わたしも街道をゆく/1993年/北海道へ
わたしも街道をゆく 1993年 北海道へ


1993年7月8日 稚内から利尻へ 本日の走行距離86Km

ゆけゆけ利尻島

 朝一番のフェリーに乗るため6時に起きてフェリーターミナルへ。混み合うターミナルで利尻島鴛泊行きのチケットと朝食用にパンを買う。すぐに乗船の時間だ。

 例えば青森から函館へのフェリーもそうだが、今まで乗った事のあるフェリーはだいたいが乗り口と反対側が降り口になっている。つまり乗り込んだバイクはそのままの方向で停めればよいのだが、このフェリー、ニュー宗谷は一方しか開かない。乗ったらすぐにUターンをしなくてはならないのだ。ところが私はUターンが嫌いだ、出来ないといってもいい。じたばたとなんとか方向を変えたが係員の指示する場所にはまだ行き着けない。荷物のせいでバイクが重くて切り替えしもままならない。ちきしょ〜とやっていると係員にもう降りていいと言われてしまう…ナサケナイ、あとはよろしくおねがいします。

 甲板に上がるとベンチはすでにいっぱい。ご年輩の方々のツアー客がほとんどのようだ。間もなく7時半、船は稚内港を出航する。車の乗降用のスロープが上がるのを見ていると、途中まで上がったところで止まる。ターミナルから走ってくるオバチャン2人。間にあってよかったね。スロープがいったん降ろされ、2人が乗り込んできた。

 今度は本当に出航だ。右手には宗谷岬、左手には納沙布岬。納沙布岬の向こうにはこれから向かう利尻島が見えてきた。ひとまず朝ご飯にしよう。甲板の端に陣取りなにやら機械の上に腰掛けて、さっき買ったパンと缶コーヒーが今朝の食事である。

利尻富士  『利尻・礼文サロベツ植物・花図鑑』(偕成社)を取り出して眺める。ここに出ている花たちのいくつと巡り会えるだろう。わくわくしてきた。特にリシリヒナゲシ、可憐な薄い黄色のこの花に会いたい。利尻山9合目に咲いているという。会えるだろうか。

 突然、オジサンがひとり、近づいてきた。「ニコンのカメラ、持ってたよね」はぁ、確かに豚に真珠のニコンF3、使ってますけど…。「601なんだけど」「は?」601というのはニコンのカメラの種類である、それくらいの事はわかる。「FEエラーって出てるんだけどなんだかわかんないんだよねぇマニュアル持ってくりゃよかったんだけど。わかんないかなぁ」ひゃぁオジサン、私にカメラの事聞いたってわかるわけ、ないよ。「ごめんなさい、AFのことは(ことは、もなにもマニュアル機のことだってわからないのだが)ちょっとわかんないですぅ。メカに弱いんですよぉ」「そーかわかんないかぁ。ニコンのカメラ持ってたからわかるかと思ったんだけどそうかぁそうかぁ」イッセー尾形に似たオジサンは本当に残念そうな様子で去っていった。ごめんね。
 山頂近くに雪を残す利尻島が、ぐんぐんと近づいてくる。山頂から見える景色はどんなだろうか。私にもきっと登れるよね。どきどきしちゃう。

 フェリーは鴛泊港に入っていく。出迎えの人々が立つ岸壁には、大きな大きな男の子シマリス女の子シマリスが描いてある。

シマリスくん シマリスちゃん

シマリスフリークの私はびっくりしてしまう。なんでここにシマリスなのだろうか? この島にいるなんて聞いた事ない。リシリ→リスという洒落? 不思議に思う間もなく、フェリーは接岸する。

 甲板の上にいるフェリーの係員が投げる重り付きのロープ、これが投げられ、岸にいる係員が受け取ると、フェリーが、いや私が、この島とつながる。初めての島、ここではなにが私を待っているのだろうか。期待に胸を弾ませながら車両甲板に降りると、さっきと違う場所に、バイクがあった。
 すぐ、後ろには車がぴったりとついている。私がバイクを出さないと車が出られないという。だけど切り替えせるような余裕はない。ともかくなんとかしなくちゃいけない。小さな切り替えしをする私のバイクの後部を持った係員、ちょっと待ってどっちに動かすつもり? そうそう軽い物ではないのだ、予期せぬ方に突然動かされるのはとてもこわい。うわぁそんなに思いきり右に持っていかないでほしい。バイクが倒れる…ちょっと頼むよぉ。
 なんて乱暴な係員なのだろう。だいたい出せないような所にバイクを持っていかないでほしい。利尻島への上陸は、ちょっぴりムッとしながらになってしまった。

とりあえず島巡り

 ターミナルの駐車場で休憩。さてとこれからどうしようか。ここからすぐのキャンプ場でSと待ち合わせをしている。といってもまぁ夕方前に着けばよい。今まだ9時だ。とりあえずのんびり、島を一周してみよう。

 ターミナルを後に時計回りの方向に走り始める。驚くほど澄んだ海に感動していると間もなく、姫沼への標識が眼に入る。どんなところか知らないけれど行ってみようか。左折すると細い道はくねくねと登っていく。ハイキングをしてきたのだろうか、年輩のご夫婦(だろう)が降りてくるのともすれ違う。ハイキングコースを走っているというのもちと申し訳ない。

姫沼  駐車場からすぐの小さな湖が姫沼である。木々に囲まれた湖面に利尻山が映り、静かでいいところ。行かなかったが遊歩道を歩くと湧き水もあるらしい。しばらくぼーっとしてから駐車場に戻る。やはり関東から(どこだか忘れた)登山に来ているというオジサンとお話しをする。「いいなぁ今の若い人は」いいでしょ〜とは答えられないので、はぁ…と曖昧な返事。「僕たちの若い頃は自分が生きる事、いやそれよりも兄弟を食べさせる事に精いっぱいだったんだ」…それはわかっている。戦争中のご苦労は、私が想像しているよりも大変だっただろうことはわかっているけど、オジサン、私に言われても困る。「まぁ私達はこれから何があるかわかりませんからねぇ」と適当な事を言っておく。

 海沿いの道に戻る。走りながら右手を仰ぐといつもそこに残雪の利尻山がある。かつて火山だったこの山は今でも険しい姿をしてそびえ立つ。なんてかっこいいんだろう。

 山から目を離して足元を注意するとそこには小さな花たちが咲いているのである。海岸に降りてゆく砂利道の両側には黄色いブタナ(何度書いてもかわいそうな名前だ)が一面に、濃いオレンジ色のコウリンタンポポがところどころに咲いている。コウリンタンポポはその名の通りタンポポに似ているが茎が長い。まぁブタナをオレンジ色にしたようなものでありやはり外国からの帰化植物だ。さっきから重たいバイクと私の重量を掛けてしまっている小さな草にも、ハマハコベに似た、小さな小さな白い花がついている。8ミリくらいしかないのにしっかりと5枚の花弁を開いている。その健気な姿に、がんばれよぉ、思わず声を掛けてしまう。

利尻山 お花

利尻島を学んでみる

 鬼脇という集落から利尻山に向かって曲がる。このまま真っ直ぐ進めば利尻山への登山ルートのうちでも最大難関の鬼脇ルートの入り口である。が、私の目指すのは利尻島郷土資料館、曲がってすぐである。ここは大正時代の鬼脇村役場の建物を利用しているという。中は4つの部屋に分かれている。
 水産産業室には鰊番屋の模型や使用した舟や網などが展示されている。かつて鰊漁が盛んだった頃の写真などもあり、想像もつかないようなにぎわいを見る事が出来る。いくら海流のためとはいえ、黄金の島とまで言われたここに鰊が来なくなった時はどんなにか衝撃を受けただろう。自然科学室には利尻島の動植物の標本などがある。シマリスの剥製があった。なるほど、フェリーターミナルのシマリスの絵のナゾが解けた。この島にはシマリスがいるのか。考古アイヌ民族室・生活文化室では太古からここで生きていた先住民族の遺跡からの発掘品から始まり、開拓という名前で島に入ってきた和人たちの今に至る歴史、生活用品などがならんでいる。700年程前までは擦文時代と呼ばれる、本土でいえば弥生時代に近いような生活を送っていたのだ。彼らがアイヌ民族の祖先であり、結果的には私達の祖先が彼らを追い出した、ということになるのだろうか。う〜ん…。

 資料館を出てしばらく行くと、右手に丸い湖があらわれる。オタドマリ沼だ。 オタドマリ沼 真っ青な湖面にはボートが浮かんでいる。気持ちよさそうだな。この時私は、どこで写真を撮ろうかと考えながら、車が走っていないのをいいことに、右側車線を走行してしまった。いかんなぁ。

 南浜湿原は季節が悪かったのだろうか、カキツバタらしき紫の花がいくつか咲いているがあとは笹ばかりが目立っていた。湿原にがはびこるというのは乾燥しているという事だから憂うべき自体なのではなかろうか。

 気がつくと、どの家も玄関の前や横が小さな花壇になっている。たくさんの色とりどりの花たちが植えられ、今を盛りと咲き競う。長く厳しい冬の後でやっと巡ってきたと思ったらあっという間に過ぎていってしまう春そして夏。その短い季節を精一杯楽しみたいという気持ちなのだろうと思うと、冬の厳しさが花たちを通して少しはわかるような気もしてくる。

 またもや利尻島のお勉強、仙法志の利尻町立博物館へ。展示内容はだいたい郷土資料館と同じであるが、こちらは昭和55年に出来た、まだ新しい建物である。鰊番屋の模型は原寸大なので、炉端でくつろぐヤン衆(鰊漁の季節になると出稼ぎに来る若い漁師)に迫力がある上に近づくとセンサーが働いてソーラン節(よく知られているのとはちょっと違う節回し)が流れるのである。けっこうびっくりするのだ。
 受付に、パンフレットと並んで、『文芸りしり』という雑誌が置いてある。利尻島在住の人や縁のある人たちが創作を載せている文芸誌のようだ。広告は全て利尻島の企業や商店などのものだというのも島らしくてよい。じっくり読ませてもらおうと、最新版(平成5年3月1日発行第14号・500円)を買う。博物館の前でぱらぱらとページを繰って見ると、たとえばこんな俳句はちょうど今の季節にぴったりだ。

 七月の島が傾く船の旅(斎藤俊吉氏)

 利尻嶺の裾ひろがりにえぞかんぞう(高村千夜氏)

 しばらく走るとこんな景色が広がっている。利尻山を望む広い草むらは一面、エゾカンゾウの群落だ。うわぁ、と思わず感嘆の声が出てしまう。
 時計を見るとすでに2時、お腹がさっきからぐーぐーと鳴っているのも当たり前だ。沓形で食堂を探すがラーメン屋さんのようなものはどうにも見あたらない。 おひる もうなんでもいいやとサンドイッチとウーロン茶を買って港で食べるふと見ると街灯に止まったカモメも利尻山を背景にしてかっこいい。それに引換え、最果ての島の港の端で、ひとりぼけっとパンをかじっている私ときたら、いったいいなんなのだろう。まあいいか。

シマリスくん  憧れの花の島、礼文島が海の向こうに見えている。まもなく島を一周、鴛泊の街に入る。シマリスをマスコットキャラクターにしているんだろう、商店街の両側に立つ街灯にはシマリスの飾りが付いている。…あまりかわいくないけど。

 買わなくてはいけないものがあった。まず、フィルム。カメラ屋兼おもちゃ屋兼文房具屋さんで買う。もひとつ欲しいのは靴下だ。きれいなのがなくなったわけではない。山登りをするのに、私の持ってきた靴下はちょっと歩いてもずるずると落ちてくるので不適当である。呉服屋兼洋服屋さんに入ると、ずり落ちない、という靴下が売っていたのでそれを買う。
 さてそろそろSとの合流地、利尻北麓野営場へ行こう。
 あれ、今登山道の入り口があった。しまった通り過ぎちゃったようだ。まぁまだ2時半だし慌てなくてもいい。フェリーターミナルでぼーっとしてからキャンプ場に行く事にする。

礼文島時速100km

 これで利尻島一周完了、鴛泊のフェリーターミナルに着いた…あれ、岸壁にあるあのバイクは見たことある。ペシ岬を背に釣りしてるの、Sだぁ。ど〜もど〜も。
 「何時のフェリーで来たんだよ」「朝一だよ、島一周してたの」「昼の(1時40分着)で来ると思って待ってた」「ふぅん」「礼文行くぞ」「…はぁ?」なに言ってるんだろう。「明日利尻山登るんだよねぇ登らないの?」「昨日登った」「えええっ! 私も登りたいのにっ」「登らないって言ってただろ〜が」「気が変わったんだよ〜。登りたいよ〜」「ふざけんな、第一おめぇにゃ無理だよ無理」「だって靴下まで買ったんだよ」「礼文で使えばいいじゃん」
 ということで、一泊もしないうちに利尻島を後に、礼文島に渡る事になってしまったのである。最終のフェリーは4時半だという。
 ところで釣りの調子はいかが? 見ると小さいカレイが4匹と、アブラコ(アイナメのこと)、ホッケみたいな模様の魚が釣れている。カレイ2匹とアブラコは今日の晩ご飯のおかずと決まり、あとは海に帰してあげる。 さかな

 テントはまだ張ったままだというので、一緒にキャンプ場まで行く。Sがテントを片づけている間に私は甘露泉まで行って来よう。キャンプ場から500メートルほどだという。それがけっこう遠いのである。こんなところで遠い、などと言っているような人間には利尻山はやはり登れないだろうか。

お花  はぁはぁしながら日本名水百選のひとつである、甘露泉に着く。登山をする人たちはここで水を汲み、持っていくという。岩の間から湧き出る水を手で受けて飲む。…おいしい! こんなにおいしい水を飲んだ事、ないかもしれない。甘露、という表現がまさにそのとおり。いくらでも飲めそう。

 キャンプ場に戻るとまだ片付けをしている。荷物運びを少し手伝って出発。「間に合わないかもな」とSは言う。どうして? 今4時でしょ、フェリー乗り場、すぐそこじゃん、なにいってんの。だがSはやけに慌てている。島を一周する道道に出るまでに2度荷物を落とし、その度に私が停まっては拾う。
 道道に出る信号、え、どうして左折なの? フェリーターミナルは右なのにいったいどうなっているのだろう。大いなる疑問を抱きながらもとにかく一緒に走る。間違ってて乗れなくても知らない。それにしても彼はどこまで行くつもりなのか。鴛泊以外にフェリー乗り場があるのだろうか。沓形? まさか。それなら間に合うわけがない。…という私の思いも知らず、Sは私の前を時速100kmで走っている。しかたなくついていく私、まぁ彼は何度も来ているのだから間違えやしないだろう。
 死ぬかもしれないくらい飛ばして沓形のフェリーターミナルに到着。4時25分、どうやら間に合いそうだ。Sはフェリーの乗り場に直行、私はターミナルで切符を買う。カーテンはもう閉まっているけどまだ大丈夫のはずだ。「すいませんっ! 今、出る礼文行きのに乗りたいんですけど!」「出ましたよ」「はぁ? だってまだ25分…」「25分発です」…がっくり。そこにSも戻って来た。もう船は岸壁から離れていたそうだ。

 いったい今の命掛けの走りはなんだったんだろう、ばかばかしい…。明朝一番のフェリーの時間を何度も確認してから、沓形岬公園キャンプ場へと向かう二人であった。私は利尻で1泊出来て嬉しいのだが。 こんぶ

利尻島の夜は更けて

 テントを張ってから私はお風呂に入りに行く。たいていキャンプ場の近くの宿泊施設ではお風呂を使わせてくれるはずだ。ここから一番近いホテル利尻のフロントで聞くとOK、350円で大きなお風呂に入る事が出来た。

 帰りがけに野菜やビール、買い出しをしてキャンプ場に戻る。Sがなんだか嬉しそうだ、どしたの? 聞けば一緒に利尻山に登った人、札幌のNさんがキャンプ場を移動してきてここにいるのだそうだ。Sお手製のカレイの煮つけも出来たところでNさんにも声を掛け、一緒に乾杯。

 飲み始めたとたんに、といってももう7時だが、夕日の沈む時間になった。3人で沓形岬の展望台に行く。ゆっくりと真っ赤な夕日が海に落ちていくのを缶ビール片手に眺める、どこかの国ではこの夕日が朝日なんだよねぇ、なんて話しをしながら。

夕焼け 夕ご飯

 テントに戻って宴会の続きである。カレイの煮つけは臭みを消すためのショウガが入っていないせいか、ちょっと生臭い。でもまぁおいしいし、なんといっても素材が新鮮。アブラコの塩焼きもいける。ビールが進むなぁ。

 北海道に夜はなかなかやってこない。7時に沈んだ太陽は9時近くになっても西の水平線近くをほんのりと明るくさせている。やっと暗くなってから利尻山の山きわに月が顔を出すまでの間は、空の主役は満天の星になる。街灯の明かりが廻ってこないテントの裏側の草の上に寝っ転がって星を見上げた。
 誰もが思う事なのだろうけど、でもやっぱりそう思う。果てしない大宇宙の片隅の小さな地球という星の上で生きている、小さな小さな存在、それが私。この宇宙の大きさから比べたら、吹けば飛ぶような存在でしかないことに恐怖すら感じる。私が何を悩もうと何を考えようと、それこそ死のうが生きてようが、星たちは宇宙を巡り続けてるんだよなぁ。それならしたい事して生きてた方がいいや。

星

 利尻山から月が昇ると夜空は明るくなり、天の川も見えなくなった。