特別企画−ネパール映画事情(3)
笑いの抵抗運動
〜「マハ」映画の世界〜



ネパール映画「Balidaan」(1997年)
(左上から時計周りに)ハリバンシャ・アーチャーリャー、ニール・シャハ、
マダン・クリシュナ・シュレスタ、アンザナ・シュレスタ、ニルカジ・カンサカル
 


  ネパールの夜は早い。19時過ぎにはバスは終わってしまうし、20時を過ぎるとほとんどの店はシャッターを下ろしてしまう。だから、夜遊びをする機会は、日本にいる時に比べるとうんと減った。そのぶん夜が長くなった 。
 僕が今住んでいる部屋には、今のところテレビは無いが、パソコンを日本から持ってきているので、それでDVDを観ることができる。夜長のお供には映画となるわけだ。
 ネパールの街頭では映画のDVDやビデオCD(VCD)を売っている。それも150〜300ルピー。日本だったら300〜600円という安い値段だ。しかも VCDだったら、一枚に映画が4〜5本入っていたりするから、お得なことこの上無い。例えば、「荒野の七人」シリーズ(1960〜72年米)4部作や、「エイリアン」シリーズ(1979〜97年米)4部作を一枚のVCDに入れたもの。「007」シリーズのうち5作や、マリリン・モンロー(1926〜62)主演の「七年目の浮気」(1955年米)、「ナイヤガラ」(1952年米)、「バス停留所」(1956年米)をセットにしたもの、「キング・ソロモン」(1937年英)、「ロマンシング・ストーン/秘宝の谷」(1984年米)、「キング・ソロモンの秘宝」 (1985年米)などのアクション映画特集取り合わせまである。画像も決して良くないし、果たしてちゃんと権利を踏んでいるのかどうかもわからないが、お買い得なので、ついつい手を出してしまう。もちろん、売っているのはほとんどは英語版だが、中には日本映画の中国語版なんてものもあったりして、想像していた以上に充実した映画ライフが送れている。


 しかし、「ネパール映画事情」というからには、他の国の映画はさておいても、ネパール映画を観なくてはならないだろう。しかし、僕はネパール映画についての知識に乏しいので、何から観ていいかわからない…。そう思っていたところ、僕が勤務するオフィスの大家さんがネパール映画のVCDを貸してくれた。そこでさっそくそれを観ることにした。
  
 
◆映画「バリダーン」と民主化運動

 最初に観たネパール映画は「
बलिदान(Balidaan/犠牲)」という作品だった。VCDのケースには「Copyright act 2058」と書いてある。ネパールでは日本やヨーロッパとは異なる太陰暦のビグレム暦を用いているが、2007年12月現在、ビグレム暦では2064年にあたる。2064年の元旦が、西暦では2007年4月14日である。ということは、2058年は、西暦2001年もしくは2002年ということになる。だから、この映画が製作されたのもそれ以前ということになるのだが、フィルムの状態からするともう少し古い作品のような印象を受ける。
 日本ネパール協会のサイト(参照)によると、この映画は2005年に当時の王政政府によって上映禁止の処置を受けているそうである。そこには「8年前の映画」という記述があるので、それによって199 7年製作の映画ということがわか る。
 監督・撮影・編集はネパールの巨匠と言われるトゥラシ・ギミレ。製作がシャム・サパコタ、脚本がモダナット・プラスリット、音楽がラメシュ・シュレスタである。

 
 主人公は民主化運動に青春をささげる青年である。もちろん台詞はすべてネパール語で、現在の僕には20%も理解できるかどうかといったところ。したがって、以下のストーリー等には推測がだいぶ含まれていることをお断りしておく。

 主人公アルゼン(ハリバンシャ・アーチャーリャー)は、民主化運動に携わっているために、警察に追われることになる。警察の手を逃れて田舎へ逃げたアルゼンは、そこで同志の女性サンギータ (アンザナ・シュレスタ)と結婚、すぐに彼女の妊娠がわかる。だが彼は、警察に捕らえられ禁固10年の刑を宣告されてしまう。
 やがて、移送されることになったアルゼンは、護送されるトラックから脱走を試みる。大捕り物の末に、アルゼンは傷つき倒れる。そのアルゼンの命と入れ替わりに、サンギータは彼との子供を産み落とすのだった…。
  
 
 



「Balidaan」
下段右からハリバンシャ、キラン・K・C、マダン・クリシュナ
 

 
 
 主人公アルゼンを演じたハリバンシャ・アーチャーリャー(1958〜)と並んでクレジットされているのはキャプテン・サーグ役のマダン・クリシュナ・シュレスタ(1950〜)である。このキャプテン・サーグ、カウボーイハットにヒゲで、西部劇きどり。チャールズ・ブロンソン(1921〜2003)を思い起こさせる。初めは民主化運動とは距離を置いているが、やがて同志に加わる。腕っ節はめっぽう強く、アルゼンが逮捕された際には同志を指揮して救出作戦を展開するなど、リーダーシップを発揮する。
 ハリバンシャとマダン・クリシュナの2人
(*1)は、ネパールで絶大な人気を保つコメディアン・コンビで、2人の頭文字を取って 「マハ・ジョリ(मह जोडी/マハ・コンビ)」と称されている。ここでも、2人のことを以後「マハ」と呼ぶことにしたい。二人については山本真弓(1958〜)の著書「ネパール人の暮らしと政治/『風刺笑劇』の世界から」(1993年10月 中公新書)に詳しく紹介されているが、風刺を得意とする反体制派のコメディアンである。1984年には政府による無差別大量虐殺を風刺した演劇の内容が政府の怒りを買い、逮捕されたが、民衆の勢いに対抗できず、28時間後に釈放されたそうである(*2)
 ただ悲しいかな、僕のネパール語力が無いのと、ネパールの社会情勢を知らなさすぎるのが原因で、その批判性や面白さは彼らの映画を何度観たところで、なかなか理解できないでいる。

 この他、警察長官カルナ・ドーズ役のニール・シャハがなかなかいい味を出している。彼はアルゼンを執拗に追いながらも、いつしか友情のような深い絆が生まれる。最後は捕り物で傷つき瀕死となったアルゼンに拳銃を向ける。そしてまた彼もまたキャプテン・サーグの拳銃に倒れるという、涙ながらの名演技を見せている。ニール・シャハは大御所俳優で、監督もこなす人だとのこと。
エリック・ヴァリ(1952〜)監督の「キャラバン」(2000年フランス/ネパール/スイス/イギリス)でも共同プロデューサーを務めている。


 この作品は当時のビレンドラ国王(1945〜2001/在位1972〜2001)が政党政治を認めるに至った1990年の民主化運動をテーマとしている。この民主化運動では、マハの2人も知識人の一人として、抗議のストライキに参加するなど、大きな役割を演じたそうである。
 こうしたことから、ストーリーは明らかにシリアスな社会派映画と言えるのだが、随所にミュージカル・シーンが挿入されていることに驚かされる。例えば、アルゼンが収容された刑務所で、囚人の一人が看守に撲殺されたことで暴動に発展するシークエンス。死んだ仲間への追悼の歌が、そのまま暴動につながっていく。いとも簡単に牢獄の鉄格子や壁を破壊する囚人たち。だが、機動隊によって彼らは鎮圧され、元の牢獄へ戻される…。このように、ミュージカル・ナンバーが、ストーリーの展開にも大きな意味があることが多く、しばしばリアリティを損なっているようにも感じる。このシーンは、結果的に何も変化が無かったことなので、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」 (2000年デンマーク)のように、主人公が見た幻想だったのかもしれない…。

 こうした、一見不必要とも思えるミュージカル・シーンは、隣のインドのヒンディー映画からの影響だろう。しかしながら、映画大国インドに比べれば、ネパール映画は予算も規模も限りがあるようだ。「バリダーン」の場合も美術や技術面でどうしてもお粗末に見えてしまう。そんなこともあるからだろうか、ネパールの映画好きはあまりネパール映画は観ない。もっぱらインド映画やハリウッド映画に足を運ぶそうなのである。
 実際、その後カトマンズの繁華街タメルでネパール映画のDVDを購入しようとしたところ、置いてある店を探すのが大変であった。置いてある場合でも、店頭には無く、店の奥から出してくるということがしばしば。どの店もアメリカ映画やヒンディー映画は所狭しと並べてあるのに…。やはりネパール映画を観る人は少ないということらしい。

*1 ネパールではファーストネームで呼ぶのが慣習なので、ここでもそれに従う。
*2 山本真弓「『マハ』―パンチャーヤト体制下で育った風刺コメディアン」(日本ネパール協会編「ネパールを知るための60章」所収)83ページ
 
 
 
◆テレビ映画「カンティプール」と環境汚染
 
 
 



「Kantipur」
上段中央がマダン・クリシュナ、下段左がハリバンシャ
中央下はサロズ・カナール
 

 
   
 せっかく「マハ」というコメディアンを知ったのだから、彼らの映画をしばらく追いかけることにした。
 次に観た彼らの作品は「
कान्तिपुर(Kantipur/カンティプール)」。監督・脚本をマハの2人が担当した作品である。ビデオCDのパッケージには詳しいデータが載っていないため、詳細は不明だが、2人の素顔の写真(写真下)が、「バリダーン」の時より若いように思えるので、1997年より前に製作された作品と思われる。なおこの作品は学生に聞いたところ、テレビ映画として製作されたものらしい。それだからだろうか、ネパール映画おなじみのミュージカルシーンがこの作品にはまったく出てこない。

 題名の「カンティプール」とはネパールの首都カトマンズの古い名前で、新聞やテレビ局の名前にも使われている。VCDのパッケージ写真を見ると、古い時代のネパールを描いた時代劇映画かと思われる。
 映画の冒頭、きらびやかな衣装を身に着け、家臣や侍女を従えたマダン・クリシュナが美女の舞を眺めながら悦に入っている。マダン・クリシュナの役どころはラジャ(王様)だろうか。ところが、マダン・クリシュナは魔法で美女に椅子や褒美を与える。さらに、電話がかかってくる。どうやら、マダン・クリシュナが演じているのは人間ではなく神様のようなのである。彼の名は「ヤマラーズ(
यमराज)」。冥府の王で、いわゆる閻魔大王である。ここは冥府の都市ヤマローグなのだ。
 冥府には様々な罪人が送られてきている。やがて、一人の男がヤマラーズの前に連れて来られる。それがハリバンシャの役どころ。老け役で、「バリダーン」の時のヒーローぶりからは想像もつかない。彼は自殺して地獄へ送られてきた。ヤマラーズの前で、彼はなぜ自分が自殺をするにいたったのか、生前のことを話し始める…。
    
 
 



「Kantipur」
上下とも左ハリバンシャ・アーチャーリャー、右マダン・クリシュナ・シュレスタ
 

 
 
  回想が始まり、男の日常生活が描かれる。男は妻と孫息子と暮らしている。男が外出すると、道行く街の人たちが次々と苦情を訴えてくる。男は地区の長なのであった。 
 ハリバンシャは様々な町の問題に取り組む。中でも環境汚染が大きな問題となっている。ハリバンシャの奮闘と裏腹に、却って問題が次々と引き起こされてくる。牛が死に、子供が病気になる。
 彼の幼い孫息子もまた、汚染によって重い病気にかかってしまう。仕事に忙殺されたハリバンシャが病院へかけつけた時はすでに遅く、孫は息を引き取った後だった。自分の解決できなかった問題で孫が死んだことで、彼は絶望のあまり自らの命を絶ってしまう…。
 
 
 



カトマンズの繁華街にあふれ返ったゴミ
               (2007年2月19日)
 

 
 
 ところで、ハリバンシャが心悩ませているカトマンズの環境汚染は、今日大きな社会問題となっている。中でもゴミの問題は、日常的にも目にすることが多いだけに深刻である。カトマンズでは、一応ゴミの収集のシステムはある。だが、日本のようにきちんと日時が定められているわけではないため、住民はいつでも好きな時にゴミを捨てることができる。それも、ビニール袋には入れず、そのまま道路に投げ出している。だから、異臭がひどい。雨の日などは、そこから流れ出す汚水で歩くのにも一苦労だ。また、ネパールでは「バンダ(
बन्द)」と呼ばれるストライキが何かにつけ行われるため、ひどい時には1週間以上もゴミがそのままになっていたりする。収集されたゴミの処分もまた大きな問題で、カトマンズ郊外の埋立て所はすでに許容量を超えているのだとか…。新しいゴミ処理所を作るにも、周辺住民の反対でなかなかうまく行かないそうである。映画の中でも、ハリバンシャが集めたゴミを捨てようとしてあちこちで住民の反対に合う場面が出てくる。なるほど、彼が死ぬほど悩むわけである。
 
 
 
 ヒンズー教では自殺は罪ということで、ハリバンシャはヤマラーズによって責め苦を負わされる。

 ヤマラーズはヤマローグから逃げ出した2人の冥府の役人の行方を探している。彼は透視で日本やアメリカを探すが見つからない。この時ヤマラーズが覗き見た日本が登場するが、これが何と浅草の風景。しかも三社祭の最中なのである。流れるBGM は「♪赤いランプを灯した船が汽笛泣かせて…」と、都はるみ(1948〜)の「馬鹿っちょ出船」だったりする。結局、彼らはネパールにいることがわかり、ヤマラーズはカトマンズのことを隅々まで知ったハリバンシャを連れて行くことにする。
 2人はカトマンズにやって来る。この時ヤマラーズが乗っているのは水牛の背中。後になってこの水牛が捕らえられて肉になり、モモ(ネパール餃子)にされてしまうというギャグがある。ヒンズー教は戒律で牛を食べないが、水牛に関しては問題ないのである。
 2人はカトマンズのあちこちを歩いた後、パシュパティナート寺院へやって来た。このヒンズー教の聖地で、ヤマラーズはその汚さに驚く。
 
 
 



パシュパティナート寺院
 

 
 
 前項でも少し触れたが、パシュパティナートはヒンズー教の聖地で、ヒンズー教徒は死ぬとこの地で焼かれ、遺骨はバグマティ川に流される。実際のバグマティ川も、聖地とは思えないほど に汚れている。
 このパシュパティナートは、現在世界遺産に登録されている。カトマンズには他にも幾つかの寺院が世界遺産登録されているが、ヤマローグの宮殿の場面はそんな寺院の中庭で撮影されたようである。
 
 
 



「Kantipur」
 

 
   
 一方、ハリバンシャの息子夫婦が、ドイツからカトマンズへ帰って来る。そして息子と父の死を知り愕然とする。悲しみと汚染のあるこの国には住めないと、息子の妻はドイツへ帰って行くが、息子 (サロズ・カナール)は一人ネパールに残る。そして、父の遺志を継いで、町を綺麗にしようとするのだった。彼は、街の人たちと協力して街の掃除を始める。そして、汚染問題の解決を政府にも働きかける…。
 やがて、町はすっかり綺麗になり、彼の妻もドイツから帰ってくる。バグマティ川も綺麗になり、女神ガンガが清流の中で踊っている。その様子を見て満足そうに笑うヤマラーズとハリバンシャだった。
 
 
 



トリブヴァン国際空港の正門
                (2007年3月5日)
 

 
 
 この映画の中には、カトマンズのトリブヴァン空港が出てくる。しかし、現在空港の入り口にある正門(写真上)が映画の中では見あたらない。この門には「His Majesty Birendra Golden Jubilee Birthday Gate A.D.1995」と書かれているから、1995年に作られたものである。つまり、映画が製作されたのもそれ以前だということになる。ところが、映画の記述とは裏腹に、カトマンズの汚染問題は10年以上経った現在も、まったく解決していないのである。
 マハ喜劇の特色は、社会風刺である。つまり、この映画の中で描かれた結末というのは、彼らによるアイロニー(皮肉)なのかもしれない。
   
 
 
◆「ジェ・ボ・ラムライ・ボ」

 3本目の「マハ」映画は「
जे भो राम्रै भो(Je Bho Ramrai Bho)」(2003年)。
 この映画は「バリダーン」や「カンティプール」にも出演していたキラン・K・Cがプロデュースし、ハリバンシャが脚本・監督・主演を務めている。題名は「何をやってもうまくいった」 ぐらいの意味であろうか。
 ハリバンシャ演じる主人公ナビンが久しぶりにカトマンズの家に帰ってくるところから物語が始まる。ナビンは、友人のビデオレンタルで働き始めるが、向かいの家に住む娘ナビナ (ジャル・シャハ)に恋心を抱く。映画の前半ではナビンが彼女を射止めるために様々なトラブルを起こす様が面白おかしく描かれる。
 ナビナに「I Love You」という映画があるかと聞かれたナビンは、その映画の代わりに自分で彼女に向かって「I love you」と言う告白ビデオを撮影して渡す。ところが、そのビデオをナビナは家族と共に見てしまったものだから、母親が激怒。ナビンはナビナの家族に袋叩きにあってしまう。
 ナビナの夢がアメリカに行くことだということを知ったナビンは、兄の名前でアメリカの大学の奨学生となって彼女にプロポーズ。見事彼女を射止めることに成功する。
 
   
 
 



「Je Bho Ramrai Bho」(2003年)
上、左よりマダン・クリシュナ・シュレスタ、ラジェス・ハマール、
ハリバンシャ・アーチャーリャー
 

 
 
 今まで観たマハ映画の、真面目さ深刻さに比べると、この映画は明るいムードで展開する。だが、それも最初のうちだけだった。中盤になると、映画のムードは一転して暗いものと化す。
 ナビナと涙の別れで空港にやって来たナビンだったが、空港で友人に見咎められたことから、偽の名前の使用がバレてしまい、アメリカに行くことができない。怒った彼は、その夜友人の家に押しかけると彼のことを打ちのめした。その時、何者かが投げたククリ(ネパール刀)が友人のわき腹に突き刺さり、ナビンは殺人者として捕らえられてしまう。
 
 ナビナはナビンとの息子を生むが、殺人者の子であることを嫌った母によって、その子は妹の子とされ、彼女自身もむりやり精神薄弱の男と結婚させられてしまう。
 一方のナビンは、マダン・クリシュナ演じる“先生”と呼ばれる囚人仲間に諭され、獄中で猛勉強を始めるのだった。

 この作品はミュージカル・シーンもふんだんに挿入されている。とりわけ、ナビンとナビナが、塀の中と外から相手のことを想いながら歌う曲が切ない。

 ある日、刑務所に入所してきた一人の囚人。それは、あの夜、ナビンの友人を殺した男であった。それでナビンは刑務所を出ることができた。出所後タクシーの運転手になったナビンは、偶然ナビナ母子を乗せるが、彼はタクシーの料金も受け取らず去っていく…。
     
 
 



「Je Bho Ramrai Bho」
上段左からラジェス・ハマール、ジャル・シャハ、ハリバンシャ・アーチャーリャー
下段左からハリバンシャ、マダン・クリシュナ・シュレスタ、ラジェス・ハマール
 

 
 
 この映画はマハ・コンビの作品だが、マダン・クリシュナはほとんど端役に過ぎない。むしろナビンの囚人仲間で、後に政治家になるサンブ・バハドールを演じるラジェス・ハマールが活躍を見せる。
 サンブの率いる政党は、政府に抗議して「バンダ」に突入する。このバンダとは、「閉鎖」の意味のネパール語であるが、いわゆるストライキのことで、公共交通機関は停まり、店舗は閉まってしまう。1990年の民主化運動や、国王が政党に政権を放棄した2006年の民主化運動の際にたびたびこのバンダが行われた。いや、2007年現在でも、ことあるごとに政党や人権グループの呼びかけでバンダが行われ、ネパールの社会問題となっている。
 バンダの際には、抗議デモが併せて行われることが多い。この映画でも、抗議デモと警官が衝突。警官の発砲によって、偶然そこを通りがかったナビナが銃弾に倒れてしまう。ナビナを病院に運んだのは、ナビンのタクシーだった。

 政治家になったサンブは一緒に国のために働かないかとナビンを誘う。最初は固辞するナビンだったが、先生の取り成しで、サンブの申し出を了承する。テレビで演説するナビンの姿を見たナビナはそっとブラウン管に口づけをする。その彼女の前にナビンが姿を現す…。
        
 
 
 2001年に宮廷内の銃乱射事件によって急死したビレンドラ王の後を継いだ弟のギャネンドラ王(1947〜)は、翌年議会を解散すると政党活動を禁止し、直接統治に乗り出 した。この「ジェ・ボ・ラムライ・ボ」は、そんな時期の民主化運動をテーマに取り上げた社会的な作品であるが、「バリダーン」のような深刻さは無い。ナビンの強引なプロポーズ作戦の前半では大いに笑わされ、後半の二人のすれ違いの恋に思わずほろりとさせられる。
 笑いと涙、そして社会批判性が見事に融和したマハらしさのある優れた作品だと言える。
   
 
 



1990年民主化運動で抗議集会に参加する
マダン・クリシュナ(左)とハリバンシャ
(「ネパール人の暮らしと政治」より)
 

 

 2006年4月の民主化運動の結果、ビレンドラ国王は政権を放棄。現在、選挙に向けての準備が進められている。当初2007年7月に行われる予定であった選挙は相次ぐ延期の末、12月現在も一向に実施される見込みが立っていない
(*3)
 マハの2人は最近は選挙キャンペーンのテレビCMに出演している。その一方で、彼らはかつて「僕らは常に反体制派だ。(略)会議派政府ができても共産党政府ができても、僕らは常に反体制派であり続けるよ」と述べていた
(*4)が、今後、新しい政権が誕生した時、マハの作品はどのように変わって行くのだろうか、興味は尽きない。

 マハは今年2007年にも最新作「
श्राद्ध(Shraddha)」が公開されたばかりである。先日カトマンズのDVDショップで、マハの作品を探してもらったところ、彼らの舞台を撮影したものも含め全部で20タイトル以上もあった。今回ここで紹介した3作品は、彼らの活動のごく一部でしかない。いずれまた改めて紹介することもあるだろう。

*3 2008年4月10日にやっと選挙が実施され、ネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)が第1党となった。
*4 山本真弓「ネパール人の暮らしと政治」199ページ
 
     
 



1990年民主化勝利を祝う
ハリバンシャ(中央左)とマダン・クリシュナ
(「ネパール人の暮らしと政治」より)
 

 
 
 ネパールにいる以上、ネパール映画を観なければいけない。そう思って、ネパール映画を観始めたのだが、言葉の壁は想像以上に大きい。僕の乏しいネパール語では作品の粗筋さえ理解するのが困難であったりする。僕の日本語の学生を始めとする、身の回りのネパール人にいろいろと協力してもらい、何とかこうして形にすることができた。今回は山本真弓氏の著書などで日本でも比較的よく知られている「マハ・コンビ」を取り上げたが、これからも様々な角度からネパール映画を紹介していきたいと思う。
 日本にいるとなかなかネパール映画に触れる機会がない。ひょっとしたらこのエッセイが、ネパール映画に関する数少ない貴重な資料になる可能性も考え、できるだけ詳細にストーリーを紹介するように務めた。また、従来の「映画史探訪」のように体系立てて作品を観たり、資料をあまり参照しておらず、内容がやや行き当たりばったりになってしまっているような気がするが、その辺りは事情を察してご了承いただきたい。いずれにせよ、この エッセイを読んで、一人でもネパール映画に興味を持ってくれる人がいたとすれば、それに勝る喜びは無い。
  
 
 

(2007年12月30日)
 

 

(参考資料)
山本真弓
「ネパール人の暮らしと政治/『風刺笑劇』の世界から」1993年10月 中公新書
野津治仁「それでもやっぱり映画が観たい」(石井溥編「アジア読本/ネパール」所収)1997年3月 河出書房新社
小倉清子「王国を揺るがした60日/1050人の証言・ネパール民主化闘争」1999年10月 亜紀書房 
山本真弓「『マハ』―パンチャーヤト体制下で育った風刺コメディアン」(日本ネパール協会編「ネパールを知るための60章」所収)2000年9月 明石書店


 僕のネパール生活についてはブログ「たこのあゆみ」(
http://st-octopus.at.webry.info/)を参照 してください。
 
 
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