富士岡


御殿場線:旧東海道本線 明治44年開業(信号場として):昭和43年配線変更により消滅






御存じ、まだ東海道本線が御殿場回りだった頃に、岩波と同時に、信号場として開設。 当時、同区間の複線化はすでに終わっていたが、まだ自動信号化されておらず、 複線であっても駅間に一列車しか入れなかったので、 このような信号場を設けて、 閉塞区間の短縮を目指したわけである。
D50に挟まれた重量貨物が、スイッチバックの待避線で待ち合わせをする脇を、 C51に牽引された超特急「つばめ」が駆け抜けていく光景が見られた 黄金の時代もあったが、昭和9年、丹那トンネル完成により、 東海道本線が熱海経由になると、「御殿場線」と言うローカル線に格下げされ、 さらに太平洋戦争末期には単線化の憂き目に遭うことになる。
戦後の昭和22年には、駅に昇格したが、 単線化後の当駅は、本線上から発着線を一本引き出しただけの、 最も簡素な勾配型スイッチバックと呼べる形態であった。 元大幹線ゆえ線路規格が高いことで、重量機関車D52の活躍舞台と して人気があったが、昭和43年6月末日、同線電化を期に、岩波と共に、勾配上に ホームを移設して、スイッチバックを解消した。
なお、移設当初は片側1面ホームであったが、 平成2年3月には、岩波と共に、行き違いが出来る構造になり、 スイッチバック解消以来続いてきた御殿場〜裾野間の一閉塞状態は 終止符を打った。

*上の三枚の写真は、大石幸雄さんによる、昭和42年2月撮影のもの。 最上段は、本線と発着線の分岐点辺りから、沼津方面を見たところ。 構内の全景がよくわかるカットである。 2段目は、上段と同方向から撮影された、 雪の舞う中を力行するD52牽引の旅客列車の、 進入(左)と発車(右)風景。
なお、大石幸雄さんの 「SL Fantasy」 では、 御殿場線のD52をはじめとした、SL全盛期の素晴らしい 写真の数々を見ることが出来る。

*さらに、 「SL Photo Library」 の古矢眞義さんから、当駅の近影を提供いただいたので、ここで紹介したい。
3段目左は、「富士見台」と名づけられた、スイッチバック跡地より、本線上を臨む。
同段右は、現ホーム上から見た、スイッチバック跡(本ページ最上段の写真と 比較的近い角度と言える)。
最下段は、現ホーム端から南御殿場方面を臨む。 安全側線の終端あたりから左手前に伸びている草地が、旧スイッチバック線跡である。
※本線・蒸気時代を通じて現役時代の写真及びデータ募集中!


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