第2章−サイレント黄金時代(20) | ||
モラルの幻想 〜スウェーデン映画〜 |
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「パラダイス北欧」という名前の店があった(*1)。とある町の大通りに面しており、何度か前を通りがかった事がある。ショーウィンドウも何も無く、閉ざされており、いったい何の店なのか以前からちょっと気になっていた。そこで先日、思い切って入ってみることにした。店の中には派手な下着類、ローションやバイブレータといったものが所狭しと並んでいる。いわゆる「大人のおもちゃ屋」。だが、どうも様子が変だ。店内に置かれているのは「薔薇族」や「バディ」「サムソン」といったゲイ雑誌類。それに男同士が濃厚に絡みあうビデオのパッケージ。何と男性同性愛者を客層とした店であったのだ。 「パラダイス北欧」の隣には某女子大学のキャンパスもあり、人通りも激しい。入る時には何とも思わなかったのに、出るときには思わず人目を気にしてしまった。いやはや、知らぬが仏とはこのことか。 *1 2004年10月25日に店名が変更された。 |
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「パラダイス北欧」と言いながらも、店はまったくもって北欧と関係がない。このネーミング、北欧の「フリーセックス神話」から来ているのは間違いないところである。北欧…とりわけスウェーデンは「フリーセックスの国」としてよく知られている。そう言えば、大阪には「大阪スウェーデン」という名前の店があるそうだが、何とSMビデオの専門店である。 それにしても、「フリーセックス」とはいったいどのような意味なのだろうか? 言葉としては有名なわりに、どうもよくわからない。「Free」という単語から真っ先に思い浮かぶのは「自由」である。とすると、「フリー・セックス」とは、男女が出会うと、発情期のように誰とでもあたり構わずすぐにセックスを始めてしまうという意味なのだろうか。それとも「無料」という意味から、性風俗や売春が「フリー(無料)」という男性天国なのか…。どうも、どちらも違うような気がする。 一方で「フリー」には「開放的な」という意味がある。「フリー・セックス」とは、性について「開放的」なのだと考えるとしっくり来る(*2)。例えば、わが国日本においては、性について語ることは、多少なりとも後ろめたさが感じられる。僕だってとっくの昔に18歳を超えているのだから、「パラダイス北欧」に出入りすることについては何もためらう必要は無いわけなのだが、それでも人目を気にしてしまう。そういう意味からも日本は性について開放的とは言えないのではないか。ところが、スウェーデンでは、開放的、つまり大っぴらに語り合う事ができるのだという。また、セックスというものを親密なコミュニケーションの一つとして捉え、例え結婚が前提になくとも、許容されている。さらに、同性愛というのも個人の好みと解されているそうである。なるほど、わが国に比べはるかにフリーである。 しかし、セックスに関してのフリーさにおいて、スウェーデンが世界的にずば抜けているかというと、必ずしもそうとは言えない。コンドーム会社「デュレックス」が世界41か国35万人を対象に行った「SEXに関する世界調査」(*3)というものがある。その2004年度の調査によれば、初体験年齢の世界平均は17.7歳である。わが国日本が18.6歳で、下から5番目に遅い年齢であるのに対し、スウェーデンは16.4歳と若い。しかしこれでも、6番目の若さでしかなく、アイスランドの15.7歳というずば抜けた数値に比べてれば決して目立つわけではない。しかし北欧全体を考えれば、デンマーク、フィンランド、ノルウェーがいずれも16.5歳で7位に入っており、総じて早熟な地域だとは言える。一方、セックスの頻度の世界平均は年103回である。スウェーデンは平均年94回で、日本人の平均年46回(世界最下位)に比べればはるかに多いものの、それでも世界平均より少ない(世界1位はフランス人の137回)。そう考えると、「フリーセックス」という言葉だけが、現在一人歩きしてしまっているのは確かなことと言える。 *2 「フリーセックス神話」については以下の資料を参照した。 伊藤裕子「性教育と『フリーセックス神話』」(岡沢憲芙、奥島孝康編「スウェーデンの社会」所収)64〜80ページ 「北欧話6 フリーセックスの真相」(http://www.thankyou.jp/ryori/nikki/hokuo/6.html) 「第3部 新しい家族規範のパラダイム6/性に対する規範」(http://www.mediacultures.com/sweden/swtex01/03/06.html) *3 「durex:SEXに関する世界調査」(http://www.durex.com/jp/GSS2004Results.asp?intMenuOpen=8) |
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それではなぜ、「スウェーデン=フリーセックス」伝説なるものが生まれたのだろうか。まず第一に、スウェーデンは美人の国というイメージがある。戦前にハリウッドで最も成功した女優はグレタ・ガルボ(1905〜90)とイングリット・バーグマン(1915〜82)であったが、共にスウェーデン出身である。2人ともクールな美貌で、どことなく近寄りがたい雰囲気を持っている。 性に対して開放的であったということは、スウェーデンでは1971年に法律によってポルノグラフィが全面的に解禁されていることからも明らかであるが、映画の性描写に関しても世界に先駆けていた。1967年に製作されたヴィルゴット・シェーマン(1924〜2006)監督の「私は好奇心の強い女」は、全裸シーンのヘア露出をめぐって当局と検閲論争を繰り広げ、スウェーデンにおける映画の性描写に関する検閲が撤廃されることとなった。この作品は、1970年の大阪万博の際にスウェーデン館では治外法権ということで無修正で上映され物議を醸している。また、1968年にはマック・アールベリー監督の「私は女」(1967年スウェーデン/デンマーク)にセックス場面があるとのことでアメリカの税関で没収処分を受けている。 そして、1960年代末から1970年代にかけてスウェーデン産のポルノ映画は世界的にヒットを飛ばした。そういえば、現代のニューヨークに現れた人魚を描いたファンタジー映画「スプラッシュ」(1984年米)の中に、主人公(トム・ハンクス)の兄を演じるジョン・キャンディ(1950〜94)が、スウェーデン人になりすますために、ポルノ映画のセリフをそのまま喋るというシーンがあった。彼によれば「ヌード映画の秀作はスウェーデン製だ」とのこと。それにしても「ぼくのペニスは30センチさ」というセリフで騙されてしまうほうもどうかと思うが…。 さらに、スウェーデンの巨匠イングマール・ベルイマン(1918〜2007)も、「処女の泉」(1960年)や「沈黙」(1963年)など性的な問題をテーマに据えた傑作を作品を次々と発表している。 スウェーデンのフリーセックス神話が形成されるにあたって、こうした映画界の動きも大きく関与している事は間違いないことであろう。 しかし、セックスについて開放的であるということは、逆にモラル意識が高いということの裏返しなのではないだろうか。スウェーデンはいち早くポルノを解禁した国であったが、1982年になると、それは性の玩具化であるとして、再び取り締まりの対象とされてしまう。 そして、サイレント期のスウェーデン映画には、極めて教訓性に富んだものが多かったが、そのことを思い起こさせる。 |
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サイレント期のスウェーデン映画は、今日世界的に高い評価を得ている。キネマ旬報社が発行した「ヨーロッパ映画200」という本には、サイレント映画は全部で33本収録されているが、そのうちスウェーデン映画は4本である。これは、ドイツの13本、フランスの8本、ソ連の6本に次いで4番目に多い。ちなみにデンマーク映画は1本も紹介されていない。もちろん、ドライヤーの「裁かるるジャンヌ」(1927年仏)は収録されているが、これはフランス映画なのである。 そんな当時のスウェーデン映画界では、ヴィクトール・シェーストレーム(1879〜1960)とモーリス・スティルレル(1883〜1928)が双璧を成す存在であった。「ヨーロッパ映画200」にも、シェーストレームの「霊魂の不滅」(1920年)、スティルレルの「吹雪の夜」(1919年)と「イェスタ・ベルリングの伝説」(1924年)が選ばれている。ちなみに、残りの1本はデンマーク出身のベンヤミン・クリステンセン(1879〜1959)の「魔女」(1922年)である。しかしながら、サイレント期のスウェーデン映画で今日ビデオ化されている作品は非常に少なく、簡単に観ることができない。だが、スティルレルもシェーストレームも後にハリウッドに招かれて映画を撮っており、また、スティルレルがハリウッドに連れて行ったグレタ・ガルボの活躍は周知の通り。そこで、ハリウッドにおける彼らスウェーデン人の活躍も併せて、ここでは紹介していくことにしたいと思う。 |
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ヴィクトール・シェーストレームは舞台俳優の出身である。1912年に映画界入りすると、監督・主演で作品を次々と発表した。「波高き日」(1916年)や「生恋・死恋」(1917年)といった作品は、日本でも高い評価を得ているが、残念ながら僕は観ていない。彼の代表作「霊魂の不滅」(1920年)は幸いにも特集上映で観る機会があった。ここではシェーストレームは主人公の浮浪者ダーヴィドを自ら演じている。 大晦日の夜、ダーヴィドは浮浪者仲間との喧嘩の末に、命を落としてしまう。大晦日に罪を犯したまま死んだ人間は、死神の使いとして、死の馬車の御者を務めなくてはならない。酒に溺れて妻子を捨ててきたダーヴィドの目の前に、死の馬車が現れる。死の御者は彼を妻子の元へと連れて行った。貧民街へ落ちぶれた妻は、子供を殺して自分も死のうと、食事に毒を混ぜているところであった。それを見て悔い改めたダーヴィドは、死の御者によって生き返ることを許され妻子の元へと急ぐ…。 二重露出を用い、霊魂や馬車が半透明となって出現する。その特殊技術もあいまって神秘的な雰囲気を醸し出す作品となった。ベルイマンが後に撮った「第七の封印」(1956年)や「処女の泉」(1960年)といった作品は、神秘性・幻想性の強い作品であるが、原点はおそらくこの「霊魂の不滅」にまでさかのぼることができるのではないだろうか。中でも、死神が登場する「第七の封印」は「霊魂の不滅」からの影響も大きいと思われる。 原作はスウェーデンのノーベル文学賞受賞女流作家セルマ・ラーゲルレーフ(1858〜1940)が1912年に発表した小説である。原題は映画と同じ「Korkarlen」で、「死神の御者」を意味しているそうであるが、現在邦訳の題名は「幻の馬車」となっているものが多い。それは、後にフランスのジュリアン・デュヴィヴィエ(1896〜1967)監督によってリメイクされた際の邦題「幻の馬車」(1939年仏)が一般的になったからであるが、僕はこちらのほうは観ていない。原作と映画を比較すると、単に新年の訪れと同時に死んだ者が死の御者になるとした原作に対し、映画は罪を犯したまま死んだ者と言う風に、罪の償いという形に変わってきている点が注目される。ダーヴィドを改心させようとしながらも病に倒れる救世軍の女兵士エーディット(アストリーズ・ホルム)は原作にも登場するが、原作では霊となったダーヴィドに看取られて早い段階で死んでいくのに対し、映画ではすべてを見届けるかのようにラストでこの世を去る。つまり、映画はダーヴィドの改心だけでなく、エーディットの報恩にも焦点を当てていると言える。先に当時のスウェーデン映画は教訓性が強いということを述べたが、まさしくこの作品がそのわかりやすい例であるといえよう。 さて、ラーゲルレーフと言えばアニメにもなった「ニルスの不思議な旅」(1906〜07年)がよく知られている。悪戯少年のニルスは妖精を怒らしたために小人にされてしまう。ニルスはガチョウの足につかまってスウェーデン中を旅して回ることになる。悪行の報いを受けなくてはならないという点で、やはり教訓的だ。あるいはこういった教訓性は当時のスウェーデンに多く見られた傾向なのであろうか。 |
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シェーストレームと並び称されるモーリス・スティルレルもラーゲルレーフの作品を映画化している。その一つが、「イェスタ・ベルリングの伝説」(1924年)である。この作品はビデオ化されていて、 現在簡単に観ることができる唯一のサイレント期のスウェーデン映画である。 主人公イェスタ・ベルリング(ラース・ハンソン)は牧師であるが、酒によってその職を追われる。還俗した彼は多くの女性から愛されるようになるが、その相手には次々と不幸が訪れる。そんな彼を救ったのは、夫のある女性エリザベート(グレタ・ガルボ)であった…。 「霊魂の不滅」に比べると、あまり教訓性は感じられない。だが、イェスタが身を寄せる館の女主人マルガレータ(イェルダ・ルンドクヴィスト)は、過去の不倫を暴露されたがために、夫サムセリウス(オットー・エールィ=ルンドベールィ)によって館を追われてしまう。マルガレータはかつて自分の不倫を責めた母親を腹立ちまぎれに殴り、追い出したと言う過去を持つ。彼女は、自分の境遇はかつての行いの報いであるのと受け止めるのである。しかし、我々の眼からすれば、二人の娘の人生を台無しにし、人妻に夫を捨てさせたイェスタのほうこそ真っ先に報いを受けなくてはならないような気がしてならない。だがなぜか、運命はイェスタに対して寛大である。親への不義理は許されなくても、男女関係に関しては不道徳に寛大であると言うのが、何ともフリーセックスの国らしい。 それはともかく、この「イェスタ・ベルリングの伝説」の最大の価値はグレタ・ガルボの出世作であると言う点である。彼女は当時19歳。とても10代とは思えないほどの、妖艶な魅力を発揮している。後に彼女が得意とする男を滅ぼす悪女の片鱗が早くもここでは見てとれるのが注目される。 |
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1923年シェーストレームはハリウッドのMGM社の招きに応じて渡米する。その際、彼は盟友スティルレルを誘った。そして、スティルレルは彼が育て上げたグレタ・ガルボを伴っていたのである。「イェスタ・ベルリングの伝説」でグレタと共演したラース・ハンソン(1886〜1965)もやはりハリウッド入りし、「肉体と悪魔」(1926年米)などで彼女と再び共演している。グレタのその後の活躍に関しては今さら言うまでもないだろう。しかし、シェーストレームとスティルレルは、皮肉にもハリウッド入りした結果、自らの映画生命を縮めることとなってしまった。スティルレルは「帝国ホテル」(1926年米)他3本を監督しただけですぐに帰国。間もなく亡くなってしまう。シェーストレームも9本の映画を撮影するが、1930年に帰国。すぐに監督を廃業し、以後は俳優として映画に出演するだけであった。監督の個性を重視しない、ハリウッドのシステムによってがんじがらめにされてしまったのがその原因であろう。とは言え、故国での華々しい活躍ほどではないかもしれないが、彼らのハリウッドでの業績は決して小さいものではない。スティルレルの「帝国ホテル」は残念ながら僕は観る機会に恵まれていないが、1927年度のキネマ旬報ベストテンで第7位を獲得するなど、当時から評価は高い。機会があればぜひ観てみたい一編である。一方のシェーストレームがハリウッドで製作した映画にも傑作が多く、そのうち何本かを観ることができたので、ここで紹介することにしたい。 最初に紹介するシェーストレームのハリウッド映画は「殴られる彼奴(あいつ)」(1924年米)。主人公のポール・ボーモン(ロン・チャニー)は科学者であったが、後援者の男爵によって研究成果と妻を奪われてしまう。ボーモンはサーカスの道化師となり、殴られ役として客の笑いを取るようになっていた。やがて、サーカスに男爵が姿を現し、花形曲馬乗りのコンスエロ(ノーマ・シアラー)に手をつけようとする。彼女に心を寄せるボーモンは、男爵を楽屋に閉じ込めライオンを檻から放すが、彼も刺されて負傷する。復讐を遂げたボーモンは、力を振り絞って舞台に出て、観客の爆笑を浴びたまま死んでいく…。主人公の死に行く姿を観客が演技だと思って喝采を送るというラストは、チャップリンの名作「ライムライト」(1957年米)の原型と言える。主人公ボーモンを熱演するのはロン・チャニー(1883〜1930)。「ノートルダムのせむし男」(1923年米)や「オペラの怪人」(1925年米)など、特殊メイクを施した演技で鳴らした怪奇映画スターであるが、ここでは素顔を見せている。一種の復讐物語となっており、教訓的というよりは報恩的であるが、冒頭に「人生というまじめなる喜劇においては、最終の笑いが芸の最も上乗なるものであるとはよく言われたことである」(*4)という教訓的な字幕が出るのだから、シェーストレームには説話的な製作意図があったのだろう。 *4 佐藤忠男「世界映画史 上」46ページより引用 |
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「真紅の文字(緋文字)」(1926年米)はイギリス人が入植したばかりの新大陸ニューイングランドのボストンが舞台である。お針子のヘスター・プリン(リリアン・ギッシュ)は、若い牧師アーサー(ラース・ハンソン)と恋に落ちる。ヘスターには、故国イギリスに夫ロジャー(ヘンリー・B・ウォルソール)がいるが、何年も連絡が無く生死は不明であった。やがて、ヘスターは不義の子を産むが、彼の名誉のために父親の名は隠し通す。彼女は、罰として真紅の“A”の文字を胸に刻印されるのであった…。真紅の“A”は“Adultery(姦通・不義)”を意味している。愛する男のために、自ら不幸を選ぶ女というのはリリアン・ギッシュ(1896〜1993)お得意の役柄なのだが、つくづく彼女は報われないものであると切なくなってきてしまう。 原作はナサニエル・ホーソン(1804〜64)の小説「緋文字」。その後も何度となく映画化された題材で、ヴィム・ヴェンダース(1945〜)が監督した「緋文字」(1972年西独/西)や、最近でもデミ・ムーア(1962〜)が主演し、ローランド・ジョフィ(1945〜)の監督する「スカーレット・レター」(1995年米)が製作されているが、いずれも作品の雰囲気はずいぶん異なっている。例えば、ジョフィ版はアーサー(デミ・ムーア)とヘスター(ゲイリー・オールドマン)、ロジャー(ロバート・デュヴァル)の3人の愛憎を主眼に据え、ロジャーの復讐が大きく描かれる。一方の、シェーストレーム版は、むしろアーサーの良心の呵責がメインとなる。ここでのアーサーは、“A”の文字を自らの胸に刻み、最後はヘスターの胸に抱かれて息を引き取る。ジョフィ版は原作や他の映画版と異なり、ハッピーなラストとなっているが、それは誰もが願っていた結末であるに違いない。また、ヴェンダース版は夫ロジャー(ハンス・クリスチャン・ブレヒ)の視点に立つ。ヴェンダースと言えば、「都会のアリス」(1973年西独)や「パリ、テキサス」(1984年西独/仏)といった都会的なロード・ムービーが思い浮かぶが、意外にもこのヴェンダース版が一番原作に忠実な映画化だと言える。例えば、シェーストレーム版やジョフィ版は原作には無い、ヘスターとアーサーの馴れ初めから描かれているが、ヴェンダース版は原作同様、ヘスター(ゼンダ・ベルガー)の裁判の日から話が始まる。もちろん、アーサーが“殺される”など、原作とは大きく異なる部分も存在するのではあるが…。ちなみに、ヴェンダースはこの彼にとって唯一の時代劇が嫌いだったらしく、「ピンボールマシンもガソリンスタンドも出てこない映画は2度と作らない」と言わしめた(*5)。 *5 ビデオ「緋文字」(Culture Publishers)パッケージ解説 |
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晩年のシェーストレームが俳優として活躍しているということは先にも述べた通りであるが、その代表作としてイングマール・ベルイマン監督の「野いちご」(1957年スウェーデン)をあげることができる。シェーストレームが演じるのは主人公の老医師イサク・ボリー。この時シェーストレームは役と同じ78歳であった。イサクは名誉博士の称号を受けるため片田舎からストックホルムまで向かう車旅の最中に、様々な人間と出会い、過去を回想する。死を予感した老人の孤独と悲哀を通じ、人間の一生が深くえぐられている。それでいて、さわやかな余韻を残す作品だ。シェーストレームも味わい深い演技を見せているが、彼自身の人生が重ね合わされていて感慨深い。彼はこの2年後に80歳で世を去った。 |
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このようにサイレント期のスウェーデン映画人、とりわけシェーストレームの作品には、教訓性の強いものが多かったと言える。こうして眺めてみると、どうやら彼らの教訓とは、この世の罪はこの世で償わなくてはならないという考えに立っているのらしい。もちろん、「霊魂の不滅」の浮浪者ダーヴィドの場合は、妻子に対して犯した罪を、死後に死神の使いとなることで償うことになっているが、悔い改めることで生き返り、その後は生きて彼らに償うであろうことが予感されているわけである。スウェーデンはキリスト教徒(プロテスタント)の多い国であるが、こうした一種の現世利益という考え方が、キリスト教の教義から見てどうであるのか、キリスト教に疎い僕にはまったく思いも及ばない。 スウェーデン人の映画が教訓的であることの理由を、僕は先にスウェーデン人の“モラル意識”の現れであると述べた。しかし、そのモラルが高いということは、非道徳を好むということの裏返しに他ならない。だいたい、好きでなければ誰が興味を持とう。そう考えると、1960年代末にスウェーデンでポルノ映画が隆盛したことも、実は同じ意識の表れであると言えなくも無いだろう。みんな好きだからこそ、かつてはモラルによって隠し、諌めていたのである。それが好きなモノは好きと、堂々と言えて、表現することができるような時代になった。果たして映画にとってそのことが良いことであったのか。それはまたいずれの機会に改めて検証することとしたい。 |
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(参考資料) 「スウェーデン映画の史的展望〈1910―1969〉」1983年3月「フィルムセンター 77」 「映画の巨匠たち/ヴィクトル・シェーストレーム」1999年6月「週刊THE MOVIE 69」 「世界の映画史/北欧編」1999年11月「週刊THE MOVIE 87」 ラーゲルレーフ/石丸静雄訳「幻の馬車」1959年1月 角川文庫 ラーゲルレーフ/矢崎源九郎訳「ニールスのふしぎな旅 上・下」1953年5月〜1954年1月 岩波少年文庫 ホーソーン/鈴木重吉訳「緋文字」1957年10月 新潮文庫 岡沢憲芙、奥島孝康編「スウェーデンの社会/平和・環境・人権の国際国家」1994年6月 早稲田大学出版部 |
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