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スカイラインは幸せであり不幸せな車だったような気がします。
もともとスカイライン神話が始まったのは、1964年(僕が生まれる7年前です)に普通のファミリーカーだった4気筒のスカイラインにグロリアの6気筒エンジンを積んだのがそもそもの始まりで、そのエンジンをスカイラインに積むためにエンジンルームを大きくしたのです。
有名な話なので結構知っている方も多いと思いますが。
そうして作られたスカイライン2000GT−B(S54B型)が、第2回日本グランプリで、レースのために作られたポルシェ904GTSを抜き去ったことから神話が始まったのです。
普通のセダンがレーシングカーを抜き去ったことで、今までのファミリーカーのイメージだったスカイラインが、スポーツセダンとして昭和・平成の日本車の歴史を飾っていったのです。
それからほどなくしてC10型スカイライン(通称ハコスカ)がデビュー、“GT−R”はこのモデルからデビューし、サーキットでは前人未到の50連勝を飾り、伝説となりました。
思えば、スカイライン=GT−Rのイメージは、ここから出来たのではないかと思います。
その後デビューしたC110型“ケンメリ”スカイラインでのGT−Rが197台しか日の目を見ず、これも伝説になってしまったのがそのイメージに拍車をかけてしまった感があります。
スカイラインは、その後スポーツセダンの先駆者として、ずっと歴史を駆け抜けることとなりました。賛否両論はありましたが、どのモデルも必ず愛称がありました。
それだけスカイラインは愛されていったのです。
僕の中で、少々おかしくなってきたかな?と思い始めたのが、R32の出現でした。
誤解のないように断っておきますが、R32が悪いのではありません。僕も大好きなスカイラインの一つです。
当時16年ぶりにGT−Rが復活し、またもやサーキットを縦横無尽に駆け巡り、まさに圧倒的な強さをまざまざと見せ付けていきました。
R33、R34と、GT−Rは進化していきました。サーキットでも圧倒的な強さはそのままに、いやそれ以上に。
そしていつしか、スカイライン=GT−Rの構図が確固たるものになり、“スカイラインはGT−Rしかないのか?”とまで言われるようになってしまいました。
人々のスカイラインに抱くイメージは様々です。4ドアこそスカイラインだ、と言う人もいれば、GT−Rこそスカイラインだ、と言う人もいる。大きくなったR33やR31はスカイラインじゃない、とか、R32こそが理想のスカイラインだ、とか言う人もいると思います。
日産がV35に“スカイライン”と言う名を冠したのは、それが理由じゃないかと思うのです。
本来GTカーであるスカイラインが、“スポーツカー”として君臨し始めている。そもそもGTカーである前に、そもそもの生い立ちはファミリーカーであった。伝統を築き上げる事で”スポーツカー”と言うイメージがつきまとい、それが日産の危機感となったのであれば、GT−Rは実に罪作りな車ではなかったかと思うのです。
そのあおりを食って、ファンに愛されはしたが、しかしファンに翻弄されたのが、R33、R34だったような気がします。だからGT−R以外はそれほど見向きもされない。
不人気車のくくりに入るR34も、GT−Rの最終車ニュルが、1000台限定で、600万もする車が即完売している事を考えると、そう思わざるを得ないのが正直なところです。
もちろんGT−Rは、日産が生んだ世界の名車であり、僕も大好きな車です。フェラーリやポルシェという数あるスーパースポーツカーと比較しても、全く見劣りしないどころか、その価格帯を考えても、コストパフォーマンスが圧倒的に高い上、レースでの実績は十分過ぎるほど積んでいる車であり、一度乗ってみたいと思わせる数少ない車でもあります。
しかし、GT−Rという名車を世に出した事によって、逆にスカイラインを衰退させる事になってしまった(と僕は思っている。)、いわば諸刃の剣でもあったわけです。
今後、僕らスカイラインファンに出来る事は、直6エンジンの伝統を、R34を大事にしつつ、新しい歴史をスタートさせたV35を暖かく見守り、独りよがりの伝統を守るのではなく、スカイラインが今の自動車業界に何が出来るのかをきちんと見守って行く事が、将来のGTカーを夢見て行く事が大事なことではないかと思うようになりました。
事実、日産がR35GT−Rに”スカイライン”という名前をつけなかったのは、V35、V36と続いた新しいスカイライン像を具現化し、イコール新しいGT像を目指している証だと思っています。
一人の車好きとして、一人のスカイラインファンとして、“これから”のスカイラインを見守って行きたいと思います。