わたしも街道をゆく/1993年/北海道へ
わたしも街道をゆく 1993年 北海道へ


1993年7月13日 羅臼から層雲峡へ 本日の走行距離353Km

ゆけゆけ開陽台

 サケを焼いて朝ご飯、そして出発の準備をしていると、誰かのラジオが聴こえてきた。妙に慌ただしいアナウンサーの声。少し耳を澄ますと、震度5? 死者? 津波も?…どうやら奥尻島で地震があったらしい。けっこう被害があったようだ。一応あとで家に電話くらいしといた方がいいかもね。この時点ではこの程度の認識しかなかったのである。

 どうやら今日こそカッパを着なくてはならなそうだ。このどんより悲しい空模様、嫌になっちゃう。
 羅臼を出てR335を南下する。国後島は当然、見えない。時々、反対車線を走ってくるバイクの人がもうカッパを着ていたりする。あ〜あ

 野付半島の入り口を過ぎ、尾岱沼の港へ近づく。今日一番のお楽しみは打瀬舟だ。この季節、北海シマエビを獲る白い三角の帆の打瀬舟が野付湾に浮かんでいる、はずだったのだが、そんなものは海上のどこにも見えないではないか。おかしいなあ。港にならいるかもしれないと、港近くに行く。
 とりあえず、お昼を食べようか。港のそばの食堂に入る。ラーメンを頼むと、普通のですね、と念を押される。普通のラーメンの他にナントカ(忘れた)ラーメンというエビ・カニ・ホタテなどの入ったのもあり、たいていの人はそれを注文するようだ。後から入って来た人たちもそれを頼んでいた。私たちは2人とも、ああいう食べにくいのは嫌いなのだ、エビもカニも剥いてから乗せてほしいと思う。普通のラーメン、なかなかおいしかった。
 港の方まで行ってみたが、やはり打瀬舟はどこにもいない。小雨ながら雨まで降ってきた。お土産屋さんをのぞきたかったのだが、他にほとんど観光客がいないのでやめる。もし今入っていったら、飛んで火に入る夏の虫、である。

 カッパを着るのはもうちょっと先にしよう。R244を少し戻り、標津町からR272を内陸に入る。しばらくすると雨が本気になってきた。しかたがない、東京を出発してから12日目、とうとうカッパを着る。

開陽台  中標津の街を右折する。緑の中を時折カーブし、アップダウンを繰り返しながら道は続く。振り返ると、今走ってきた道は水平線の彼方へと消えている。人工衛星からも見えるというこの道、24号線の先には、開陽台が私たちを待っている。が、例年ならキャンプ場でもないのにうじゃうじゃとテントが張られているはずの場所は閑散としている。ここでテントを張った事もあるSはちょっと寂しそう。知床連山・摩周岳・野付半島に国後島と360度の大展望も、見えない。まぁこの天気だ、見えないのはわかっていたのだが。

 前回に来た時も寒くて飲んだホットミルク、やっぱり今日も寒いから飲もう。今度はいい天気の時に来たいもんだ。

 町道をくねくねと曲がり、道道に出る。小雨だったのだがどんどん強くなりつつある。嫌になっちゃうよね〜と走っていると、左手の牧草地、藁の巻いたのがごろごろしているあたりに、三脚を持った人や白い服を着た人、何人かの人たちが立っている。なんだろう? 黒い服の人がこっちに向かって手を振っている。よく見ると白い服の人はウェディングドレスを着た花嫁さん、手を振っている人は花婿さんだ! 私もぶんぶんと手を振り返してあげる。
 なにかの撮影だったのだろうか、それとも本物の結婚式の撮影? もし本物だとしたら「北の国から」の影響だろうか、そんなシーンがあったような気がする(草太にーちゃんの結婚式だな)。でも目の前のこのシーン、とてもすてきなだったなあ。

おめでとう10万キロ

 R243で弟子屈を経て屈斜路湖沿いを通る頃には雨よりも霧がひどく、前がもう何も見えないといった状況である。途中でちらりと湖は見えたものの、Sお薦めの美幌峠は、霧がたゆたい真っ白なのだ。屈斜路湖・摩周湖・斜里岳・知床連山が見えると言われたってとても信じられない。ちぇっ。
 峠の駐車場の隅には、キタキツネやヒグマの剥製が置いてあり写真を撮れるようになっている。1回100円。だがお土産屋さんの2階から遅いお昼ご飯を食べながら見ている限りでは、誰もお金を払っていないようだ。
 今日はどこまで行こうか。釧路からフェリーに乗るのは16日、そろそろ帰る事も考えなくてはならないから出来るだけ走っておきたい。大雪山には行きたいから、層雲峡まで行こうということになり民宿を予約。今どこですかと聞かれたので美幌峠と言うと、ちょっと迷惑そうな感じで、夕食時間の6時までには来れますねと言われる。無理だなと思ったが、はぁいと返事をする。

 美幌町からR39を西へ。美幌町と北見市の境あたりのコンビニの前でSが停まる。休憩するの? ビールを買うという。Sのバイクはもう10年も走っているバイクである。この北海道で走行距離が10万kmになる予定だったのだが、どうやらそれが近づいてきたようだ。その時が来たら、バイクにビールをかけるんだって。停まったついでにカッパも脱ぐ。
 そしてそれからすぐ、Sが路肩に停まった。よかったね10万kmかあ。私も10万kmは絶対に達成したい目標、といってもまだ4万なんだけど。
 ビールかけに記念撮影。びゅんびゅん走る車にはさまれ、中央分離帯からカメラマンをやってあげる。車が恐いがまぁしょうがない。おめでとうございます

北海道南西沖地震

 北見、留辺蕊と通り過ぎ、北海道キツネ村の駐車場でちょっと休憩。もう6時である。宿に電話し6時には着けないと一応連絡を入れておく。最初の電話の時のオバチャンがちょっぴりこわかったのでSに電話をしてもらったのだが、気をつけて来て下さい、などど優しかったようだ。
 7時少し前、層雲峡温泉街の1階はお土産屋さんの民宿に到着。宿のオジチャンもオバチャンも感じのよい人たちだ。オジチャンは部屋まで荷物を運ぶのを手伝ってくれる。

 オバチャンに今朝の新聞を借りて読む。私たちはここで初めて、想像を絶するような奥尻島や江差町、大成町などの惨状を知った。これでは親たちは心配しているに違いない。絵はがきを出した友人たちもみんな心配してくれているかもしれないな…。とにかく後で実家にだけは電話しよう。
 食堂に2人分だけ残っている私たちの夕食。カニに手をべとべとにしながら食べる。お昼が遅かったので残してしまうのではないかと心配だったが、大体きれいに片づけた。
 お風呂は層雲峡温泉街のはずれにある共同浴場、不老の湯。もちろん温泉である。民宿で入浴券をもらえるのだ。途中でまずSが実家に電話。かなりパニックになっていたようだった。私の家は誰も電話に出ない…心配じゃないのお?(実は心配してくれていたことは後からわかった、ごめんねぇ)
 温泉にのんびりとつかった後は温泉街のお土産屋をひやかしながら歩く。普通のお土産屋に並んで、アイヌ木彫り系工芸店も何軒かある。その中の1軒では店の前で、いかにも、といった風なヒゲにバンダナ巻きオヤジが、木彫りを黙々とやっている。その脇には「写真を撮るな」という手書きの看板…ちょっとなんなのこのオヤジ〜、ばかじゃないのぉ。それなら外でやらなきゃいいじゃない。中でやってりゃ誰も撮らないよ…
 それにしても、都会から田舎暮らしがよくて田舎に引っ越してきて、でも自己主張はしたいから手作りの物売る店構えました(あるいはログハウス手作りで建てました、など)っていうふうな人たちっていうのはみんな、判で押したようにヒゲを生やしてバンダナを頭に巻いているんだろうか? くつろぐ時は作務衣なんか着ちゃうのだ。田舎暮らしは私もしたいと思うけど、みんなで同じような格好するのは止めていただきたいと切に願う。

 Sはどうも胃の調子が悪いようで胃薬を飲んでいるが私はかまわずビールを飲む。TVのニュースでは地震の報道が続いている。