草軽電気鉄道
大正15年開業(草軽軽便電気鉄道として、新軽井沢〜小瀬温泉間:大正8年開業)
:昭和37年路線廃止により消滅(新軽井沢〜上州三原間:昭和35年廃止)
碓氷峠のアプト式鉄道と共に、軽井沢の鉄道名物であった、草軽電鉄。
浅間山を横目で見ながら、草津温泉までの全長55.5kmを三時間半かけて
コトコト走る、この路線には、3ヶ所の勾配型スイッチバックが存在した。
しかも、それぞれ、タイプの異なるものであり、鉄道ファンならずとも、
温泉地への旅路のアクセントとして、心躍らせたことと思われる。
しかし、天災や営業不振も伴って、路線縮小の末、昭和37年1月、
アプトのED42より一足早く、白樺の高原から消えていった。
●二度上●故宮田雄作氏が昭和33年8月に撮影した、
当駅の貴重な写真を紹介させていただく。
写真でも分かるように、まさにスイッチバックという駅名の通り、なかなか本格的な
Z型スイッチバックである。車両自体のサイズとの比較で言えば、「木次線:出雲坂根」級と
言っても差し支えないであろう。
●東三原●ここは、当駅から、万座温泉口に向けて、まさに「豊肥本線:立野」級の
規模とも言えるZ型スイッチバックが存在した。しかも、面白いのは、
二段目と三段目の間にある引き上げ線の途中に、踏切があり、
ライバルとなる観光バスとの“ニアミス”が見られたということであろう。
●万座温泉口●ここは、「中央本線:初狩」のように、
スイッチバック上の発着線と、本線上の2つのホームを持つ。なお、竹重達人氏によると、
本線上のホームは、昭和32年の水害以降、設置されたとのことである。
これらの三駅のスイッチバックに関しての略図等は、「草軽電気鉄道」(プレスアイゼンバーン刊)を
全面的に参考にさせていただいた。
なお、
柏熊秀雄さんのホームページ
では、この草軽の廃線跡踏破を試みており、
二度上の駅舎の残骸・万座温泉口駅跡をはじめ、貴重なレポートを見ることが出来る。
※当時の写真・勾配データ捜索中!
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