日本一周第1回「いい日旅立ち」 

3日目「愛しき日々〜福島県〜」
 

2006年6月28日(水)

 
 


  水戸で迎えた朝。水戸といえば、水戸黄門と並んでもう一つの名物がすぐに思い浮かぶ。それは、水戸納豆。当然、朝食に納豆を食べるのを楽しみにしていた。ところが、ユースホステルの朝食に納豆はなかった。がっかり。
     
 今回のこの日本一周旅行第1弾は、「東北編」と銘打っている。しかしながら、2日目を終えてまだ関東から抜け出してすらいない。
 何はともあれ、東北をめざそう。東北の第1歩は関東と東北の境目である勿来の関からということにした。
  

 
 

偕楽園入口 →(バス)→ 水戸駅
8:14 水戸 →(スーパーひたち)→ 勿来 8:57
 

 
 

 
〈勿来〉

 
  ◆勿来の関・勿来文学歴史館HP  
 
 ドラマでは日本全国を隈なく歩き回っている水戸黄門(徳川光圀)も、史実では北はこの勿来の関までしか来ていない。勿来の関は白川の関、念珠の関と並んで「奥羽三古関」と言われている。「勿来」を読み下すと、「来ること勿かれ」すなわち「来るな」。それだけかつては難所だったということだろ 。今は電車で気づかないうちに関東から東北に入ってしまう。
  
 
 



勿来駅前の八幡太郎義家像
 

 
 
 さて、常磐線・勿来駅で下車する。すると駅前では八幡太郎源義家像が出迎えてくれる。そして「吹く風をなこその関と思へども道もせに散る山桜かな」という、源義家(1039〜1106)が詠んだ和歌の碑もある。義家は言うまでも無く、後三年の役(1083〜86年)で清原氏を滅ぼした英雄。「なこその関」という彼を主人公とした岡本綺堂(1872〜39)の戯曲もあるそうだ。
   
 
 



勿来の関への道しるべ
絵は新羅三郎義光
  

 
 
 駅から勿来の関までは山道を歩くことにした。「勿来まで○○分」と書かれた看板が色鮮やかに立っている。書かれた人物はいずれも綺堂の「なこその関」の登場人物であるらしい。
      
 
 



勿来の関
 

 
 
 歩くこと20分。武者姿の義家像が待っていた。勿来の関だ。
 
 そこから山の頂上までの山道は、「詩歌の古道」と言う。斎藤茂吉(1882〜1953)の「みちのくの勿来へ入らむ山がひに梅干ふふむあれとあがつま」を始めとした、勿来にちなんだ和歌や俳句の碑が建っている。紀貫之(866?〜945)、小野小町、和泉式部、西行(1118〜90)、松尾芭蕉(1644〜94)といった歌人・俳人たちも勿来について詠んでいるように、古来より勿来は歌枕として知られていた。
    
 
 



詩歌の古道
 左側は斎藤茂吉の歌碑
 

 
 
 勿来の駅前にあった義家の例の和歌は、古道のふもとと頂上に建っていた。
  
 
 

義家歌碑(ふもと)
 


義家歌碑(頂上)
 
 
 この古道のふもとに勿来の関の碑が建っている。その碑を挟んで、関東側に「関東宮」、東北側に「東北宮」という小さな祠もあった。
 ともかく、これでようやく東北に足を踏み入れたのである。
   
 
 



勿来関跡碑

 
 



関東の宮
 



奥州の宮
 

 
 
 頂上には小さな祠があった。義家を祀った義家神社である。
  
 
 



義家神社
 

 
 
 古道を登るにつれ、視界に何やら近代的な建物が入ってきた「勿来文学歴史館」である。
   
 
 



勿来文学歴史館
 

 
 
 勿来文学歴史館は1988年開館。古来よりの歌枕としての「なこそ」をテーマにした展示が見られる。勿来は江戸時代には宿場町として栄えたのだが、その時代の勿来の町も再現されている。
    
 
 



勿来文学歴史館・再現された宿場町
   

 
 
 勿来の関の付近には義家にまつわる伝承の地がいくつもあった。
 例えば、義家が弓を掛けたという弓掛の松。これは今では枯死してしまっていて、切り株のみが残っている。
   
 
 



弓掛の松
 

 
 
 また、弓弭(ゆはず)の清水は、義家が弓で掘ったのだという。
  
 
 



弓弭の清水
 

 
 
 ところで、旅から帰ってから、ショックな事実を知った。実はこの勿来の関跡、学問的には根拠が無いのだそうである。つまり、この地に勿来の関があったかどうかははっきりしないということなのである。江戸時代にこの地に勿来の関があったと推定されるようになったのがきっかけで観光地化し、復元されたのだが、勿来の関の門も当時の建築様式ではないそうである。知らずにいればいいってことは実にたくさんある…。
       
 
 

11:13 勿来 →(常磐線)→ いわき 11:39 
 

 
 

 
〈いわき〉

 
 
 この日の最終目的地は会津若松と決めていたのだが、電車の乗り継ぎの関係でいわき駅で下車した。
 実は、いわきは僕の父の出身地で、現在も父方の親戚が多く住んでいる。本来ならせっかく近くを通るのだから親戚を訪ねるべきなのかもしれないが、6月に伯父が亡くなった際にも来ていたので今回はやめておいた。
 それでもせっかくいわきに来たのだから、軽く観光をしよう。とは言え乗る予定の電車まで約1時間半しかない。
  
 
  ◆平城址  
 
 駅の地図を眺めていたら、いわき駅のすぐ裏手に平城址があるのを発見した。もちろんいわきには子供の頃から何度も来ているのだが、平城(たいらじょう)に行ったことは無かった。そこで、せっかくの機会なので行ってみることにした。
 平城は磐城平城とも言い、磐城平藩の城であった。別名は龍ヶ城。仙台の伊達政宗(1567〜1636)に対抗する目的で1603(慶長8)年に築城が始まり、1615(慶長20)年に完成している。戊辰戦争では奥羽越列藩同盟として、明治新政府に抵抗。敗れて焼失している。
 「平城」とは言いながら平城(ひらじろ)ではなく、山の上にある。
     
 
 



平城石垣跡
 

 
 
 残念なことに平城は現在建物等はいっさい現存・復元されていない。ただ、石垣が当時の俤をしのばせるだけである。しかも、遺構の大半は現在私有地になっていて、敷地内に入ることさえできなくなっている。
  
 
 



鈴木辰三郎像
 

 
 
 いわき駅から平城に行く途中にあった銅像。元平市長・鈴木辰三郎像とのことである。
     
 
 



明治天皇像
 

 
 
 平城の本丸跡の石垣を登ってみた。なぜか明治天皇の像が建っている。戊辰戦争当時、磐城平藩にとっては敵だったはずなのに…。
      
 
 



龍ヶ城美術館
 

 
 
 結局のところ、平城は現在では見るべきものはほとんど何も残っていないのに等しいのである。
 しかし、本丸跡には龍ヶ城美術館があり、平藩に関する展示をしている。もっとも美術館というよりは郷土資料館といった感じではあった。
  
 
 
 

13:13 いわき →(磐越線)→ 郡山 →(磐越西線快速)→ 喜多方 17:37
 

 
 

 
〈喜多方〉

 
 



喜多方駅
 

 
 
 再び電車に乗った。ここからが長い。乗り換え時間を含めて4時間半近い。喜多方に着いたのは夕方であった。
 旅の醍醐味は、その地の名物を食べることである。喜多方にやって来たのはもちろん喜多方ラーメンを食べるためである。

 さて、喜多方はラーメンの町だけあって、ラーメン屋も町中に数限りなくある。どこに行ったらいいものだろう。そこで、ラーメン好きの友人に携帯メールで連絡して聞いてみたところ、「坂内食堂」を勧めてくれた。
     
 
 



坂内食堂
 

 
 
 坂内食堂では肉そば(850円)を注文。すると、チャーシューがどんぶりにたっぷり敷き詰められていた。やはり、友人が勧めてくれただけあって、味もボリュームもたっぷりであった。
  
 
 



坂内食堂の肉そば
 

 
 

19:57 喜多方 →(磐越西線快速)→ 会津若松 20:13
 

 
 

 
〈会津若松〉

 
 



会津若松駅の白虎隊像
 

 
 
 こうしてお腹もいっぱいになったころには、陽も暮れていた。宿泊地である会津若松へやってきた。
 駅前では白虎隊像が僕を迎えてくれた。
   
 
 

ああ人生に涙あり〜茨城県〜

青葉城恋唄〜福島県・宮城県〜  

                              
戻る