釧路湿原へ
カーテンを開けると天気はまぁよさそうだ。午後にはフェリーに乗らなくてはならないから今日はなにかと忙しい。もぐもぐとパンを食べて出発。
R391を北上し、釧路湿原を目指す。湿原に流れる川のうねうねが見える展望台を利尻島でNさんに教えてもらったのだ。
細岡駅への看板を左折、達古武沼という小さな池を過ぎてしばらくすると、道はダートになる。踏切を越えるとちらりと見える景色がそれらしくなってきた。わくわくしちゃうなあ。
遊歩道へ行くための駐車場を過ぎると、木々の向こうは釧路湿原! もう少し行くと細岡展望台がある。バイクを停めて展望台まで行けば目の前に広がるのは、まさに釧路湿原だ。緑の大地には川が蛇行して流れ、遠くに見えるのは阿寒の山並み。うわあ、すごいなあ。
左手の方を見ると工事中の場所が見える。考えてみると釧路は工業地帯だ。そこからそれほど離れてはいないのにどうしてこんな大自然が残っているのだろう。ラムサール条約も釧路で締結されたし、ずうっとこのままでいてほしいな。
湿原を望む展望台や見所はまだまだたくさんあるけれど、残念ながらタイムオーバー、もう市内に戻らなくては。川の近くまで行ける場所で写真を撮ったり、工事現場のショベルカーの近くでキタキツネが遊んでいるのを見たりしながら国道に戻り、釧路市へと走る。
北海道で残る最後のお仕事は和商市場でお土産の買い物だ。え〜と、あそこでしょここでしょ、これはうちの分ね…買い忘れのないように、魚やお酒、お店のオバチャンに乗せられて、ついつい買う予定のないものまで買っちゃった。 買い物が終わったら、かなり早いけど(まだ10時半)お昼ご飯を食べよう。やはり北海道最後の食事はウニ丼しかない。市場の中にも何軒かの食堂はあるのだが、ウニ丼がなかったり「時価」だったり。外で探そうと、市場の外に出る。
道をはさんで斜め向かいに、食堂の看板が出ている。店は2階だ。食堂があるとは思えないようなコンクリの階段を登っていくと、結婚相談所という看板のドア、変なところに来ちゃったかな。その隣が食堂だ。人があんまりいない、ちょっとどきどきしながらガラス戸を引く。
店内はカウンター席だけ。カウンターの中にはオジチャンとオバチャン、メニューを見回すと…むむ、これはなんだかどれもこれも安くておいしそうだ。でもウニ丼はやはり時価だ。まぁここまで来たら時価でもいい、とウニ丼2つを注文する。壁にはちょっと色の変わったものもあるが色紙が張り付けてある。「追跡」(TVの番組)取材班なんてのもあり、これはアタリだったかもしれないと思う。
オジチャンがいなくなった。しばらくして戻ってくるとその手にはウニ。どうやら注文を受けてから市場に買いに行くようだ。オバチャンが「イクラも好き?」と聞く。好きですよぉと答えると、ウニの回りにイクラを乗せたウニ丼が出来上がってきた。熱々のお味噌汁も一緒。もちろんおいしい。ウニにイクラ、もう最高。
食べながら、お客さん同士の会話を聞いている。どうやら漁師さんなのか何なのか、すでに一杯やっているところが港町らしくていいなぁ。ここからそう遠くない場所に住んでいるようなのだが、床下にシカが入って来ちゃって大騒ぎだとか、窓を開けておいたら突然鳥が入ってきて部屋の中がしっちゃかめっちゃかになったとか、話しを聞いているだけで北海道らしくて嬉しくなっちゃう。
こんな楽しい会話のオマケ付きで、ウニ丼2、200円は安かったなぁ。
ああ青春の釧路港
釧路西港のフェリーターミナルへ。まだずいぶん時間があるので駐車場にバイクを停めてあちこちをうろうろ。岸壁に停泊した船はサブリナという名前の大きなフェリー、ラムサール条約をイメージしたというイラストが大きく描かれた、きれいでかっこいい船である。ターミナルの建物の回りには1月の釧路沖地震の爪痕がまだ残っている。コンクリートがひび割れ、段差がついてしまった出入り口の前には砂利が敷いてある。修復も大変なのだろう。
時間と共にバイクもどんどん増えてきた。こんな時期にこんなにたくさん北海道に来ていたなんてちょっと驚きだ。8月と変わらない。それにしても、これは自分たちをも含めてのことだけど、7月に北海道に来てる人たちって、強者ぞろいというかちょっぴり変わり者という感じがする。なんでだろう。
バイクも多いが、もっと多いのは自衛隊である。ターミナルの1階も2階も、どこを見てもカーキ色の制服を着た自衛隊員の皆さんなのだ。こんなにきれいなフェリーに乗るのだろうか。連日TVで報道されている奥尻島の自衛隊の姿が目の前をよぎる。いろいろ事情はあるのだろうが、のんびりお土産を買ったり喫茶室でしゃべっているのを見ると、ちょっと、いやかなり嫌な気分になってくる。Sと2人で聞こえないように「奥尻に行けよなぁ」とぶつぶつ言う。被災地の自衛隊員さんは大変なんだから…。
たくさんのバイクと共にフェリーに乗り込む。必要な荷物を下ろして客室へ。
情けない事に私は船に弱い。本当は2等船室あたりでわいわいと過ごしたいのだが、どうも酔いそうなのだ。今回はファーストツインという部屋である。入ってびっくり、ベッドの巾は普通のシングルよりもちょっと狭いがシャワーとトイレもついているしまるでホテルのようだ。料金は28、840円と高いのだが…。
船内には展望風呂にショッピングコーナー、ゲームコーナーにギャラリー、そして簡単なジムの機械も置いてあるスポーツコーナーまであるのだ。2等船室もきれいで、私が見た瞬間に気持ち悪くなる金だらいも置いていない。なにせクルージングフェリーなのだ。かっちょいいぜ。フェリーはボロくてマグロ部屋みたいな2等が好きなSは、こんなの許せん! と文句を言っている。
出航時間が近づき缶ビールを片手にデッキに出る。岸壁には、さっきターミナルの中で騒いでいたバンド系の男の子4人と女の子が6人、船の方に向かってなにかしゃべっている。誰かのお見送りなのかなとデッキを見ると、やはり若い男性が彼らと話しをしている。下から「ケツ出せぇ」なんて声がする。彼はその時上のデッキに上がっていたから見えなかったけど、回りの歓声から考えると本当に出したのかも?
2時、ボー、と汽笛が鳴り、出航。船と岸壁をつないでいたロープが離される。
「がんばれよぉ〜」「おまえもがんばれよぉ〜」彼らの中のひとりの女の子が走り寄り、彼を見上げて手で口を覆って泣いている。友達が彼女の近くに寄り添ってあげている。船が岸を離れる。船と一緒に岸壁を走る彼ら。いつまでも手を振り続けている。
彼らにはどんなドラマがあるのだろう。以下は想像。
男の子達4人は釧路のライブハウスではなかなか名の通ったアマチュアバンド。ギター担当の彼は東京で自分の腕を試したくてデモテープを送った。するとオーディションに来いという連絡が。そこで単身上京することになったのである。女の子達は、彼らの彼女や友人。ビンボーで飛行機には乗れないのでフェリーで行く事になった…う〜ん、青春だなあ。
港の出入り口まで、小さな船がロープで引っ張っている。そのロープを小さな船が巻き取ろうとしているのを見ていた。しゅるしゅるしゅる…ばちっ。ロープが、切れた。フェリーの下にどんどん巻き込まれていくロープ、どう見てもあっちの船に巻き取られるものなのにね。だいじょぶなのか?
部屋の中でぼけーっとしている。Sは展望風呂に入りに行った。なんだかこの船、さっきから動いていないような気がする。窓の外を見たら釧路港を出たところで止まっている。そのうち船長からアナウンスが入った。さっきの切れちゃったロープ、あれが船のスクリューに絡んでしまったので、これからそれを取る作業をする、という。やはりそうだったか!
しばらくして私も展望風呂に行く。もし天気がよくて船がちゃんと走っていれば、窓の外は青い海に青い空、そして襟裳岬あたりが見えたかもしれない。だが今窓の外に広がるのは、どんよりした空と釧路の工業地帯。せっかくひとりで独占しているのに。
お風呂から出る頃またアナウンスが入る。すでに1時間経過したがもう1時間ほど作業にかかるという。これで2時間の遅れだ。予定では東京港に着くのは明日の夜8時40分、だがいったい何時に着くのだろうか。
結局、船が再び動き始めたのは、4時だった。
天気がよければデッキでぼけっとしているだけでシアワセなのだが、この曇空と冷たい海風で出る気にならず、退屈。TVを見たり居眠りをしたりで時間が経っていく。
部屋の外に出れば船内はゲームコーナーもTVコーナーもどこに行ってもジャージ姿の自衛隊員だらけ、ホールではなんとカラオケ大会の真っ最中だ。悪い事とは思わないが、奥尻島の自衛隊員の姿がどうしても思い浮かぶ。ひとり旅の女の子たちはいごこち悪いのではないだろうかと心配になってしまう。なんとゆーか、誤解をまねく表現ながらすごくわかりやすいたとえをすると、「工業高校の修学旅行と一緒になってしまった」みたいなのである。
7時過ぎには夕食を食べにレストランへ。Sが利尻島のキャンプ場で一緒だった人に偶然会い、3人で食べる。きれいなこのレストランにいると船の上ではないようだ。といっても体はまだ船に馴れていないようで、さすがの私もあまり食欲がない。
部屋に戻ってもする事はなにもない。就寝時間はなんと8時半である。