失敗山日記 V−3
ビバーク、ヒグマ、幻聴幻視、ビバーク、・・・
in トムラウシ(大雪山系,20007月) 掲載 20039
by 山へ行っちゃあいけない男(登山不適格者?)
 
その3
 時刻は4時前後だったと思います。日没までは3時間程度でしょう。道がアヤフヤになった辺りまで引き返すだけでも1時間以上かかりそうです。その後正しい道が見つかったとしても、トムラウシのテント場に着くのはうまくいっても日没前後。
 ところが道がすぐ見つかる保証はありません。それに天沼を出て以来、2時間ぐらい重いリュックを背負ったままでした。これからいくつものガレ場を登り返すことは相当の疲労に繋がりそうです。

 こうなると、水が豊かで平らな場所もあるこの辺りでビバークするのが最善と思われます。ここが、夏に熊が最も活動するであろう沢筋であることを除けば。
 幸い、沢が運んだ枯れ草が硬い地面を覆っている、比較的平らな場所がすぐに見つかりました。沢との高度差は1m位ですが、この天気ならテントが流される心配もなさそうです。
 今回初めて熊スプレーを携帯して来たことも、心強く思われます。沢に試射してみると、噴射力はなかなかのものです。ビバークと決め、さっそくテントを立ち上げます。
 
 ロープの補強もほどほどにテントに入ると、中にはいつの間にか細かな虫がびっしり貼りついています。枯れ草の中から飛んで出て来たのでしょうか。100匹位もいたようです。湿原での休憩時用の蚊取り線香に火を点け、更にタバコをふかします。どちらが効いたのか、タバコを吸い終わる頃には、虫はきれいに居なくなっていました。意外なうれしさです。
 テントの周りに熊スプレーを噴射しておこうかと思いましたが、残量が気になったのでしょうか、しないでおきました。この判断が正しかったことは、後になって知りました。噴射された熊スプレーは、時間が経つと、獣達の好みの匂いになるそうなのです。

 時間が大分経ってしまったのと、翌日以降更なる難事が続いたので、この夜のことはほとんど覚えていないのですが、この後、なるべく匂いの出ない夕食をとって、長い夜を過ごしたのでしょう。
 コーヒーは勿論、ふだんは我慢できないタバコもほとんど吸わなかったのではないでしょうか。30年来愛用のショートピースは他のタバコのようなイガラっぽい煙たさがなく、吸っている本人には分からないのですが、周りに漂う香りは甘いものなのです。その匂いで羆を呼び寄せては元も子もありません。
 天祖山での初ビバークの時とは違い、睡眠剤は飲まなかったのではないでしょうか。羆は月の輪熊とは桁が違い、襲われてから目が覚めたのでは対処の仕様もないでしょうから。勿論、熊スプレーを手元に置いて眠りについたことでしょう。

 翌朝は熊の活動時間帯と言われる早朝はじっとやり過ごし、出発したのは7〜8時頃だったのではないでしょうか。沢を戻ると、二股に出ました。左の本流からやって来たと思われますが、時間にも余裕がある(?)ので、念には念を入れ、右の流れを少し登ってみます。
 確証はありませんが、少し急斜面過ぎるようです。前日はこんな流れの斜面はなかったようです。二股まで戻り、本流を溯ります。間もなく見覚えのある、靴に水が入った場所に出たので一安心。

 更に先を行くうちに、小さな流れの始まった雪渓に出ました。≪脚注≫ 雪渓の正面はガレ場で、雪渓の右側は平らで、登山道(踏み跡)がありそうな地形です。昨日は右側を来たのだろうと思いましたが、雪渓を通ってきた可能性も捨てきれません。念には念を入れて、雪渓に私の足跡がないことを確かめるため、雪渓を少し進んでみることにしました。

 数m進むと、私の足跡はなかったのですが、驚くべきものを見てしまいました。
 羆の足跡です。それも1坪ほどの広さに20個ほどもあり、何かを察知して周りを窺っていたかのように、さまざまな方向を向いています。
 その大きなこと。足というより、大きな掌(てのひら)を広げたような形で、人間の掌より2回りも3回りも大きなものです。雪渓にめりこむときに雪がくずれた分、更に大きく見えるのでしょうが、まるでヤツデの葉のようです。
 月の輪熊の足は、形も大きさも人間の足を少し寸詰まりにした程度のものですが、この羆の足跡は指がどれも大きく広げられていて、塵が降って黒ずんだ雪渓に真っ白に刻印されています。新しい足跡の証拠です。私には『これ以上進むな!』という警告のように感じられました。

源頭部の雪渓  最近インターネットの写真などからはっきりしたのですが、この雪渓
の辺りは1650m地点で、クワウンナイ川の源頭部と言われている場所と確定できました。
 私は全く知らなかったのですが、クワウンナイ川は日本一美しい沢と言われるほどの沢で、沢登りの憧れの沢のようです。
 この源頭部は「山渓」の地図(96年発行)にだけはキャンプ場の印があり、天沼近くから実線の登山路(この部分は点線にすべき)さえ描かれていました。まさに私が降って来た経路です。その先は上級沢登り用ということか、点線で描かれています。
 持っていった地図は2,3種類あったのに、山渓でなかったのが運のつきだったわけです。それにしても、最近多いチェーン店の本屋には昭文社の地図しか置いてないのは不満です。山渓の地図もアテにはなりませんが、比較してから買いたいものですから。
 また、たまたま家にあった古いガイドブック(昭和54年、山渓刊)には絶好のテントサイトとさえ書かれています。しかしインターネットでクワウンナイ川を検索してみると、沢登りでここを訪れた人は、時間があればここでテントを張ってみたいなどと言うものの、全員通り過ぎただけで、実際にテントを張った人はまだ1人も見つかりません。
 そりゃあそうでしょう。あの場所に立って羆の気配を直感しない人は余程鈍感な人です。テントで夜を過ごすのは私以上の世捨て人でしょう。
≪追記≫ その後、昭文社2001年版にはクワウンナイ沢から天沼付近まで点線で登山道が追加されたのは幸いです。しかし等高線と同じ色のごくうすい線の上、分岐付近に高山植物名が列記されて分かり難いのは残念です。勿論源頭部にテント場の印はありません。

 
*連載の読み物のように、1日1ページずつ読んでいただくのが私の希望です。
 
  
              
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