出雲坂根


木次線 昭和12年開業:現存



豊肥本線:立野と並び、全国に名の知られた、三段式Z型 (正確には逆Z型と言えようか!?)スイッチバックである。
昭和12年、宍道と備後落合を結ぶ木次線の、最後の開通区間に 開業した当駅であるが、中国山地越えの難所のために、 三井野原へと向けて、 “やむなく”行きつ戻りつしながら、 山肌を上る線形が採用された (それでも、なお30パーミルの急勾配!)。
古くは、C56牽引の快速「ちどり」号 (後に気動車急行に昇格:平成2年3月改正で当線区内廃止)や混合列車…… 今は、新鋭キハ120型気動車の単行ワンマンカーというように、 行き交う車両は変わったが、主役である奥出雲の「ジグザグ坂」は、 現在も同じ姿を見せている。

ところで、今後もさらに数を減らすであろうと推測される折り返し型停車場であるが、 少なくとも、この巨大スイッチバックが、線路の改良等で消滅することはないであろう。 その意味では、我が国で最後まで残るスイッチバックのひとつである。 万が一、ここが無くなるとしたら、 木次線が廃止されるときだけであろう。 そう考えるに、駅後方に臨まれる、 国道の二重ループ橋は、 鉄路にとっては、不気味な存在と言える。
この駅に湧き出す「延命水」が、 駅自身の命を永らえさせてくれることを、願って止まない。

*筆者は、実は当地を訪れたことがない (それで偉そうにスイッチバック研究家などと言えるか!! とお叱りを受けそうであるが…)。 但し、有名な場所ゆえ、知り合いの方々から多くの写真を 提供頂くことが出来たので、タップリとご紹介したい。


●昭和40年代前半(杉江弘氏撮影)●



*中山宿や西岳等の写真を数多く提供いただいている、杉江弘氏による、 SL時代の貴重な写真を紹介させていただく。
上段左は、C56104号機が牽く、荷客合造車と有蓋貨車の混合列車。 上りホームから宍道方面に出発するところと思われる。
上段右は、一段目を上ってくるキハ52型の単行。 余談であるが、最近まで山陰地区に唯一国鉄一般色で残っていたキハ52128が、 ついに引退となった。もうこの写真のような光景は見ることが出来なくなったわけだ。
中段は、向かい側の山腹からの俯瞰ショット。 折りしもC56牽引の貨物列車が二段目をバックで上っている場面であるが、 このZ型スイッチバック全体の様子が一望できる、素晴らしいアングルである。
下段は、二段目と三段目の合流点付近の様子。左は、前述の上り混合列車。 右は、C56107号機牽引の下り貨物列車が、 引き上げ線へと後ろ向きに突っ込んでいく。
●昭和43年春(古矢眞義氏撮影)●


*“古き良き”蒸気時代の魅力的な写真満載!古矢眞義氏の 「SL Photo Library」 より転載させていただいた3点。 まだ雪残る早春の出雲坂根を、車中から捉えたカットである。
上段は、三段目を走る列車から下を見下ろした風景。一段目、二段目が階段状に 並ぶさまは、まさにZ型スイッチバックの醍醐味といったところであろう。
下段2枚は、二段目と三段目の合流点付近の様子。 ポイント部分は、スノーシェッドで覆われているのが分かる。
●平成8年3月(故宮田雄作氏撮影)●

*伊香保電車や草軽電鉄で、昭和30年代の貴重な写真を提供していただいた、 宮田雄作氏撮影の、当駅近影。
左は、杉江氏の下段左とほとんと同位置。 二段目を駅に向けて下りていく「米子行き」キハ120型気動車の姿である。
右は、駅を出てこれから二段目を上っていく「備後落合行き」列車。 それにしても、信号所の建物や腕木式信号機こそ消えたとは言え、 ほとんど30年前と変わらぬ景色である。
「景色は絵になるのですが、列車本数が少なく、 昼食を食べるところもなく苦労しました」とは、宮田氏の弁。
●平成11年11月(中野洋氏撮影)●

*最後は、 東広島市の中野洋氏より提供いただいた2枚。 左は、 現在の名物列車、トロッコ「奥出雲おろち」号が、 ディーゼル機関車(DE15:2000番台)を最後部に従えて、 木次から到着したところ。画面左に見える駅舎が、綺麗に手入れされながら、 使われ続けているのも嬉しい。
右は、発着線の末端の様子。遠方に、もうひとつのヤマタノオロチ= 国道314号線の「奥出雲おろちループ橋」が、 こちらを見下ろしているのが、捉えられている。
なお、「瀬野八」住まいという羨ましい環境の中野氏には、 その地の利を活かして、山陽本線や可部線等のスイッチバック調査を、 進めていただいている。 氏の機動力と精密な調査は、筆者も脱帽の限りであり、 拙ページでの結果報告を楽しみにしていただきたい。
スイッチバックの魅力を捉えた写真、今後も募集中!!


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