発着線の一部が保線車両の留置線として活かされているのみならず、
引き上げ線がほぼ完全な形で残っているのには、本当に驚かされた。
上下線の間という特殊な土地ゆえ、駐車場等に転用もできなかった
のだろう。
二本の線路がその懐で大事に守ってくれてきた「奇跡」のような光景
―――筆者にとっては望外の喜びである。
●スイッチバック時代
*戸田佳男さんによる、単線スイッチバック時代の貴重な写真を、
掲載させていただく。
上段左は、現駅ホーム付近から分岐点方向を臨んだもの。ナメクジドームの
D5140号機牽引の上り列車が差し掛かるところだが、三連の腕木式信号機など、
涙モノのストラクチャーが点在する。
右は、同地点を真横から捉えたもの。本線に対して傾いた背後の石積み部分が、発着線の水平を
示している。
下段は、引き上げ線に入ろうとしているD51牽引の下り列車(左)と、
駅を発車し、小淵沢に向けて勾配を駆け上がる同列車の姿(右)。
それにしても、高原の澄んだ空気が香ってくるような、
なんと広々とした気持ちの良い光景であろうか。
●スイッチバック廃止後
*平成11年11月に撮影した、現在の長坂駅である。
本屋は、かつての発着線跡に作られた新しいもの。
駅員も配置され、隣にはベイカリーがある、なかなかモダンなものだが、
一方で、スイッチバック時代の面影を偲ぶのは難しくなってしまった(上段右)。
中段二枚は、戸田さんが撮られた写真(下段のもの)と同じ地点から狙ったもの。
特に、右写真は、かつてに比べれば背景がうるさくなってしまったものの、
現在でも撮影名所のひとつである。
下段左は、保線車両が留置される、かつての発着線跡より、分岐点を臨んだもの。
折りしも通過していくのは、下り「はまかいじ」号:185系である。
スイッチバック時代が十分偲べるアングルと言えるだろう。
下段右は、草生したとはいえ、奇跡的に残った旧引き上げ線。
上り線を115系が通過していく。
※現役時代(特に複線スイッチバック時)の写真及びデータ募集中!
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