わたしも街道をゆく/1993年/北海道へ
わたしも街道をゆく 1993年 北海道へ


1993年7月2日 東京から函館へ 本日の走行距離735Km

いってきまーす

 午前3時10分、眼を覚ます。窓の外はまだまっ暗。コーヒー豆を挽く音がやけに響きわたる。さあ始まる私の北海道。

 エンジンを掛ける、期待と不安にドキドキしながら。ツーリングが始まるこの瞬間。私はこの時がなによりも好きである。
 なのにいったいどうしたというのだ。エンジンが掛からない。ほの明るくなってきた東京の空の下、シュルシュルと、空しい音だけが響く。
 …S(夫。当時(^^;)にいきなり借りを作って、なんとかエンジンが始動してくれた。

 すっかり空は白んできた4時20分、ほんじゃ1週間後とSに手を振り、出発。船堀街道から平和橋通りへ、平井大橋から首都高に乗る。
 首都高はトラックばかりが走っている。狭い道幅はますます狭くくねり、東北道へ、の道路標識からも眼は離せない。荒川の向こうで東京の街が朝もやに煙っているというのにそれを眺める余裕はないのである。
 東北自動車道、浦和料金所を通過、4時55分。

東北自動車道にて

 寒い。まだ関東地方にいるのに、どうしてこんなに寒いのだろう。いくら日の出前といっても私は冬用のジャケットを着ているのに。先が思いやられる。
 蓮田SA、5時14分。私はサービスエリアでぼおっと休憩するのが好きなのだが、まだ走りだしたばかりなので給油だけをする。
 それにしても寒い。だけどこの時期、雨が降っていないだけでもありがたいと思わなくてはいけないのだろうが、寒さが骨身にしみる。
 安達太良SA、7時。お腹が空いているから寒いのだ。7時のニュースを見ながら山菜なめこうどんを食べる。ちょっと味が濃いが、ま、サービスエリアの食事に味は求めまい。コーヒーを飲みながら観察していると、信じられないことにTシャツで歩き回っている人がいる。いくら自動車だからって、寒くないのであろうか、信じられない。ワゴン車を運転していたオジサンに、どこまで行くの? と聞かれる。3年前、初めて北海道に行く時は、「北海道です!」と答えるだけでも感動したのだが、あの感動はさすがにもうない。余裕すらある自分がちょっぴり悲しい。

 くどいようだが寒い。日が昇れば気温も上がるが、それにつれて北上しているのでいつまでたっても寒いのだ。気温も低いがスピードを出しているからなおさら寒い。60kmくらいで走ればそんなに寒くはないようだがそうもいかない。その倍は出ているのだから寒くて当然である。

 オートバイの距離計は小数点1桁を入れて全部で6桁ある。これが全部一緒に動く瞬間というのは10、000kmごとに一度しかやってこないのだが、4回目のその瞬間が近づいてきた。…39999.8…39999.9…そして全ての数字が一度にかちん、と回る…40000.0。やっと4万km、目指す10万kmはまだまだ先のようだ。(このときから6年目、まだ5万kmにもいってないんですけど)

 高速道路はいろいろなものを積んだトラックが走っている。私を追い越していったトラックの荷台に積まれていたのは、ニワトリだった。荷台が大きなケージで、その中がやっと1匹座って入れるくらいの大きさに仕切られ、ニワトリが押し込められている。全部で何匹くらいいただろうか。もちろん羽ばたきなんてするような空間はない。残酷だなと思うが、もしも今夜の夕食に鶏肉が出てきたとしても、おいしいおいしいと食べるのだろう。人間なんてそんなものだ。少なくとも私はそうなんだよなあ。
 トラックで運ばれていく動物達にはよくお目に掛かる。馬、牛、豚、沖縄では山羊がフェリーで運ばれていたっけ。馬(競争馬)以外はすべて食用、いわゆる「ドナドナな動物たち」である(注:私が勝手に名付けた)。かわいそうな気もするけどしょうがないのかな。

 出発前日くらいに市長が逮捕されて注目を浴びてしまった仙台を過ぎる頃、やっとうっすらと青空が見え始めた。寒さが緩んだ気がするのは、気のせいだろうか。
 お日さまの光の下、稲穂がぐんぐんと伸びている。陳腐な表現だけど、右も左も緑の絨毯を敷いたようだ。

 前沢SA、10時。この調子だと今日中に函館まで行けそうだ。ここのサービスエリアには「ミニミニ動物園(ウサギ小屋)」と称して、ウサギが飼われている。小屋の外でも遊び回っているようだが、車に挽かれたりしないのだろうか。それにしてもウサギだけで「動物園」を語るとはいい根性である。 前沢SA

 青い空にぽこぽこと白い雲が浮かび、見回せば緑の中。今生まれ出たばかりの淡い緑、ぐんぐん育ち盛りの緑、深い緑…同じ「緑」といっても微妙に違う表情に感心してしまう。自然ってすごいや。
 左手に見えてきたあの山は、岩手山。山頂近くには雪もまだ少し残っている。

 津軽SA、12時半。手の届きそうな所に岩木山がある。もう少しで青森。先へ先へと気持ちが急ぐ。
 そして12時50分、青森IC。ブースのオジサンにフェリーターミナルまでの道を確認すると「青森市街略図」というのをくれ、のんびりとおしゃべりをしてしまう。オ、オジサン…後ろに車、来てるみたいですけど。

 R7はあっちでもこっちでも道路補修工事中で一車線規制である。いやだなぁとふと思ってしまうが、私達道路を利用する人々の為にやってくれているのにそんな事思っちゃいけない。ごくろうさまです、と通り過ぎる。

船上の人となる

 陸橋を昇りきると海が見える。ここが青森フェリーターミナル。北海道への入り口だ。今1時5分、2時20分発のチケットを買い、ターミナル内のレストラン「あすなろ」でカレーライスを食べる。さて宿の予約もしなきゃ。もしもう1本遅い船だったら青森に泊まろうと思っていたのだが(それだと函館に着くのが8時過ぎになってしまうので)、函館に上陸できる。今日はひとりでぼーっとしたい気分、ホテルにしよ。
 そんなこんなで2時、乗船開始時刻だ。オートバイに乗るときはヘルメットをかぶらなくてはいけないのだが、私は「ターミナル内は公道ではない」という勝手な解釈の元、フェリーの乗り降りの時は、ノーヘルを心がけて(?)いる。これがまた気持ち良いのだ。フェリーに乗ってどこかに行くというだけでもときめいてしまうのに、もしこれでコケたら頭打つんだろうなぁという恐怖も相まって、ドキドキである。よい子の皆さんは真似しないように。

 フェリーでの私の定位置はデッキである。別に風に吹かれてスカして(死語かもしれない)いたい訳ではなく、船に弱いのだ。船室内の金だらいを見ただけでもう(今、こうして文章にしているだけでも)気持ちが悪くなってくる。そこでデッキに出たのだが、なんとこのフェリーにはデッキにベンチがない。ただの空間が広がっている。しかたなく、端の方でウォークマンを聞きながら立ったりしゃがんだり。海上の風は冷たく強い、4時間か…ちょっとつらいな。
 そんな私の心情を察してくれたのかどうなのか、フェリーの乗組員のおにいちゃんが、「操舵室見に来ませんか?」と声を掛けてくれたのだ。「え? いいんですかぁ?」と言いながらも後を付いていく。やったぁ、実は以前五島列島に行った時も操舵室で遊ばせてもらったことがあるのだ。あそこはけっこう面白いところなのである。乗組員の方としても、出航してしまえば後は自動操縦だからしばらくはヒマなのだと思う。

 室内に入ってまず驚いたのは、空気のきれいな(は大げさだがとにかくあの独特の船臭さがない)こと。2等船室とは大違いではないか。
 そして、2等航海士のHさん、学生時代のクラブの先輩に顔がそっくりなのだ。東北系のなまりもそっくり。先輩…ガテンしたの?と思うほど。すっかり親しみが湧いてしまう。
 紅茶にコーヒーなど入れて貰いながら、この機械はなに? あれは? などあれこれおしゃべりしたり、双眼鏡で景色を見たり。
イルカ

 「あの、鳥がたくさんいるところ、イルカがいるよ」と言う。見ると海上すれすれをたくさんの鳥(カモメ?)が飛び交っている。船がそこに近づくと、イルカがすぐ近くを泳ぐ。水族館でしか見た事のなかったイルカ、これが生まれて初めて見る野生のイルカだ。なんでも人間が好きなんだそうで、特に修学旅行生などが乗っていて大騒ぎをしていると、聞きつけて寄ってくるという。イルカさん、元気でね。

 操舵室中央に堂々とおわします操舵桿、「ほらそれ持って」って簡単におっしゃいますけどHさん、いいんですかぁ?
 操舵桿が取り付けてある、目盛りを振った丸い盤、これと窓の上にある目盛り、どちらも真ん中が0、左右へ10、20と振ってある。これをめやすとして船の進む角度を決めている。それを見ながら「右へ15度」「は、はい!」おお、本当に船が右に少し角度を変えた。すごーい、3000トンの船動かしちゃった! と拍手をしていたら「操縦中に手を離すなっ」「はいっ」しかしド素人がこんなことして飛行機だったら大問題だ(船でも問題だろうよ。ま、時効とゆーことで)。50人とは言えども乗客はいるのである。 操舵室にて

 …しばらくすると、右手前方に黒っぽい船が現れた。ロシア船だという。津軽海峡を外国の船が通ってもいいのだろうか? ゆっくりと左手に進むロシア船、あまりにも遅いのでこのままこの船がまっすぐ走っているとぶつかってしまいそう。さあここで臨時航海士(私のこと)の出番である。「右に10度」「はい…あ、回しすぎた」「戻して」「はい」こうして無事にロシア船を退避したのであった。

 間もなく船長が戻ってくるという。フェリーといえども客船の船長…金モールの付いた紺の制服をキリリと着こなすダンディーなオジサマの絵が私の頭をよぎる。が、ドアを開けて入ってきたその人は、漁師さん? 日に灼けた顔に白いシャツ(Tシャツではなく下着のシャツ)、ジャージにサンダル履き、どこから見ても板子一枚下は地獄…の漁師さんである。しぶい、しぶすぎる。実は私は漁師に憧れているのだ。船長、すてきです。

 もう函館山が眼の前、入港準備が始まる。そろそろ私も失礼しよう。
 声を掛けてくれた案内係のOくん、彼女の写真を見せてくれた甲板(こうはん、と読む)員Aくん、終始無口だったけど渋かった甲板手のOさん、先輩にそっくりの2等航海士Hさん、そして船長Iさんたち、本当に楽しかったなぁ。
 ところでAくん、私の事ほんとに21才だと思ってたのかしら…(ちなみにこのとき32才)。

フェリーターミナル

 函館駅からほんの少し走った所のホテル、ホテルRへ。Rってチェーン展開しているあのRだと思ったのだが、違うのかな…違わないようだ。かつて盛岡で泊まったホテルRは超リッチだったのに。まぁ別にいいのだがハコがこれだけ違っていて料金が一緒というのは解せないなぁ。
 近くの駐車場(なんと隣がポルノ映画館)にバイクを預け、夕食の買い出し。スーパーが見つからなくてうろうろした挙げ句、コンビニに入りお寿司とビールを買う。このお寿司が案外おいしかったのだ、さすが函館である。 晩ご飯

 ビールを飲みながら明日の函館観光に備えて本屋さんで見つけた「函館散歩」という小冊子を読む。
 今朝は東京にいたのにここはもう函館、なんだか不思議。