武蔵五日市


五日市線 大正14年開業(駅開業=4月;武蔵岩井まで延長=9月):昭和46年分岐側路線廃止により消滅





東京への通勤線としての機能をもつ五日市線の 終着駅、武蔵五日市。 この駅は、昭和46年まで、駅の手前(三内信号扱所)から、 武蔵岩井までの分岐線(岩井支線)を持ち、スイッチバック運転が行われていた。 つまり、武蔵五日市から武蔵岩井へ向かう旅客列車は、 一旦、信号扱所までバックしてから、 25パーミルの勾配を、武蔵岩井方面に向けて上っていった (一方、拝島方面からの、武蔵岩井にあるセメント工場向けの貨物列車は、 武蔵五日市駅を経由せず、直接支線に入った)。 かつては、 蒸気機関車に牽かれた立川〜武蔵岩井直通の客車列車が設定されていたが、 電化後は、もっぱら青梅区のクモハ40が単行で、武蔵五日市〜武蔵岩井間を往復していた (両運転台を活かして、バック時は運転台を取り替えていたとのことである)。
*左上段の写真は、三内信号扱所の様子がよくわかる貴重なものである。 撮影は昭和44年当時ということであるから、おそらく五日市から岩井方面に向かう 単行電車の最前部から撮影されたものであろう(引き上げ線上に停車中)。
*この写真から、三内信号扱所の配線マップを作成してみた。 シザースクロスポイントを中心に、発着線(五日市駅方面の線路)と 引き上げ線が点対称に配された、本格的なスイッチバックであることが わかるであろう。
なお、写真からは、手前に伸びる引き上げ線の長さは不明である。 この当時のことだけを考えれば、 引き上げ線を使用する列車は単行電車のみであるから、 それほどの距離を要してなかったはずだが、 蒸気時代を考えると、一般的なスイッチバックの引き上げ線同様 数百メートルはあったはずである。
*次段左は、今は無き武蔵五日市旧駅の姿。右は、支線の終着駅:武蔵岩井にて。
(上段左&次段右写真は、 「SL Photo Library」 の古矢眞義さんより、 次段左は、 「寂鉄・廃鉄・国鉄のホームページ(旧:列車と車の写真集)」 の「かわっぺ」さんより、提供いただいたものである)

*最近になって、武蔵五日市駅が移設・高架化されたが、 その際に、旧分岐点から廃止された岩井支線跡に沿って勾配を上り、高架部分へ繋ぐような 形で線路が敷設された。 したがって、工事末期の分岐点近くの様子は、まるでかつてのスイッチバックが 蘇ったような雰囲気で、新旧線が並んでいた。 駅が変貌していく際に、一瞬だけ訪れた「夢の再現」かもしれない。 柏熊秀雄さんのホームページ に、そうした武蔵五日市駅周辺の変貌ぶりや岩井支線の現状が、詳しくルポされているので、 併せて見ていただきたい。写真は、同ページから転載させていただいた、 高架工事中の旧分岐点付近の様子である。

※現役時代及び現状の写真・データ募集中!


スイッチバックリスト3に折り返す
大網に向けて発車する