羽尾信号場


篠ノ井線 昭和41年開業:平成20年3月施設使用停止




狩勝、楓、西岳、笹子……全国で急速にスイッチバックが消え始めた昭和41年に誕生。 我が国で最も新しい勾配型スイッチバックである。 しかも、この付近は、当信号場以外にも、2ヵ所のスイッチバックを抱える、 現在の「スイッチバック最高密度区間」でもある。
なぜ、そういった現象が起こったか?と考えると、 最もスイッチバックが存続しやすい条件が揃っているのだろう。
「単線でギリギリ事足りる列車密度(勾配中にスイッチバックの交換施設を 増やすことで、閉塞区間の短縮を実現し、列車密度を高めるわけだが、 しかし、それがある限界値を超えた瞬間、複線化が必要となり、 そうなれば、少なくとも交換用の信号場は、不要となる)」 そして「貨物列車の設定あり (長大編成の貨物列車の待避のためには、 スイッチバックによる長い水平部分が必要となる)」というようなことが、 “スイッチバック的“には幸いだったわけである。
但し、同じく篠ノ井線の勾配区間にあった、潮沢信号場が、 線形改良の際に消滅したように、 もし同区間が、最新のトンネル掘削技術でルート変更を 行えば、単線のままだろうが貨物列車が走っていようが、 簡単にスイッチバックは消滅するであろう。 スイッチバックに安泰な地はありえない。
*写真上は、冠着トンネルの上方から、信号場とその背後に広がる 善光寺平の様子を俯瞰で捉えたショット。 撮影は、府川泰氏、昭和50年代半ばのものである。 折りしも、EF64の牽引する客車列車が信号場に差しかかろうとしているが、 現在は、付近を通る長野自動車道によって、この地点からの眺望は 変わり果ててしまったと聞く。
下段中央も、同地点から。 381系特急「しなの」と貨物列車の交換風景である。
*下段右は、 金子章さんのホームページ より転載させていただいた、「しなの」と客車列車の交換風景(昭和53年撮影)である。 なお、金子氏のホームページでは、 この他にもスイッチバック駅が、いくつか取り上げられており、 しかも、そこでの交換風景を一方の列車の車内から撮影したものが、 「スイッチバック」の魅力をよく伝えている (定点写真的にこれだけ撮り貯めるだけでも、容易ではないはず。見習いたいものです!)。 ぜひ見ていただきたい。

●羽尾信号場最近影
平成14年11月の当信号場の様子を、上滝徹三郎が伝えてくださった。
雪化粧された木々に囲まれた、美しいスイッチバックの姿をご覧いただきたい。 なお、上滝氏より当信号場の列車待避方法について「昭和50年代では、待避側の列車は、 通過列車と交換した後にスイッチバック=後退を行っていたのが、最近では後退をしてから そこで待避を行っているように思われる」といった指摘がなされている。当信号場に限らず、 列車の待避位置という要素も、今後のスイッチバック研究の対象となりうるであろう。


●蒸気時代の羽尾信号場
昭和42年7月に撮られた貴重な写真を、埼玉県の賤機氏が提供してくださったので、 ここにご紹介したい。
信号場開設約1年後、当区間からSLが消えるまで3年弱という 、非常に貴重な写真である。高速道路の姿も無い長閑な風景の中を行き交うSLや 気動車の姿は、否応無くノスタルジックな思いを我々に喚起させてやまない。



●平成20年3月ダイヤ改正でついに使用停止
最も新しい勾配型スイッチバックとして、ある意味「希望の星」であった当信号場が、 平成20年の3月改正で、使用停止になった模様。
秋期、落ち葉によるダイヤの乱れを 体験した身としては、完全に施設撤去までしてしまって大丈夫か?――などとも思うが、 中在家や常紋のように、施設保全のままで残る可能性は低いとのことである。黙祷。
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