桑ノ原信号場


篠ノ井線 昭和36年開業:現存






非電化時代は、蒸気機関車:D50、D51、ディーゼル機関車: DF50、DD51が、そして 昭和48年の電化以降は、勾配用の標準電機EF64が、 時には重連仕業で挑んできた、篠ノ井線の山岳区間。 現在の「スイッチバック銀座」でもある、当区間に存在する、 スイッチバック型の信号場。 昭和36年9月27日、明科〜西条間に設置された潮沢信号場 と同日開業である。 潮沢の方は、線形改良により昭和63年に廃止されてしまったが、 点対称に美しく配置された、当信号場の引き上げ線は、 未だ、善光寺平を見下ろしている。
*写真上段は、昭和50年代半ばのもの(撮影は府川泰氏)。 115系の各駅停車が待避する脇を、165系の急行列車(「きそ」号であろうか?) の駆け抜けていく。
*中段の2枚は、貴重な鉄道写真が満載の 「北総レール倶楽部」 の里見純一さんよりご提供いただいたもの。 長野方面に向かうキハ58系急行(「しなの」か「赤倉」?)の通過を 待避列車の車窓から捉えたもの。 撮影は、非電化・蒸気全盛時代の昭和38年6月頃とのことであるが、 キハ58のテールライト周囲に付けられた大きな反射板が、 気動車に年代物の表情を与えている。
*カラー写真3枚は、横浜市の小出浩氏から提供いただいた平成8年当時の 信号場風景。 下から2段目(381系特急「しなの」通過)と最下段左(EF64牽引貨物待避)は、 里見氏がキハ58系を撮影したのと 近いアングルで撮影されたものだが、長野自動車道の異様にでかい橋脚が、 三十年以上の時を経て、鉄道と車の地位を逆転してしまったことを 象徴しているようでもある。

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