わたしも街道をゆく/1993年/北海道へ
わたしも街道をゆく 1993年 北海道へ


1993年7月3日 函館滞在 本日の走行距離89Km

朝市めぐりは朝一で

 眠い、眠いが起きなくてはいけない。朝市に行かなくては…。3時45分、ベッドから抜け出す。コーヒーを飲んで早朝の函館の街に出発だ。

 気持ちのよい朝の空気の中を歩き出す。通りかかったタクシーの運転手さんが窓から顔を出す。「朝市行くんかぁ」「そーです」「乗ってくかぁ」…朝市は駅のすぐ裏、駅まで歩いて10分もかからないのである。「近いからいいですよぉ」「いいから乗ってけ」人のよさそうな笑顔、これは旅人にとっては、ただで乗せてくれる、としか解釈できない。そこまで言ってくれるのなら乗せてもらおう。どこから来たの、などと世間話をしていたが、しばらくすると「メーター倒していいかな」え、そういうこと? でも、話が違う!とは言えない。「いいですよぉ」と顔で笑って心で泣く。でもまあ仕方がない、乗った自分が悪いのだ。結局440円の散財である。
 ガイドなどには3時頃からやっていると書いてあったから早起きして来たのだが、まだ大半の店は開店準備中だ。駅の近くをうろうろ散歩する。函館駅では北斗星号が丁度出発するところ。あれには乗ってみたいなぁ。
 5時過ぎに戻ってくると、やっと活気づき、朝市らしくなってきた。

函館朝市  朝市で注意しなくてはいけないのは、毛ガニ、夕張メロン攻撃である。まだ生きている毛ガニは活きがよすぎて台から落ちる。だが無論こちらに買う気はまったくないので、なんとか攻撃をかわさなくてはならない。夕張メロン攻撃はかなり手強い。一口大に切り楊枝に刺したメロンを両手に持ったオバチャンたちが通路に並んでいるのだ。食べたが最期と思いつつ、つい手が出てしまう。「どこまで? 送るよ」「いやぁまだ旅行してるんで…」などといってはイケナイ。「帰る頃送るから。いつ帰るの?」と、こう来る。「おいしいね、でも連れと相談しないと…」などといい加減な事を言って胡麻化すのが一番だ。

 松前漬けや塩ウニも勧められるが、もう最初から、「今決められないんだけど、いい?」と言ってしまうのが安全策。そう言っておけば気軽に世間話も出来るのだ。
 朝市は高いから買わない方がいいよ、とさっきのタクシーの運転手さんは言っていたが、野菜は安いような気がする。生産量が少なく珍しい、生のホワイトアスパラも並んでいる。1把300円は多分安いのではなかろうか。
 家の庭か畑の片隅ででも育てていたんだろうか、木や花の苗や切り花も売られている。きれいだが買って帰る訳にはいかないのだ。

 函館朝市といえばうに丼、どこのお店で食べようか。あまり外観がきれいなところではないほうがらしくていいな。それで選んだと言うのも失礼な話だが大一食堂という店に入る。カウンターにテーブルが4つ。客は観光客のオバチャン4人組。働いている人たちも女性ばかりだ。オバチャンたちは「ここで食べるのが憧れだったのよぉ」なんて言っているが、そんなにすごい店なんだろうか。とにかくうに丼を注文。うにといくらとかにをのせた北海(だったかな)丼もあるけど、と言われるが、やだ、一面にうにがぎっしりのうに丼がいいの。
ザうに丼  お茶を出したりしているちょいと化粧の派手目なオバチャンは、ここの従業員ではないらしい。ママが気に入ってるから通ってるのよ、という。朝食の時間だったようで、いかの煮つけやほっけと大根おろしのあえ物を「おいしいから食べなさい」と私のテーブルに持ってきてくれる。東京には修学旅行で昭和34年頃行ったそうだ。ジェットコースターのある遊園地に行ったけど恐くて乗れなかったのと話してくれた。それ以来東京には行っていない。結婚した時は札幌にいた…などと、聞いてないのにいろんな話しをしてくれる。流れ流れて函館の女かぁ、とこっちも勝手に解釈することにした。
 そしてうに丼が来た。うーん、一面に、とまではいかないが、なかなかの盛り、そして口に運ぶと…おお、うまい。だがさすがの私と言えども午前6時前の丼ご飯はちと苦しい。最後はもう、残しちゃいけないという義務感だけで箸を動かす。うに丼、2000円也。

 朝市前の道路は観光客と客待ちのタクシーと露店で大混乱。あくびしながらかき分けてホテルに戻り、少しだけ寝る事にしよう。

どうやったら7時45分に寝られるんだ

マリア像  今日2回目のおはようございます。コンビニで買ってきたカップコーヒーを飲み、今度はバイクでお出かけだ。
 R278を走り、湯ノ川温泉を過ぎてから標識に従って左折してしばらく行くとトラピスチヌ修道院に着く。トラピスト修道院は有名だけどトラピスチヌ修道院はあまり聞かないからさぞかしひそやかなところなのであろうと思っていたのは私だけだったようだ。なんだここ、ただの観光地ではないか。大きな駐車場には観光バス、門の前では記念撮影する観光客。旗を持ったガイドさんの後を付いて歩く団体さんにいちゃいちゃするアベック…ねぇここ修道院なんだけどなぁ。お土産コーナーも充実している、もちろんここで作ったものしか売られていないが。聖書の中の言葉などが書かれた押し花のカードを買う。

 こうした外部の喧噪とはまったく隔絶された世界が、煉瓦の壁の向こうに広がっている。祈りと労働と聖なる読書の3つを守り、生活しているのだという。朝起きるのが3時半…そりゃ私もツーリングの時ならいくらでも早く起きられるが、彼女達はそれが毎日なのだ。お土産売り場の隣の資料室に売っていたパンフレットには彼女達の1日の日課が記されている。

  3:30 起床
  3:50 読書課、黙祷、お告げの祈り
  5:30 朝の祈り、歌ミサ、朝食
  8:05 三時課、就業
 11:00 終業
 11:15 六時課、糾明、お告げの祈り、昼食
 13:15 九時課、就業
 16:30 終業
 17:05 晩の祈り、黙祷、夕食
 18:55 読書、寝る前の祈り、サルベ・レジナ、お告げの祈り
 19:45 就床
       (「厳律シトー修道会(トラピスチヌ)修道女の生活」より)
 なんのことなのかわからないものもあるが、とにかく起きている間は祈っているか働いているか読書をしているか食事をしているか、なのだ。 読書と言ってもすべてキリストの教えにかかわるものばかりという。労働は牧畜や農作業にお土産物(バターやクッキー、手芸品)作り。
 そして沈黙。決まった時間に決まった内容の会話しかしないのである。なぜなら「神のささやきに耳を傾け、読書や祈りを容易にし、修道者全員の霊的生活を深めるため」(同上より)…。

お花 お花
 しかしこうした全く外界とは異なる生活をしていても日本国民、選挙の日には投票に行くのである。以前は普通の人々と同じ時間に投票所に行っていたそうだが、めったに見る事の出来ない修道女、人は集まるわTV局は来るわと、大騒ぎになってしまったらしい。そこで今では一般の投票時間とずらして行くようになったそうな。ちなみにこれは団体ツアーのガイドさんのお話しを耳をそばだてて聞いたのだ。
 彼女達は厳しい毎日の中で何を思っているのだろうか。俗世間をどっぷりひたった観光客(勿論私も含めて)には決してわからないんだろうな。

ああトラピスト修道院

 庭のそこここに可憐な花達が咲くトラピスチヌ修道院でいろんなことを思った私、行く予定のなかったトラピスト修道院にも行きたくなった。R228で函館湾をぐるりとまわり、当別のトラピスト修道院へ。国道からそれて江差線の踏切を渡ってすぐに男爵博物館なるものが出来ていた。じゃがいもの博物館のようだ。ふぅん。

 畑の間の道を走ってゆくと広い広い草原を真っ直ぐにポプラの並木、その先には坂道、そして修道院の建物が見えてきた。坂の手前の駐車場にバイクを停める。閑散としている。修道院はこれでなきゃ。
 修道院の前まで行こうと坂を登っていると、上から修道士が観光客らしい女性3人と話しをしながら降りてきた。修道士がこんな人目につくところに出ているのも不思議なら女性と接触をもっているのも不思議。と、彼らとすれ違う時、修道士が「ああ、あなたもついでだからいらっしゃい」と私に言った。どこに行くのかもわからないまま、ついていく私。

 駐車場の手前の信徒礼拝堂(近隣の教徒のための教会)の中を見せてくれるのだという。門扉をくぐり、礼拝堂正面へ。がちゃがちゃとたくさんの鍵の束。「はるばるオートバイで来たんだから開けさせてあげよう」ひぇ〜、いいんですかそんなことして。ちょっぴりどきどきしながら鍵穴に鍵を差し込む。がちゃんと、扉が開いた。
 中でひととおり、説明を聞く。丸い天井を見上げれば12人のステンドグラス。「このキリストの12人の弟子の事をなんといいますか」…3人の人たちは知らないみたいだ、図々しいけど答えちゃおう、十二使徒でぇす。キリストを裏切ったのは? ユダ! 礼拝堂入り口上の像はキリストの何を表しているか? ちょいとこれは難問、うーんずいぶん痩せこけてるなぁ、あそっか、復活ですか? よく知ってるねと褒めていただいた、いやぁ信者じゃないけど一応教会で結婚式したもんで。プロテスタントですけど、というと、あれはなんでもありだから…たしかにそうかもしれない。カトリック教会で結婚式をしようとするとその前に何回も勉強をしに行かなくてはいけないのだが、プロテスタントはそのへん緩やかだものね。 礼拝堂

 駐車場のあたりで、山梨から来たという3人と別れ、修道士さんと一緒に修道院正面へ。扉越しに修道院本館を見たり脇の小部屋の資料室を見たりしながらお話をする。調子に乗っていろいろ質問をする。
 本当に3時半に起きるんですか? 起きるそうだ。
 で8時頃寝るんですよねぇ? さすがに眠りに就くのは9時頃だという。
 みなさん中ではしゃべらないんですか?(この修道士さんから「沈黙」は思い浮かばない…)もちろん話はする、決まった時間にはね。やっぱり無駄話はしないのか…。
 何才くらいの方々がいるんですか? 最年少は19才、そして90過ぎの方もいるという。この修道士さん、今の年は聞かなかったが14才でここに入ったそうだ。でも入るのは20才過ぎてからじゃないとだめだ、という。中での教育(一般常識みたいなことかな)は難しいらしい。
 一番聞きたいこと、どうして修道院に入ろうと思ったんですか? は、聞けない。だって14才で自分の意志で入ったとは思えない、辛い過去があると困るでしょ。

 さっきトラピスチヌ修道院に行ってきたというと、あそこは観光客を受け入れてしまったからうるさくて…という。トラピスト修道院は団体旅行での見学は断っているんだそうだ。神父さんはここから派遣されている。「女はだめだから」というようなことを言ったけど、なんで? イエスだってマリアという女から生まれたのに!

 資料室の写真も説明を聞きながら見る。「掃除する老修士」の写真。聖堂内を掃除しているのは顔は写っていないけどかなりお年を召したおじいさんだ。90才近くで亡くなったという。どうしてこんなお年寄りに掃除なんてさせるのだろう。聞くと、「掃除の係」と決まるとずっと「掃除の係」だそうだ。この修道士さんは「礼拝堂の係」というわけ。前にここに来た時に礼拝堂の近くで見かけた修道士さんは、この方だったのかも。お話好きだから外部との接触の多い係になったのかしら。「図書室」での写真。読書している写真の中の人を指して言う、「これ、私だよ」20年くらい前の修道士さん、今と全然変わっていない。

 多分もう50才台くらいなのだろう、だが一緒にこうして話をしていると、まったくそういう感じはしないのである。やけに爽やかなのだ。俗世のどろどろしたものを何一つ持っていないせいかな。14才からここにいるのだったら、きっと自我に目覚める頃にいろんな事、悩んだのだろう。それらを全て乗り越えたからこその、このすがすがしさなのだろうか。

 ルルドの泉まで行くと見晴らしがいいからぜひ行きなさい、と教えていただき、途中までも案内してもらう。昔はかなり近くまで熊が来た事もあるそうで、そんな挿話も話してくれた。
 畑には、トマトやアスパラが元気に生っている。その前で、修道士さんのB・Kさんとお別れをする。旅の無事を祈っていますと言って下さった。もしこの修道院の中で私の事をほんの一時でも祈ってくれるのだったら、本当に嬉しいと思う。しっかと握手を交わして、お別れする。ん、修道士さん、これでも私とりあえず女、触っちゃったりしてもいいんだろうか?

 途中には信徒のお墓もある。白くペンキを塗った十字架に、洗礼名、名前、年齢が書いてあるとてもシンプルなお墓。ところどころには石造りのものもある。一番奥のお墓をちょうどお掃除しているところだったので、邪魔をしないようにそっと見て歩く、カメラを持った手を後ろに隠しながら。なぜか若い人のお墓が多いような気がする。1才、というのが多いのはどうしてなのか。

 ルルドの泉というのは、フランスのルルドという村に住む少女のもとに聖母マリアが何度も現れ、その場所に泉が湧き出たという伝説に基づいて造られたマリアの像と、泉のこと。ここでは小高い山の中腹にある。
ルルド  白いマリア像の下に水が湧いている。本当に湧き水なのかどうかは知らないが、これがルルドの泉。水が溜まっているところには、何種類かの小さな花が供えてあった。へぇ、なんだかいいねと思いながら見ていると、どこからか男の人の声がする。見回しても誰もいない、まさか私のもとにイエス様が…そんなわけはないのである。展望台に行くとアベックがおしゃべりをしていたのであった。じゃまをしないように端の方で下界を見おろす。すぐ下には修道院の建物、遠くには海と函館山、こりゃ見晴らしがいいやと思って見ていたちょうどその時、鐘の音が響いてきた。1時10分、午後の作業が始まる時間なのだろうか、なんだかシアワセな気分になってきた。

 駐車場に戻って小さな売店で買い物をしたり、タクシーの運転手さんとしゃべったりして気がつけばもう2時、お腹が空いているはずだ。

 函館の街へ戻りながら考える。信仰ってなんだろう。パンフレットによれば彼らの信仰は現世の利益を考えないものだ。一般俗人にとっては神様も仏様も困った時に頼むもの、ご利益だけを考えて頭を下げ、手を合わせる。その考え方を受け入れられるかは別にしても、自分のためではなく神(であれ仏であれ)のために生きるかのような生きざまは、すごいと思う。

 だが俗世間をタンデムシートに乗せて走っている私はそんな事よりお腹が空いた。おそば屋でカレー南ばんを食べてシアワセシアワセ。

ちょっと函館観光

 路面電車の線路を気にしながら函館の街を通り抜け、函館山の南、立待岬へ。細い道を抜ける途中には、石川啄木一族の墓もある墓地の間を通る。海を見おろせるのはいいけれど、こう車が通っていたんではうるさいだろうな。
 急坂を登りきるとそこが立待岬。どんよりと曇った空模様、細かい雨も降ってきて、断崖の下は岩にぶち当たる荒波、ああ演歌だなぁ、これでこんなに人がいなければね。でも崖に咲くエゾカンゾウが美しい。
立待岬  岬を後に坂を降りて行く途中でバイクを停めて林の中を少し歩くと、碧血碑にたどり着く。ここには戊辰戦争で亡くなった旧幕府軍戦死者が奉られている。たとえば東京・上野、西郷隆盛像の前はいつもたくさんの人が集まり華やかで、すぐそばにある彰義隊の墓は寂しげなのと同様に、うっそうとした木立がちょっぴり悲しい。旧幕府軍最期の砦となった五稜郭の方はすっかり観光地なのに。明治政府のお役人になった榎本武揚のおかげかな。

 元町まで降り、北方民俗資料館へ。日本銀行として建てられたどっしりとした建物の中に、アイヌやアリュート民族などの民俗資料が展示されている。アイヌの衣装に見られるような袖口や襟元の文様は、ただの飾りではない。袖や衿から病気や災難が入ってこないようにするためのものだという。一針一針心を込めて縫ったのだろう。
 すぐ近くには函館市文学館、こちらも元銀行の建物だ。今年の4月に開館したばかりで陳列ケースはぴかぴかである。1階には函館ゆかりの作家達の横顔が、2階には石川啄木に関する資料が展示されている。初めて名前を聞く作家も多く、いつか読んでみようかという気になった。啄木もちゃんと読んだ事はなかったかもしれない。これを機会に読もうかな。

 HAKODATE DOCKの赤い鉄柱を遠く見ることができる見える称名寺には土方歳三の墓がある。 土方さん 私は新選組が好きなのだ。中学、高校時代はかなりハマっていたのである。でもお墓といってもお骨が納めてあるわけでもなく、お寺も工事中で、特別な感慨はない。それよりも向かい側の中学の男子生徒が柵を越えてやってきて、バイクの近くをうろうろしている方が気になってしかたない。おーい、勝手に触るなよぉ

 元町を抜ける。人があまり歩いていないせいなのか、どこかもの寂しい。ここだけではなく函館という街はどこもそんな雰囲気だ。明治の初めの頃はハイカラな街だったのに。
 でもまたそんなところがこの街の魅力なのかな。

漁船 いぬ
 ホテルの駐車場にバイクを停めて道に出ると、向こうから20代半ば位の若い男性が歩いて来る。私を見ると、ちょっと照れたような顔をしたので、なんか私、変なのかしら、チャック開いてる? と思っていると、彼は駐車場の隣のポルノ映画館に入って行った。なぁるほど。