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スカイライン50年の歴史

2007年にV36型スカイラインが登場し、そして、スカイラインという車はついに半世紀という記念の年になりました。
ちょうど10年前(1998年)に現在の愛車R34を購入して、今年でその半世紀の5分の1の年月が経ちました。
この歴史ある車のユーザーに自分がなれたというのは、とても光栄なことであり、未だに色あせることのないR34を、出来るだけ長く乗って行きたいと思っています。

スカイラインを購入して、このサイトを立ち上げて、それなりにスカイラインについて知識を蓄えましたが、これほど長い歴史を誇るスカイラインですから、ちょっとやそっとの勉強ではとても網羅出来るものではありません。
このページは、皆さんにスカイラインの歴史を少しでも知ってもらうのと同時に、自分自身が文章を書くことによって、スカイラインを勉強するために設けました。

僕のスカイラインの知識は大した事はありません。リアルタイムで走っているスカイラインはケンメリが初めてだし、広く浅く知っているというのが本音です(それすら怪しいかもorz)。
であるからして、さまざまな文献を利用して、出来るだけ自分の言葉でスカイラインの歴史を紐解いて見ようと思います。

中には文献にある文章をそのまま流用することがあります。後ほど文献は紹介しますが、文章そのものがどこから流用されたのかは省略させていただきます事をご了承下さい。
また、僕の主観が入る文章がありますが、あくまで僕の主観であり、それを押し付けようとは考えていません。
ご覧になる方の考えがあって当然だと思いますので、その点に関してもご了承お願いいたします。

ここで書いた言葉は、所詮は自分の言葉なので、かなり言葉足らずなところもあり、まだまだ不勉強です。ですから、もっと詳しくスカイラインについて知りたいという方は、各出版社から発行している文献を、自分なりに調べていただくのも、きっとスカイラインの世界を広げるのに役立つのではないかと思います。
当時のトップグレードモデル(またはそれに準ずるモデル)のスペックをそれぞれの文章の最後に付しておきます。ただし、このサイトの性格上、R35GT−Rを除いて、5台のGT−Rのスペックは表では紹介しません。あくまで”FRスカイライン”のトップグレードを紹介することにします。
また、スペック表はいずれも4ドアです。

目次です。ご覧になりたい項目をクリックして下さい。

プリンス自動車黎明期
ALSID−1、ALSID−2、BLRA−3(初代)
S50系(2代目)
PRINCE R380
C10系(3代目・愛のスカイライン)
C110系(4代目・ケンとメリーのスカイライン)
C210系(5代目・スカイラインジャパン)
R30系(6代目・ニューマン・スカイライン)
R31系(7代目・7thスカイライン)
R32系(8代目・超感覚スカイライン)
R33系(9代目・あした、スポーティに生きる)
R34系(10代目・DRIVING BODY)
V35系(11代目・性能から、新しい高級は生まれる)
V36系(12代目・日本の車に、ときめきが帰ってくる)
R35GT−R



プリンス自動車黎明期

当時はまだ日産自動車ではなく、プリンス自動車工業という会社から発表された1台ですが、一番最初は立川飛行機と中島飛行機でした。
この2社は、もともと戦闘機を製作していた会社で、第二次世界大戦が終戦したあとに飛行機製造から民生分野に進出を強いられる事になったのです。

立川飛行機においては、終戦翌年の1946年に電気自動車の開発が進められ、試作車も完成させたものの、当時支配下にあったアメリカ軍の管理下におかれることになってしまったのです。
このあおりで事実上失業した従業員約200名によって設立されたのが東京電気自動車です。
のちに市販型電気自動車を発表し、その車名が由来となり、1949年にはたま電気自動車に社名変更になります。
しかし、朝鮮戦争の特需により電気自動車の心臓であるバッテリー価格が高騰し、ガソリン自動車生産への方向転換を強いられる事となりました。
電気自動車がなくなったこの会社は、1951年にたま自動車に社名を変更し、翌年にはガソリン車初モデルを発表しています。当初のネーミングは「たま」でしたが、当時の明仁皇太子(現在の天皇陛下)が立太子礼を行ったことにちなみ「プリンス」と名付けられ、皇太子殿下も愛用された車でもありました。
プリンス自動車の由来はここからであり、同年11月に「プリンス自動車工業」、「プリンス自動車販売」が設立されました。

一方の中島飛行機は、敗戦を機に富士産業と社名変更し、平和産業への転換を図ろうとしたものの、GHQにより財閥解体がなされ12の会社に分割されてしまいます。その一つが富士精密工業という、ディーゼルエンジンからミシン、映写機など幅広い事業を展開する会社でした。
分割された中島飛行機の荻窪製作所と浜松製作所を母体として、戦闘機で培った高い技術力をそのまま保持することとなったのです。

1954年にプリンス自動車工業と富士精密工業が合併し、社名は「富士精密工業」となりました。

そして1957年、初代スカイラインALSID−1が発表され、1961年にはプリンス自動車工業と再び社名を変更、スカGに大きく影響を与えた「グロリア」も発表され、後の歴史に至るわけです。

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ALSID−1、ALSID−2、BLRA−3(初代)

スカイライン50年の歴史の記念すべき1歩を踏み出したのが、これから紹介するALSID−1スカイラインです。

スカイラインという名前の由来は、開発者の桜井眞一郎氏が志賀高原にスキーに出かけ、横手山の頂上から見えた景色をヒントとしたとされています。桜井氏が初代〜7thスカイラインまで開発主管を務めた話はご存知の方も多いでしょう。

当時の日本車はアメリカ製の車がモデルになっていることが多く、初代スカイラインも例に漏れず、当時最大の特徴であるテールフィンが当時を偲ばせます。
発表当時のコンセプトは高級自動車で、今思うと、現在の高級志向のスカイラインに共通するものがありますね。
エンジンはG1型と呼ばれ、排気量1,484cc直列4気筒OHVで60psの出力でした。現在の軽自動車より劣る最高出力ですが、当時はこれでも高性能な部類だったのでしょう。このエンジンは以後改良され、ALSID−2(1のマイナーチェンジ版)では70psに高められました。トルクも当初の10.75kg−mから11.5kg−mに引き上げられます。

ALSID−1の特徴は、外観ではやはりアメ車を思い起こさせるテールフィン、そして2灯ヘッドライトでしょう。性能面では、当時の定番であるウィッシュボーンを前輪に、そして当時の国産車ではこのモデルが唯一採用となったドディオン・アクスルです。
ドディオン・アクスルとは、現在のセミトレーディングアーム式独立懸架の前身であり、ウィッシュボーン式のようにデフギヤのケースと後車軸が一体ではなく、つなぎ目にユニバーサルジョイントが挟まれています。したがって、後車軸は独立懸架と同じような動きで路面に応じて上下するわけです。当時のスカイラインは他車に比べ乗り心地が良かったそうですが、このドディオン・アクスルが要因となっているようです。

前述の通り、ALSID−1のマイナーチェンジ版がALSID−2です。1960年に登場しました。
1との外観上の違いは、当時国産車初だった4灯ヘッドライトの採用です。
エンジンはパワーアップされ70ps、トルクも11.5kg−mに改良されました。
寸法は1と全く変わりませんが、乗車定員は1名減の5名となります。

その2年後、ジョバンニ・ミケロッティがデザインしたBLRA−3、通称スカイライン・スポーツが発表になります。スカイライン初のクーペであり、またスカイラインの歴史上唯一のコンバーチブルがあるモデルでもあります。
エンジンはGA30型をボアアップし、排気量は1,862cc、最高出力も94ps、最大トルクも15.6kg−mと大幅に引き上げられ、最高速は150km/hを誇りました。

この他にも、BLSID−3(通称スカイライン・スーパー)や、バンタイプのALVG−2(通称スカイウェイ)があります。

ALSID−1スペック概要
主要諸元・装備 プリンススカイライン1500
車名形式 ALSID−1
寸法(全長・全幅・全高、単位mm) 4,280/1,675/1,535
エンジン形式 GA30型
エンジン種類、気筒数 直列4気筒/OHV
総排気量(cc) 1,484cc
最高出力(ps/rpm) 60ps/4,400rpm
最大トルク(kgm/rpm) 10.75kgm/3,200rpm
トランスミッション コラム式マニュアル(4速)
タイヤ(前) 6.40−14−4PR
タイヤ(後) 6.40−14−4PR
ブレーキ(前・後) ドラム
車両重量 1,310kg
乗車定員 6名
発売当時価格 120.0万円

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S50系(2代目)

ALSID−1以降のモデルのような高級車を提案していたプリンス自動車でしたが、1963年に発表したS50系は一転して、ファミリーカーとしての提案をしました。
エンジンは前モデルと同様G1型で、ALSID−2とスペックも同様でした。
ただし、前モデルが1.310kgも車重があったのに対し、S50ではなんと980kgと1tを切る数値です。公証の最高速度はなぜか車重のある前モデルが上(140km/h。S50は135km/h)でした。
このエンジンは最終的に88ps/12.2kg−mにまで性能を上げファミリーカーのスタンダードとなったのです。

ご存知の通り、第2回日本グランプリでポルシェ906をブチ抜いた伝説のモデルです。サーキットを沸かせた初めてのスカイラインです。

このモデルの特徴は、2年間または4万km保証のエンジン封印、1年間3万kmのグリスアップ不要という、メンテナンスフリーの採用です。これは今までにどの車も採用したことがなく、当時の自動車技術会から技術賞を受賞しています。これも最終型では6万kmのノーグリスアップにまで性能が引き上げられています。
スカイラインのイメージと言えば、やはりスカGであり、スカイラインとしては初めて”GT”というエンブレムをつけたS50型ですが、当時の開発主管の桜井氏が目指したのはスポーツ性能ではなく、実はこのメンテナンスフリーだったのは意外でした。
また、当時としては初のモノコックボディを採用し、前述の通り前モデルより300kg以上も減量に成功したのです。
計器盤は、当時のカタログにも載っておりますが、ガラスがないと見まごう程反射を抑えたものとなっております。

S50系で人気の高いS54A、S54Bは、実は特殊モデルで、エンジンルームを当時のグロリアのエンジンG7型を入れるためにロングノーズに改造し、レースに出場させるためのホモロゲーションモデル(S54A−1、100台のホモロゲーション)でした。
ハイエンドモデルはS54B(2000GT−B)で、当時としてはハイスペックの125ps/17.0kg−mのエンジンでした。最高速は180km/hを誇り、R34まで続いた通称”赤バッジ”はこのモデルが最初でした。
ちなみに”青バッジ”はS54A(2000GT−A)に採用され、僕の愛車R34の25GTにも青バッジが輝いています。

外観上の特徴は、非GT系に比べて明らかに長いロングノーズ、GTバッジ、丸目テールランプの採用です。”スカG”の歴史を語る上で絶対に外せない外観上の特徴がこの車には全てつまっているのです。

S54B(前期型)スペック概要
主要諸元・装備 プリンススカイライン2000GT−B
車名形式 S54B−2
寸法(全長・全幅・全高、単位mm) 4,255/1,495/1,410
エンジン形式 G7型
エンジン種類、気筒数 直列6気筒/OHC
総排気量(cc) 1,988cc
最高出力(ps/rpm) 125ps/5,600rpm
最大トルク(kgm/rpm) 17.0kgm/4,400rpm
トランスミッション フロア式マニュアル(4速)
タイヤ(前) 5.60−13−6PR
タイヤ(後) 5.60−13−6PR
ブレーキ(前・後) ディスク/ドラム
車両重量 1,070kg
乗車定員 5名
発売当時価格 89.5万円

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PRINCE R380

正確にはスカイラインではありませんが、スカイラインの歴史を語る上で外せないモデルです。
その風貌から、レース専用に製作された事は明らかで、当然市販される事はありませんでしたが、後のスカイラインに大きな影響を与えたマシンです。

このマシンがレースに出場したのは、第3回日本グランプリ(1位、2位、4位)と第4回日本グランプリ(2位、3位)で、プリンスの技術が余すことなくつぎ込まれています。
S54A、S54Bに採用されたG7型に端を発し、ポルシェ906を破るべく開発されたレース用エンジンGR8は、直列6気筒DOHC、197psというハイスペックなエンジンで、これをミッドに積み、茨城県矢田部のテストコースで、当時の国際記録を非公認ながら次々と破ったのです。
このマシンは、後のS20型エンジン、PGC10GT−Rに多大な影響を与えることになりました。

R380−2スペック概要
主要諸元・装備 プリンスR380
車名形式 R380−2
寸法(全長・全幅・全高、単位mm) 3,980/1,685/,985
エンジン形式 GR8型
エンジン種類、気筒数 直列6気筒/DOHC
総排気量(cc) 1,996cc
最高出力(ps) 220ps
ブレーキ(前・後) ディスク/ディスク
車両重量 590kg
乗車定員 2名

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C10系(3代目・愛のスカイライン)

旧車市場では未だ絶大な人気を誇る通称”ハコスカ”。キャッチコピーは”愛のスカイライン”です。
C10系は1968年7月に登場し、奇しくもその2年前に日産自動車とプリンス自動車が合併し、プリンスの名が消えた”日産スカイライン”初代モデルでもあります。
登場当時はS54(A、B)のような6気筒エンジン搭載車はなく、4気筒の1500cc(C10 G15型88ps)のみのグレード構成でした。1年1ヵ月後に1800ccエンジン(PC10 G18型100ps)が登場し、またワゴン(1800cc)もグレードに加えられ、路線としては完全にファミリーカー路線でした。
G15型エンジンは、当時のプリンス自動車が開発したエンジンで、完成度の高さはさすがプリンスと言わしめてしまう性能でした。前モデル最終型であるS57型にも搭載されていたので、日産ブランドではあったものの、1500ccモデルは、日産シャシーにプリンスエンジンという、今となってはとても貴重な存在なのでした。

このモデルの特徴は、今なお人気の高いサーフィンラインです。このサーフィンラインは1970年10月に登場したハードトップにも共通してデザインされ、このモデルを象徴するデザインです。
サーフィンラインはC110型、C210型に受け継がれ、スカイラインを語る上で欠かせないものになります。

1800ccエンジン登場の1ヶ月後である1968年9月に、S54の後継である2000GTが登場しました。前モデル同様4気筒シャシーをロングノーズ化し、当時セドリックで実績のあったL20型エンジンを搭載します。このエンジンはC110型、C210型、S30型フェアレディZにも採用され、長い間日産のトップグレードのエンジンとして君臨しました。

2000GTが登場してから5ヵ月後、1969年2月に登場したのが、PGC10型、初代スカイラインGT−R(4ドア)です。
前項で述べたR380のレーシングエンジンをデチューンしたS20型は、直列6気筒DOHC1989ccで、当時としては脅威の160ps(7,000rpm)を叩きだし、最高速度は実に200km/hを誇りました。
またこのエンジンは、わが国初の4バルブエンジンでもあります。今でこそ当たり前の4バルブエンジンですが、当時の先進技術を惜しげもなく投入する姿勢は、現在のGT−Rにも共通するところです。

外観上の特徴は、ハコスカの特徴でもあるサーフィンラインが、レーシングタイヤを履かせる前提で大型化されたタイヤハウスのアーチによって寸断されています。
このカットされたサーフィンラインが、マニア垂涎の的となり、現在でも400〜500万円で取引される一方、2000GTのサーフィンラインを切ってタイヤハウスを大きく改造した、いわゆる”R仕様”も沢山登場しました。

PGC10型が登場した翌年10月ハードトップ登場とともに発表されたのが、KPGC10型です。そう、ハードトップのGT−Rです。
4ドアGT−R同様、フェンダーアーチは切られ、サーフィンラインが寸断されたデザインです。

GT−Rの50連勝の伝説は、ここでは語るまでもないと思いますので割愛しますが、R34まで続いたサーキットでのGT−Rの活躍、そして2008年から新たに始まるであろうR35GT−R伝説は、S54の活躍を経て、このモデルから連戦連勝伝説の1歩を踏み出したのです。

GC10(前期型)スペック概要
主要諸元・装備 日産スカイライン2000GT
車名形式 GC10
寸法(全長・全幅・全高、単位mm) 4,400/1,595/1,390
エンジン形式 L20型
エンジン種類、気筒数 直列6気筒/OHC
総排気量(cc) 1,998cc
最高出力(ps/rpm) 115ps/5,600rpm
最大トルク(kgm/rpm) 16.5kgm/3,600rpm
トランスミッション フロア式マニュアル(4速)
タイヤ(前) 6.45S−14−4PR
タイヤ(後) 6.45S−14−4PR
ブレーキ(前・後) ディスク/ドラム
車両重量 1,095kg
乗車定員 5名
発売当時価格 86.0万円

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C110系(4代目・ケンとメリーのスカイライン)

1972年9月、フルモデルチェンジによって登場した4代目。キャッチコピーは”ケンとメリーのスカイライン”。そう、通称”ケンメリ”です。
この時代から自動車を取り巻く環境は厳しくなり、折りしもかの”オイルショック”の時代に生まれた車です。歴代のスカイラインの中では販売面では一番の成功作であるこのケンメリ、実は性能面では必ずしも恵まれたモデルではなかったように思います。

グレード展開はベースモデルの1600ccとミドルグレードの1800ccの両4気筒モデルに、6気筒モデルのGT、GT−X、それぞれ最初から4ドアセダンと2ドアハードトップが用意されました。
また、前モデル同様ワゴンとバンも用意され、幅広いバリエーションがありました。
全てのモデルにサーフィンラインがデザインされ、前モデルの伝統を引き継いだ形になりました。

4気筒モデルはG16型とG18型。前モデル同様プリンスの息が掛かったエンジンでしたが、1975年10月に行われたマイナーチェンジでこのエンジンは姿を消しました。
原因は昭和50年排ガス規制に適合させるために、新たに製作されたL16型とL18型に転換を強いられたからです。これによりプリンスの息が掛かったエンジンは姿を消すことになります。
これに関しては後述するKPGC110に搭載されたS20型に関しても似たような状況で、ケンメリ登場から4ヵ月後の1973年1月に登場したKPGC110は、それが原因で同年4月に生産中止に追い込まれてしまいます。結果、KPGC110はたった197台しか生産されず、そのレア度から、現存するKPGC110は700万円オーバーが当たり前になっているようです。

6気筒モデルは、前モデルに引き続きエンジンはL20型。4気筒モデルをロングノーズ化し6気筒エンジンを入れるという、前モデルと同様の手法を採用しています。
4気筒モデルと6気筒モデルの外観上の違いは、2ドアはロングノーズか否かと、フロントグリルが違う程度の違いですが、4ドアはそれに加えて、6気筒モデルは丸目4灯テールレンズ、4気筒モデルは異型6連テールレンズと、前後左右どこから見ても違いがはっきりわかるような差別化が図られています。

前モデルとの大きな違いは、居住性を重視し車体が大型化したことです。これにより居住性は大幅にアップしましたが、前モデルほどの軽快感は薄れてしまいました。
また、S54以来の丸目4灯テールレンズも採用され、以来、このテールレンズはスカイラインの代名詞にもなっていったのです。

1973年1月に登場した2代目GT−R(KPGC110)は、前述の通り環境に恵まれず、3ヵ月後に生産中止の憂き目に遭い、レースにただの1度も出場することなく姿を消してしまいました。それ以来、1989年にR32GT−Rが登場するまで16年に渡りGT−Rは姿を消すことになります。
外観上の特徴は、前モデル同様、サーフィンラインを寸断したホイールアーチです。そして175HR14ラジアルタイヤが採用され、さらにスカイライン初の4輪ディスクブレーキも採用されました。
エンジンは前モデル同様S20型。スペック等は変更されませんでしたが、バケットシートを採用し、ヒーターもラジオもない、実に硬派なモデルでした。

モデルバリエーションも豊富で、スカイライン史上一番売れたモデルではありますが、時代背景によりマイナーチェンジを強いられ、バリエーションを増やさざるを得なかったのかと思うと、決していいことばかりではないモデルであったような気になります。
ちなみに、僕がリアルタイムで初めて見たスカイラインがこのケンメリです。そういう意味で思い出のモデルでもあります。

GC110(前期型)スペック概要
主要諸元・装備 日産スカイライン2000GT
車名形式 GC110
寸法(全長・全幅・全高、単位mm) 4,460/1,625/1,395
エンジン形式 L20型
エンジン種類、気筒数 直列6気筒/OHC
総排気量(cc) 1,998cc
最高出力(ps/rpm) 120ps/6,000rpm
最大トルク(kgm/rpm) 17.0kgm/4,000rpm
トランスミッション フロア式マニュアル(5速)
タイヤ(前) 6.45S−14−4PR
タイヤ(後) 6.45S−14−4PR
ブレーキ(前・後) ディスク/ドラム
車両重量 1,125kg
乗車定員 5名
発売当時価格 89.0万円

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C210系(5代目・スカイラインジャパン)

スカイラインは他車に先駆けて新技術を投入し続けてきた車でありました。初代ALSID−1ではドディオンアクスルや4灯ヘッドライト、2代目ではメンテナンスフリーであるエンジンやシャシー、国産車初のカタログ数値180km/hの最高速度、3代目ではS20型エンジンが国産初の4バルブツインカムを採用、4代目のGT−Rは4輪ディスクブレーキを奢り、当時のスカイラインは最先端の代名詞でもあったわけです。

しかし、それを阻んだのが排ガス規制です。
前モデルが誕生する直前に排ガス規制がなされたため、C10系と比べて少々キバを抜かれた感があったC110系でしたが、1977年登場のC210系はその排ガス規制の影響をモロに受けた格好になりました。
よく話がのぼるのが、当時のライバル車であるセリカに「名ばかりのGTは道をあける」と皮肉られたというエピソードです。これぞまさに排ガス規制対策に出遅れてしまった証明でしょう。いや、立ち遅れていたわけではないけれど、適合車でも不足ない性能を叩きだすという意味では、ライバルたちに一歩及ばなかったというのが真相ではないかと思います。

C210系登場当時のグレードは、比較的バリエーションが豊富だった前モデルをしのぐ数です。従来モデルと同様、4気筒モデル(TIシリーズ)に比べ6気筒モデル(GTシリーズ)はロングノーズで、4ドアセダンと2ドアハードトップ、1800ccのワゴンがラインナップされています。
エンジンバリエーションは4気筒がL16型(1600cc)、L18型(1800cc)、EGI仕様のL18E型(1800cc)の3種類、6気筒がL20型、EGI仕様のL20E型の4種類がメインのエンジンラインナップとなっています。
外観上の特徴は、先々代から続くリヤフェンダーのサーフィンラインと、4気筒モデルと6気筒モデルでフロントマスクの形状を変えている(これは先代同様)部分でしょうか。
排ガス規制で突出していた性能がなくなってしまい、ライバル車に揶揄されていたGT系は、1979年10月にセドリック/グロリアに日本車として初めて搭載したL20Eのターボ仕様(L20ET型)を、1980年4月にスカイラインにも採用しました。
基本ベースは直6OHCながら従来の130psから15psアップの145ps(5,600rpm)にまで引き上げ、ファンを驚かせることになります。
さらに1980年6月には、スカイライン初のディーゼルエンジンLD28型を搭載した”ディーゼルGT”が発表になります。
4気筒モデルは、従来のL型から、昭和53年排ガス規制に合わせ、それぞれZ16、Z18と名前を変えてTIシリーズに搭載されることとなりました。

キャッチコピーである”スカイラインジャパン”は、環境対策に翻弄されながらも、徐々にスカイラインの底力を見せつけていったモデルとなりました。

HGC211(前期型)スペック概要
主要諸元・装備 日産スカイライン2000GT−L
車名形式 HGC210
寸法(全長・全幅・全高、単位mm) 4,600/1,625/1,390
エンジン形式 L20型
エンジン種類、気筒数 直列6気筒/OHC
総排気量(cc) 1,998cc
最高出力(ps/rpm) 115ps/6,000rpm
最大トルク(kgm/rpm) 16.5kgm/4,000rpm
トランスミッション フロア式マニュアル(5速)
タイヤ(前) 185/70SR14
タイヤ(後) 185/70SR14
ブレーキ(前・後) ディスク/ドラム
車両重量 1,190kg
乗車定員 5名
発売当時価格 129.9万円

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R30系(6代目・ニューマン・スカイライン)

歴代スカイラインモデルの中で、初代を除いて、唯一4気筒モデルがトップグレードという極めて珍しいモデルです。1981年8月に登場したR30系は、カタログに俳優のポール・ニューマンを採用したことから、”ニューマン・スカイライン”をキャッチコピーにしました。

ただ、登場当時はやはり6気筒モデルがトップグレードであることに変わりはなく、グレード構成も前モデルを継承し、4気筒モデルはTI、6気筒モデルはGTと以前と変わらないグレード構成でした。
エンジンは4気筒モデルでは1600ccエンジンがなくなり、Z18型は継承、Z20型(2000cc)が新たに登場しました。
6気筒モデルも、L20E型、L20ET型、LD28型の3タイプと、従来通りのエンジンラインナップです。
外観上の特徴は、過去3代続いたサーフィンラインが廃止され、以前にも増して四角い印象を与えるデザインとなりました。ボディ構成も4気筒モデルと6気筒モデルが共通ボディとなり、セダン、ハードトップ、ワゴンを廃止し5ドアハッチバックを新たに加え、3タイプのボディ構成となりました。
また、前モデルにあったディーゼルGTは、セダンとハッチバックには継承されましたが、ハードトップは廃止になっています。

そのグレード構成だけを見ると、GTはあるけれど、ターボもあるけれど、どちらかと言えばおとなしめな感じが否めないんですが、それも2ヵ月後の1981年10月に一変します。
「RS」グレードの追加です。

S20型以来、本格的なスポーツエンジンを持たなかったスカイラインが、満を持して搭載したエンジンがFJ20型です。
FJ20型エンジンは日産が新開発したニューエンジンで、水冷直列4気筒DOHC、わが国初の4気筒エンジン16バルブ(1気筒当たり4バルブ)を採用し、最高出力はS20型には及ばないもののL20ETをしのぐ150ps(6,000rpm)、最大トルクも18.5kg−m(4,800rpm)をほこり、現代のエンジンから見てもスペック的には全く古さを感じないほど高性能なエンジンになりました。
日産の技術進化は進み、1年半後の1983年2月にはFJ20DETエンジンが登場、4気筒ターボエンジン初の1気筒当たり4バルブを採用し、最高出力はついにあのS20型を超え、190pc(6,400ps)となり、最大トルクは23.0kg−m(4,800rpm)に大幅に引き上げられました。
しかもこれだけ最高出力が大幅に引き上げられたにも関わらず、燃料消費率は60km/h定地、10モードともに2%の燃費向上が見られたといいます。まさに当時のRS登場時のキャッチコピー、”史上最強のスカイライン”に相応しい進化を遂げたといえます。

FJ20DETが登場してわずか半年、1983年8月にはマイナーチェンジが行われ、現在でも人気の高いグリルレスの”鉄仮面”にフェイスリフトが行われました。
このモデルになっても技術進化は留まることなく進み、ECCS(エンジン電子集中制御システム)、RS−Xに採用されたプラズマスパークという点火システムと、世界初の技術を2つも投入するなど、技術の日産を印象付けました。

また、FJエンジンが登場してからレースにも積極的に参加するようになります。
1982年5月にはスーパーシルエット、1985年6月にはグループA参戦と、ハコスカGT−Rの時代にサーキットから消えたスカイラインは、FJエンジンとともに復活し、R34GT−Rの時代まで、サーキットを縦横無尽に駆け巡ったのです。

DR30(前期型)スペック概要
主要諸元・装備 日産スカイライン2000ターボRS
車名形式 DR30
寸法(全長・全幅・全高、単位mm) 4,595/1,665/1,385
エンジン形式 FJ20DET型
エンジン種類、気筒数 直列4気筒ターボ/DOHC
総排気量(cc) 1,990cc
最高出力(ps/rpm) 190ps/6,400rpm
最大トルク(kgm/rpm) 23.0kgm/4,400rpm
トランスミッション フロア式マニュアル(5速)
タイヤ(前) 195/60R15 86H
タイヤ(後) 195/60R15 86H
ブレーキ(前・後) ベンチレーテッドディスク/ディスク
車両重量 1,225kg
乗車定員 5名
発売当時価格 269.1万円

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R31系(7代目・7thスカイライン)

スカイラインの長い歴史の中で、ここまではっきりとキャラクターを変えようとしたモデルは、僕はR34からV35への移行を除いて記憶にありません。
R30からR31にフルモデルチェンジを遂げたのは1985年8月でしたが、明らかに大きな違いは、R31のラインアップが4ドアのみのラインナップで登場したということです。
当時のハイソカーブームで、トヨタのマークU、チェイサー、クレスタがもてはやされていた時代で、それに追随する形で誕生したR31は、”ソフトマシーン”というキャッチフレーズで、兄弟車のローレルとともにトヨタに対抗しました。
これはR34からV35に移行したパターンによく似ていますが、スカイラインのイメージを明らかな意図を以って変えようとしたV35とは違い、ライバルに引っ張られる形の、いわば消極的な方向転換と言えるのではないかと思います。
事実、V35にクーペが追加され、スポーツクーペとしてではなくラグジュアリークーペとして路線を一本化したのとは違い、4ドアと性格が異なる2ドアクーペを誕生させたことで、その消極性が浮き彫りになったのではないでしょうか。

R31の特徴は、デザイン的には前モデルを踏襲した形となっており、エンジンはFJ20型を1代で廃止したのを始め、従来のL型など全てのエンジンを一新して、新たにRBエンジンをデビューさせたことでしょう。
4気筒エンジンと6気筒エンジンの2本建てのエンジン構成は不変で、1800ccは4気筒のCA18S(100ps)に一本化、2000ccは6気筒のRB20E(130ps)、RB20ET(170ps)、RB20DE(165ps)、RB20DET(210ps)の4台のガソリンエンジンとRD28(100ps)のディーゼルエンジンという、5台のエンジンをグレードごとに振り分けるという手法です。
4ドアセダン、4ドアハードトップの他に、ハッチバックを廃止しステーションワゴン(1986年1月登場)を復活させ、3タイプのボディ構成としました。

グレード構成は、ベーシックモデルがエクセル、上級モデルがパサージュと名付けられ、従来のスポーツイメージからはかけ離れた構成になっています。
ファンの要望に応える形で、1986年5月に2ドアスポーツクーペGTSを発表、世界初のGTオートスポイラー、ハイキャス4WSやABS、セラミックターボを採用し、”ソフトマシーン”というキャッチフレーズからは想像もつかない先進技術を次々と投入しました。
1986年9月には4ドアハードトップにもGTSというグレードが追加され、徐々にスポーツイメージを取り戻した格好になっていきます。

1987年8月にマイナーチェンジが行われ、グループAホモロゲーションモデルのGTS−Rが800台限定で発表。R32GT−Rの基礎ともなったモデルで、グループAで活躍し、残念ながらメイクスタイトルは逃したものの、長谷見昌弘/A・オロフソン組でドライバーズタイトルを獲得するなど、当時のライバルであったフォード・シエラと壮絶なバトルを繰り広げることになります。

GTS−Rの他にも、ニスモバージョンやオーテックバージョンなど、GTSターボをベースとした限定車が多いのもR31の特徴で、ラグジュアリー志向で誕生したこのモデルは、スポーツモデルの進化でしめくくり、後のモデルに影響を与えるのでした。

HR31(前期型)スペック概要
主要諸元・装備 日産スカイラインセダンGTパサージュターボ
車名形式 HR31
寸法(全長・全幅・全高、単位mm) 4,650/1,690/1,400
エンジン形式 RB20ET型
エンジン種類、気筒数 直列6気筒ターボ/SOHC
総排気量(cc) 1,998cc
最高出力(ps/rpm) 170ps/6,000rpm
最大トルク(kgm/rpm) 22.0kgm/3,200rpm
トランスミッション フロア式AT(4速)
タイヤ(前) 195/60R15
タイヤ(後) 195/60R15
ブレーキ(前・後) ベンチレーテッドディスク/ディスク
車両重量 1,350kg
乗車定員 5名
発売当時価格 265.0万円

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R32系(8代目・超感覚スカイライン)

時はバブル最盛期、当時日産が立ち上げていたプロジェクト「901運動(1990年までに走りの性能で世界一を目指すプロジェクト)」の中心的モデルとして1989年5月に登場したR32型、キャッチコピーは”超感覚スカイライン”です。

R32では少々乱立気味だったグレード構成を徹底的に整理し、登場時のエンジンは4台。4気筒はCA18i(91ps)の1機種のみ(セダン1800GXi)で、残りは全て6気筒と、ほぼ全車が”スカG”となりました。
6気筒のエンジンバリエーションは2000GTEに積まれたRB20E(125ps)と、DOHC化されたRB20DE(155ps)、ターボ仕様のRB20DET(215ps)。シングルカムターボやディーゼルエンジンは廃止されました。
グレード構成は、1800ccモデルのGXiと2000ccシングルカムエンジンのGTEがセダンのみに設定されたほかは、2000GTS、2000GTS TypeS、2000GTS−t、2000GTS−t TypeM、2000GTS−4の各グレードがセダン、クーペともに設定されました。
前モデルGTS−Rに搭載されていたRB20DETは5psアップの215psまで引き上げられ、多くのファンによって愛されることとなりました。
エンジン以外の特徴的な性能は、ターボ系には16インチホイール、NAには15インチホイールと差別化を図り、スーパーハイキャスをスポーティグレードに設定、マルチリンクサスペンションもこの時代から採用になりました。

トップグレードとしてはやはり2000GTS−t TypeMと2000GTS−4でしょうか。
この2車種はエンジンがRB20DETと共通で、GTS−tがFR、GTS−4がその名の通り4WDです。もちろんスカイライン初の4WDでもあります。
GTS−4はアテーサE−TSを採用し、通常走行ではFR化し、路面状況に応じて前輪にトルクを配分し4WD化するシステムです。後のR33GTS−4、R34GT−FOURやGT−X FOURにも採用され、定番の4WDシステムとなりました。
1991年8月にマイナーチェンジとなり、新たに2500ccモデルが登場しました。RB25DEを搭載したGTS25TypeXは、セダン、クーペともに設定され、AT車はスカイライン初の5速ATを採用し、次世代モデルへの足がかりを作るきっかけとなりました。
いうまでもなく、僕のR34はこのエンジンです。

R32といえば、やはりGT−Rの復活を語らないわけにはいきません。

R32登場から3ヶ月、満を持して登場した16年振りのGT−R(BNR32)。このモデルが開発された一番の理由は実にストイックで、グループAで勝つことのみを目的としたレーシングマシンなのです。
実際、新開発されたRB26DETT(最高出力280ps/6,800rpm 最大トルク36kg−m/4、400rpm)は、市販というよりレースに十分耐えられるだけの性能を持ち、市販スペックは相当デチューンした状態だと言われています。
そしてエンジンの排気量が2600ccであることにも注目しなければなりません。
当時グループAの規定は”排気量×ターボ係数1.7=4500ccを超えないようにということでした。RB26DETTの2600ccというのはその限界値ギリギリまで計算され尽くした絶妙の排気量なのです。
幅広タイヤを履かせるために前後にブリスターフェンダーを備え、スカイライン初の3ナンバー車にもなりました。
16年前と違うのはそのエンジン性能だけではなく、アテーサE−TS、マルチリンクサスペンション、スーパーハイキャスなどのハイテクメカを惜しげもなく投入していることにあります。当然4WDです。
これ以外にもありとあらゆるメカを搭載し、ややもすればオーバースペックとも思えるほどのその性能は、全てグループAのためなのです。
1993年2月にはVspecが受注生産で登場し、ブレンボ製ブレーキキャリパーと大径ローター、さらにスカイライン初の17インチアルミホイール(225/50R17)を奢られます。このモデルは次モデル以降、レギュラーモデルとなりました。

そして実戦投入されたGT−Rは、ただの1度も黒星をつけることなく、グループAが廃止になるまで圧倒的な強さを見せ続けたのです。グループAが廃止になると、今度はN1レースに舞台を移します。グループAに比べ改造範囲の狭いN1でもその素性をいかんなく発揮し、再び連戦連勝を重ね、GT−Rでなければ勝てないと言われるまでになったのです。

特別仕様車としてNAのRB26DEエンジンを搭載したオーテックバージョンが登場したのも、このGT−Rの影響です。スカイラインファンにとって残念だったのが、AT仕様車のみの販売だったことで、明らかに販売戦略上の都合が見て取れたことです。
このRB26DEは最高出力220ps(6,800rpm)、最大トルク25.0kg−m(5,200rpm)で、コンセプトとしてはGT−Rの4ドアNA版といったところです。外観上もGT−Rと同様のフロントグリルとなりますが、シートはGTSと同じで、少々中途半端感が否めない印象が、発売当時に感じました。

スポーツモデルとして絶大な人気を誇ったR32ですが、その陰ですっかり目立たない存在となった1800GXiと2000GTE、実はこのようなベーシックモデルを、桜井眞一郎氏はとても大事にしていたという話です。
4気筒モデルのスカイラインで注目を浴びるのははやりFJエンジンを積んだDR30ぐらいなもので、低グレードモデルはせいぜいおまけ程度の簡単な説明が付く程度。雑誌を見ても低グレードにはほとんど目もくれず、その存在が忘れられがちですが、桜井氏の記事を読んで考えさせられた覚えがあります。
僕も含めて、スカイライン=6気筒というイメージが強いですが、ちょっといい話だなぁと思ったので、この話をR32の締めにしたいと思います。

HCR32(前期型)スペック概要
主要諸元・装備 日産スカイライン4ドアスポーツセダン2000GTS−t TypeM
車名形式 E−HCR32
寸法(全長・全幅・全高、単位mm) 4,580/1,695/1,340
エンジン形式 RB20DET型
エンジン種類、気筒数 直列6気筒ターボ/DOHC
総排気量(cc) 1,998cc
最高出力(ps/rpm) 215ps/6,400rpm
最大トルク(kgm/rpm) 27.0kgm/3,200rpm
トランスミッション フロア式AT(4速)
タイヤ(前) 205/55R16
タイヤ(後) 205/55R16
ブレーキ(前・後) ベンチレーテッドディスク/ベンチレーテッドディスク
車両重量 1,310kg
乗車定員 5名
発売当時価格 243.7万円

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R33系(9代目・あした、スポーティに生きる)

R32は絶大な人気を誇り、スカイラインの歴史の中でもファンが特に多いモデルとなりました。
ただ、スポーツに振り過ぎたために後席が狭いという指摘もありました。
R33はR32の性能を維持しつつ居住性を上げようという目的で開発され、1993年8月に登場しました。

最大の特徴は2つあり、全車3ナンバーボディとなったことと、全車6気筒エンジンとなったことです。つまり、全車”スカG”となり、当然全てのモデルにGTバッジがつけられました。
エンジンは3種類で、RB20E(セダンGTSのみに採用。130ps)と、RB25DE、RB25DETです。
やはり注目すべきはRB25DETでしょう。時代の流れから、どのアッパーミドルクラスも2500ccモデルを主力に置いている(税制緩和の影響)ようで、スカイラインもその流れに乗った形になりました。
グレード構成はシンプルで、GTS、GTS25ともに、ベーシックグレードとTypeGというラグジュアリーグレードを設定し、GTS25t TypeMは基本的に1グレードとなります。アクティブLSD仕様車もクーペに限って設定されました。

R33が登場して、1年半ほど過ぎた1995年1月、かねてから待たれていたBCNR33GT−Rが登場しました。
最高出力こそ当時の自主規制値280psのままですが、最大トルクは37.5kg−m(4,400rpm)まで引き上げられました。
ベース車の大型化に合わせるように、ブリスターフェンダーによってさらにワイド感が増したGT−Rは1,780mmまで全幅が広げられました。
先代を踏襲するハイテクメカは熟成が図られ、またタイヤは専用開発タイヤのエクスペディアS−07(ブリヂストン、245/45R17)を履かせます。
さらに先代では受注生産だったVspecをレギュラーモデルとし、ノーマルGT−Rとの違いにアクティブLSDの採用があります。もちろんサーキット仕様です。
レースの活躍は周知の通りなので割愛しますが、国内だけではなく世界にGT−Rの名を知らしめるモデルでした。

また、レギュラーモデルではないけれど、オーテックによる4ドアセダンのGT−Rの登場も大きな話題を呼びました。大型可変式リヤスポイラーこそつかないものの、R32とは違いメカニズムもGT−Rとほぼ同じで、限定生産ながら、PGC10以来の4ドアGT−Rはファンを喜ばせました。

一般的に、R33の大型化を快く思っていない意見が多いようです。居住性は確かに上がったが、スカイラインをここまで大きくする必要はないとの批判も浴びました。
それだけR32のコンパクトなパッケージングが好まれたという証拠でしょうが、R32の時には、後席が狭いという批判を浴びているのです。
日産にしても、居住性アップのために性能をダウンさせるのはもちろん本意ではなく、むしろR32より走りの質は上がっているはずなのですが、やはりその見た目がR32に対して鈍く見えてしまうのかもしれません。
別のページで後述しますが、ファンに愛され、ファンに翻弄されたモデルがこのR33では顕著なのではないでしょうか?
ハコスカC10系からケンメリC110系に変わった際も、そのボディの大型化を批判された経緯がありますが、ここまでではなかったように思います。
結果的に、次モデルではリサイズされるわけですが、これもファンの声を聞きすぎた結果でしょう。
ファンの声は大切ですが、ファンに流される車作りであってはならないと思います。

1996年1月にマイナーチェンジを実施、大幅なフェイスリフトを行いました。メカニズムに変更はありませんが、リヤスポイラーやフロントバンパーの形状が変わり2ドアクーペはよりスポーティに変わります。

ECR33(前期型)スペック概要
主要諸元・装備 日産スカイライン4ドアセダンGTS25t TypeM
車名形式 E−ECR33
寸法(全長・全幅・全高、単位mm) 4,720/1,720/1,360
エンジン形式 RB25DET型
エンジン種類、気筒数 直列6気筒ターボ/DOHC
総排気量(cc) 2,498cc
最高出力(ps/rpm) 245ps/6,400rpm
最大トルク(kgm/rpm) 28.0kgm/3,200rpm
トランスミッション フロア式AT(4速)
タイヤ(前) 205/55R16
タイヤ(後) 205/55R16
ブレーキ(前・後) ベンチレーテッドディスク/ベンチレーテッドディスク
車両重量 1,400kg
乗車定員 5名
発売当時価格 297.5万円

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R34系(10代目・DRIVING BODY)

R33で大きくなりすぎたと批判を浴び、ダウンサイジングを行い、1998年5月に登場したのがR34です。
このサイトがR34をメインにしていることもあり、細かい説明は割愛しますが、R33との大きな違いは、R33GT−Rを元に見直され、R33GT−Rと同等とされたボディ剛性、RB25DETがついにGT−Rとカタログ数値上最大出力が同じになったこと。全車ツインカム化されたことでしょう。

技術面での進化は、2500ccエンジン搭載車の2WD車のATがM−ATxとなり、日産車初のセミオートマチックトランスミッションが搭載されたことが大きなニュースです。また、RB25DE搭載2WD車はLEV化され、唯一の2000ccモデルであるGT(RB20DE)はリーンバーンエンジンを搭載し、環境対策にも乗り出した点でしょうか。
グレードはセダン、クーペともにRB25DET搭載車が2車種(25GT−TURBO、25GT−X TURBO)づつ、RB25DE搭載車が4車種(25GT−X、25GT、25GT−X FOUR、25GT−FOUR)づつ、RB20DE搭載車(GT)が1車種づつと縮小されました。
前期型では限定車種として25GT−Vがセダン(1999年2月)、クーペ(2000年1月)ともに登場、25GT−TURBOのシャーシ(NAに比べボディ補強がなされ、足周りもNAと別パーツを使用。)にNAのRB25DEを載せ、ボディバランスが一番優れたモデルとして人気を博しました。
2000年8月にはマイナーチェンジを行い、フェイスリフトを行ったと同時に、GT−Vがレギュラーモデルとなりましたが、販売面では”不人気車”だったため、歴代スカイラインの中でももっとも短命な3年1ヶ月を持って、2001年6月、V35にバトンを渡して、寂しく去って行ったのです。

1999年1月にR34GT−R(BNR34)が登場し、最後の直6GT−Rとしてバリエーションも3グレードありました。ノーマル、V−spec、V−specN1の3車種です。
また、追加モデルとしては本革シートや専用のサスペンションで高級仕様のM−spec(2001年5月)、V−specにN1仕様のエンジンを搭載したV−specニュル(2002年1月)があり、V35が登場したあともR34として販売していましたが、排ガス規制により2002年8月29日にラインオフされた車両を最後に、最後の直6スカイラインは姿を消すことになりました。

レースでの活躍は言うに及ばず、全日本GT選手権シリーズチャンピオンに輝いたこともありましたが、改造範囲の広いGTでは、GT−Rの優位性は以前ほどではなく、V35とシャシーを共通するZ33フェアレディZにバトンを渡し、残念ながらサーキットからもスカイラインが消えてしまいました。

ER34(前期型)スペック概要
主要諸元・装備 日産スカイライン4ドアスポーツセダン25GT−X TURBO
車名形式 GF−ER34
寸法(全長・全幅・全高、単位mm) 4,705/1,720/1,375
エンジン形式 RB25DET型
エンジン種類、気筒数 直列6気筒ターボ/DOHC
総排気量(cc) 2,498cc
最高出力(ps/rpm) 280ps/6,400rpm
最大トルク(kgm/rpm) 34.0kgm/3,200rpm
トランスミッション M−ATx(4速)
タイヤ(前) 225/45R17
タイヤ(後) 225/45R17
ブレーキ(前・後) ベンチレーテッドディスク/ベンチレーテッドディスク
車両重量 1,450kg
乗車定員 5名
発売当時価格 320.5万円

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V35系(11代目・性能から、新しい高級は生まれる)

直6スカイラインの時代が終わり、日産が提案した新しいアッパーミドルコンセプトカーXVLに、新たにスカイラインと名付けて、2001年6月にV35スカイラインが誕生しました。
このV35の特徴は、前後の荷重をFRの理想である50:50になるように設計したことです。もちろんそうなるためにはフロントミッドシップにすることが不可欠。エンジンをV型6気筒にすることによって、エンジンルームをコンパクトにし、スペースの有効活用が出来るのです。
実際にV35の後席に座ると、従来のスカイラインでは考えられないような広さに驚かされます。
もちろんそれだけではなく、運転のしやすさ、視界、操作性、乗り心地とあらゆるところをチューニングして、完成度の高い車作りをしています。

外観上の特徴は、直6時代とあまりに大幅に変わったため一言では言い表せませんが、何と言ってもスカイラインのアイデンティティだった丸目4灯テールレンズが”一時”廃止されたことです。”ケンメリ”C110系から続いたこのテールランプが、XVL採用によって、新意匠LEDテールランプに変更になったのです。
また、このシャシーを他車と共有しているのも大きな特徴で、後に登場するクーペはもちろん、Z33フェアレディZ、M35ステージアともシャシーを共通にしています。XVLのシャシーで、4ドアセダン、ステーションワゴン、2シータークーペ、4シータークーペの4車種が出来てしまうのです。
そして、今までほぼ国内仕様だったスカイラインが、海外、特に北米に輸出されるようになったのも大きな特徴でしょう。グローバルカーの役割も担っているのです。

グレード展開は登場当時はセダンのみ。エンジンはVQ30DD(300GT 260ps、33.0km−g)とVQ25DD(250GT 215ps、27.5kg−m)で、それぞれにノーマル、Sコレクション、Pコレクションとグレード展開されています。

2002年1月に追加モデルとして、3500ccモデルの350GT−8とクーペがラインナップされ、クーペでは丸目4灯テールランプが復活しています。
350GT−8は8段変速マニュアルモードのパドルシフトが標準装備となり、高級感と同時にスポーティな雰囲気も味わえるようになっています。
クーペは19インチホイールがメーカーオプションとなり、セダン350GTプレミアムとともに6速マニュアルと5M−ATxを備えています。

2004年11月にマイナーチェンジしたV35ですが、外観に大きな変化が起こります。前期型で廃止になったはずの丸目4灯テールレンズが復活しているのです。この点に関しては後述します。

V35の登場は大きな波紋を呼びました。直6エンジンからV6エンジンへの転換、レースを積極的に行ってきたスカイラインが高級路線にシフト(”性能から、新しい高級は生まれる。”というキャッチコピーでそれは明らかだと思います。)したこと、前述した丸目4灯テールレンズの廃止、”スカイラインは後席が狭い”という風評を根底から覆す広い後席など、沢山の変化がありましたが、そのいずれもが、V35に対して批判的なものだったように思います。
ただ、日産は新しいFMプラットフォームで開発を進めて行くことに決め、従来のスカイライン像からの脱却を図る意味でXVLにスカイラインという名をつけたのだと思います。事実、日産のスタッフはXVLのスカイラインのイメージにギャップがある事を認めており、当初からスカイラインとして開発されたわけではないとも認めています。そして、従来のスカイラインのブランドをリポジショニングする時期だとも語っているのです。
これは僕の考え方ですが、ファンに翻弄されてきたスカイラインだから、ここまでイメージを変えたのだから、ファンの声を聞き過ぎないようにしようという日産の考えがそこにあったのではないかと思います。
当初僕も、V35の登場に戸惑いを感じました。今までのスカイラインとV35を重ね合わせようとしたからだと思います。
しかし日産は覚悟を持ってイメージチェンジを決めた。だからXVLをスカイラインと名付け、新しいスカイラインの歴史を作ろうとしたのだと思います。姿形は変わっても、スカイラインの従来のコンセプトは先端技術を投入することに変わりはなかったからです。僕はそれを支持しました。

残念だったのは、マイナーチェンジしてから丸目4灯テールレンズが復活してしまったことです。あそこまで決意していたはずなのに、新しいスカイラインで推し進めていくはずだったのに、なぜそこで伝統を引っ張りだそうとするのか、実に不可解でした。
理由はいくらでも挙げられます。直6で育ったスカイラインファンには、V35はスカイラインではないから、せめて直6時代のアイデンティティだったテールをつけようだとか、売上が伸びないからだとか、おそらくそういうことでしょう。
ただ、車を育てて行くというのはそういうことではないと思うのです。Z33は初期型と現行型との性能が違うという話を聞きます。同じ兄弟車なのにです。
せっかくのコンセプトなのだから、そのコンセプトを大事に育てていくことが、新しい伝統を作りだす事になるのではないでしょうか。日産はまたファンの声を聞き過ぎるという過ちを犯してしまうのでしょうか。

V35(後期型)スペック概要
主要諸元・装備 日産スカイライン4ドアセダン350GT−8
車名形式 CBA−PV35
寸法(全長・全幅・全高、単位mm) 4,750/1,750/1,470
エンジン形式 VQ35DE型
エンジン種類、気筒数 V型6気筒/DOHC
総排気量(cc) 3,498cc
最高出力(ps/rpm) 272ps/6,000rpm
最大トルク(kgm/rpm) 36.0kgm/4,800rpm
トランスミッション エクストロイドCVT−M8(8段変速器付き無段変速)
タイヤ(前) 235/45R18 94W
タイヤ(後) 235/45R18 94W
ブレーキ(前・後) ベンチレーテッドディスク/ベンチレーテッドディスク
車両重量 1,580kg
乗車定員 5名
発売当時価格 392.0万円

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V36系(12代目・日本の車に、ときめきが帰ってくる)

2006年12月、通常より長いサイクルを経て、V36スカイラインが誕生しました。
シアトル・マリナーズのイチロー外野手、俳優の渡辺謙氏をイメージキャラクターとし、”日本の車に、ときめきが帰ってくる”というキャッチコピーでFMプラットフォーム2代目のV36を本格的に売りだそうという意図が見えるCMでした。
そのキャッチコピーから見えることは、V35で培った新しい技術にスポーツマインドを加えようという日産の意図が見え隠れします。
基本的にはキープコンセプト。エクステリアもインテリアもV35より洗練されたイメージです。

V35後期で復活した丸目4灯テールレンズは継承、7インチワイド液晶モニターを標準装備し、オーディオ、エアコン、燃費計算などの表示、操作をタッチパネルでを行い、オプションのチューナーやカーナビゲーションによって、マルチな機能が楽しめるようになっております。
AV関係と言えば、コンソールボックス内に映像・音声入力端子が全車に標準装備されました。車載DVDプレイヤーなどを接続するためです。
350GTのTypeSPとTypeSには、マグネシウムパドルシフトが標準装備され、このパドルでシフトを楽しむ事が出来ます。
内装のフィニッシュもさまざまな選択肢があり、イメージに合わせて選ぶことが出来るようになっています。

全体の印象は、アメニティに時間を掛け、V35よりも高級仕様にしたという印象を受けますが、操作性でも注目すべき点があります。
別の欄で後述しますが、チルトステアリングやテレスコピックスステアリングがV35に引き続いて採用されています。スポーツ走行をする上で絶対に必要な機能が付いたことで、適切なドライビングポジションが取りやすくなったというのは実に喜ばしいことだと思います。
また、R34まではキーを入れて、V35ではエンジンダイヤルを回してエンジンを始動する方法でしたが、V36ではプッシュエンジンスターターとなりました。
後席は少々狭くなったかなとい印象を受けますが、それでも直6時代から見るとずっと広く、実用性はまず問題はないと思います。

2007年10月にはクーペも追加発売になりました。クーペの資料がないので、資料が手に入り次第執筆することにします。

エンジンはスカイライン初の300psオーバーとなり315psなったVQ35HRエンジン。従来モデルより43ps(セダン比。V35セダンはクーペより8ps出力が少ない。)もパワーアップし、VQ25HRも従来モデルより10psアップ、エンジンバリエーションもこの2モデルのみ。
グレード構成はVQ35HR搭載車は350GT TypeSP、TypeP、TypeSの3グレード、VQ25HRは250GTと4WDの250GT FOURに分けられ、それぞれ標準仕様、TypeP、TypeVがあり、全部で9グレード。全て5M−ATxです。

まだ登場して1年以上の現行車なので、伝統や伝説はこれからになると思います。

V36(後期型)スペック概要
主要諸元・装備 日産スカイライン4ドアセダン350GTTypeSP
車名形式 DBA−PV36
寸法(全長・全幅・全高、単位mm) 4,755/1,770/1,450
エンジン形式 VQ35HR型
エンジン種類、気筒数 V型6気筒/DOHC
総排気量(cc) 3,498cc
最高出力(ps/rpm) 315ps/6,800rpm
最大トルク(kgm/rpm) 36.5kgm/4,800rpm
トランスミッション 5M−ATx
タイヤ(前) 225/50R18
タイヤ(後) 245/45R18
ブレーキ(前・後) ベンチレーテッドディスク/ベンチレーテッドディスク
車両重量 1,600kg
乗車定員 5名
発売当時価格 362.0万円

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R35GT−R

R34スカイラインGT−Rが2002年8月に、排ガス規制のあおりを受けて現行車ラインから姿を消して5年あまり、満を持して登場したのがこのR35GT−Rです。
ただ、残念ながら”スカイライン”の文字は消え、日産GT−Rとしての登場ですが。
モーターショーなどでそのシルエットは何度も雑誌等で紹介されてきましたが、実際に世に出て驚いたのは、そのスペックと価格です。
300psオーバーの車がが少しづつ登場してきていましたが、日本車では驚異的な480ps!
そしてGT−R初のATが時代を感じさせます。

R34とは以前とは違いV6エンジンですが、型式はR35であることが、スカイラインGT−Rの後継モデルということを感じさせます。
下記のスペックだけを見ても今までの日本車ではありえなかったその動力性能。これでベース車の価格が777万円というのはバーゲンプライスと言えるでしょう。

この車に関しても資料がないのでここまでしか書けないのですが、レースへの出場準備も進んでおり、今後の活躍が実に楽しみな一台である事は間違いありません。

R35(後期型)スペック概要
主要諸元・装備 日産GT−R3.8 プレミアムエディション
車名形式 CBA−R35
寸法(全長・全幅・全高、単位mm) 4,655/1,895/1,370
エンジン形式 VR38DETT型
エンジン種類、気筒数 V型6気筒/DOHC
総排気量(cc) 3,799cc
最高出力(ps/rpm) 480ps/6,400rpm
最大トルク(kgm/rpm) 60.0kgm/5,200rpm
トランスミッション 6速AT
タイヤ(前) 255/40ZRF20
タイヤ(後) 285/35ZRF20
ブレーキ(前・後) ベンチレーテッドディスク/ベンチレーテッドディスク
車両重量 1,740kg
乗車定員 4名
発売当時価格 834.0万円

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参考文献;ザ・ヒストリー・オブスカイラインspecial最終保存版(笠倉出版社 1,429円税別)
       The絶版車File特別企画伝説SKYLINE FILE(インフォレスト 933円税別)
       T Love SKYLINE(ネコ・パブリッシング 1,429円税別)
       Nostalgic Hero2004年8月号(芸文社 762円税別)
       R34スカイライン4ドアカタログ(前期)、V35スカイラインカタログ(後期)、V36スカイライン4ドアカタログ(前期)
参考サイト;MSN自動車
       NISSAN MUSEUM

各車両の画像は管理人が撮影した写真以外は、MSN自動車のサイト、NISSAN MUSEUMから転載した画像です。不都合な点がございましたら削除いたします。
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編集後記

実はスカイラインの歴史に関していうと、皆さんが一般的に知ってることしか知りませんでした。それすら怪しいかも。笑
今回このコンテンツを書きあげるに当たって、色んな資料を読み漁りました。
生き字引の方には負けるにしても、少しでもバックボーンを知ることが出来たのは財産かなって思います。
伝統って凄いですね。
ちなみに、ハコスカのPGC10とKPGC10の違いは何かなとずっと思ってたんですが、Kっていうのはハードトップの意味だったんですね。
ジャパンの時代まで続いていたようです。

このページを作成するに当たって感じた事は、世のスカイラインを紹介している雑誌で、ベーシックモデルのセダンに関して、いかに触れている雑誌が少ないかというのを思い知らされました。
4気筒に関しては、FJを積んだDR30以外は、ほとんど話題にも上らず、ハイエンドモデルは常にGT−R、少し寂しい気持ちになりました。
ATしか発表していないV35、V36のセダンに関しては、MTを発表すべきだと訴えている雑誌まである始末。理想は理想として、日産が考えている理想を無視した書き方をしている雑誌のなんと多いことか。

R32の欄で桜井眞一郎氏がベーシックモデル(特に4気筒)のスカイラインを大事にしているという話は、そういう意味で記しておきたかった。
マイナーなモデルかも知れないけれど、それもスカイラインであり、それがなければスカイラインではないんですよね。
何事もベースがあって、それからスポーツモデルがあるという事を忘れかけていた我々にとって、このページを通じてそれを思い起こさせるきっかけになってくれれば嬉しいです。

2008.3.30 23:20執筆完了