わたしも街道をゆく/1992年/近畿へ
わたしも街道をゆく 1992年 近畿へ


1992年7月21日 柳本滞在 本日の走行距離0Km

山の辺の道はどこですか

 うーん、いいお天気。今日も暑くなりそう。

 朝ご飯の後で、夕べお願いしておいたお弁当を受け取る。今日は、山の辺の道を歩くのだ。しっかり帽子をかぶって、いってきまあす。

 柳本駅からJR桜井線に乗る。4両編成の電車にはなんと地方のバスみたいな料金表(料金表示が変わっていくヤツ)がついている。写真撮りたい!うずうずしたけど人目も気になるしなんだかばかにしてると思われると困るから、がまんがまん

 巻向、三輪と古代の香りの駅を過ぎ、桜井駅へ。私鉄も乗り入れているだけあって駅は想像していたより大きい。さてとここから出発だ。

 きっと駅前からご丁寧に山の辺の道はこちらって表示が出ているに違いないという予想は外れ、いきなり道がわからない!「山の辺の道はどこですか」と尋ねるのもなぜだかちょっと恥ずかしくて、きっとこっちの方のはずと適当に歩き出す。方向音痴の私ではあるが今回はけっこう確信を持って、ここを曲がるんだ絶対、と歩く。三輪山の神様が連れて行ってくれたのカシラ。

 暑い。日差しを遮るものなんてなにもなく、埃っぽい地面からの照り返しもまぶしい。道の両側は畑と小さな工場とパチンコ屋さん。この道のどこから山の辺の道が始まるんだろうかと不安になる。

ゆくぞ山辺の道

 ああやっと道標があった。海石榴市跡へいざ左折。
 人の家の軒先を通っているような道にその碑はあった。日本で一番古い市場の跡である。都の中心で、たくさんの人たくさんの物とが溢れかえり、歌垣も行なわれたという。ここが? 見回しても誰もいない、ここが? 謡い踊っていた人たちはどこに行ってしまったのだろうか

 金屋に向かう道筋も普通の(といってもしっかりした木造の家だけど)家が並ぶ普通の静かな町並。ただ目を惹いたのは、ほとんどどの家も表札に並べて掛けてあるしゃもじ八十八歳と書いてある。米寿のお年寄りがいるとこうするのかそれともその家からいただくのかなあ。きっと長寿のお守りなんだろう。

 舗装してある道を離れた。足の裏に優しい土の地面、いよいよ山の辺の道って感じだ。

 金屋の石仏は、お釈迦さま弥勒菩薩が彫ってある石の板が、祠の中に納まっている。山の辺の道が賑わっていた時代よりも後のものだ。祠の下を見ると、石棺らしいものが転がされている。あららなんだかかわいそう。

 木漏れ日を浴び、葉っぱや石ころを踏みながら三輪山のふもとを歩く。慣れないハイキングの上、誰ともすれ違わないで歩いているとやたらとたくさん歩いたような気がしてくる。こんな事でこの先頑張れるのだろーかと不安になった頃、三輪山をご神体とする大神神社(三輪明神)に着いた。お酒の神様なんですよね。これからもおいしいお酒が飲めますように(神様ありがとう。私は2001年の現在も、おいしいお酒をいただいています)。

 すぐ近くには狭井神社。二本の丸太に注連縄を渡したものが鳥居なんだろうか。それをくぐると、こぢんまりとしたお社があった。静かな所だ。ウーロン茶の缶片手の私は不似合い。裏手には井戸があって、御神水だそうな。人々がボトルに水を汲んでいた。ここは三輪山登山の入口になっているようだ。なにしろ神様のおわすお山、登山にも決まり事がいろいろあるのだ。時間は決まってるし、なに一つお山の物は取っちゃいけない。夜中にこっそり登ったら、神様たちが酒盛りしてたりして。

 大和国中が一望できるという小高い丘の休憩所に登ってみた。左の方に目をやると、ごちゃごちゃとした町の向こうに大和三山が見えた。 山辺の道から

白日夢…だったかも

何を祈る  …さっきから気になってるこの音はなんなのだろう。耳元で聞こえる虫の羽音のようなかすかな音。それにしてもずっと聞こえてる。そのうち気が付いた。お経? 般若心経でしょこれ。暑い夏の昼間、誰もいない道で遠くから聞こえてくるお経ってけっこう怖い。般若心経だと分かってしまう自分も怖いけど。煙が上がっている。護摩をたいているんだろうか、近くにいってみようか。すると庭先に黄色や赤や紫の幕をめぐらせて、人々が火を囲んで正座して一心不乱になにやらお祈りをしている。一人の、和尚さんのような山伏のような格好をした人が先導してすごいハイペースの般若心経、その後は「商売繁盛ナントカカントカ(なんて言ってたか忘れた)」「家内安全ナントカカントカ」を皆して唱えていた。ギャラリーもいる。なんだったんだろうあれ。

 玄賓庵桧原神社と過ぎ、いったん普通の道に出た。道の横を流れる水は透明でとてもきれい。道から下りるための石段が付いている。生活のための水なんだろう。さすがに今はしてないんだろうけどきっと野菜を洗ったり洗濯をしたりしていたんだろうなあ。

 草いきれの中を歩く。畑をしっかり守ってるかかしたち。とっても暑いけど、のーんびりした田舎道。真っ赤なカンナが元気に咲いて入道雲ももくもくわいて、夏休みだね。竹の生えてる丘はどれも古墳なのかしら。

世界で一番おいしいお弁当

 お腹空いた。

 景行天皇陵を過ぎてしばらく行くと、休憩所があった。トイレの前だけどまいいか、ここでお昼にしようっと。オヤジさんが持たせてくれたお弁当を広げる。

弁当うまかった ランチタイム

 新聞紙の中の竹の葉を広げる。ゴマの付いたおむすびが3つ、卵焼き、肉とナスとピーマンの炒めたの、お漬物、ゆで卵とバナナ。なぜなのか自分でもわからないんだけど、とたんに涙が出てきた。なんでなんだろう?どれもおいしくて、食べながらも目がうるうるしてきて、それでもばくばく食べる。後にも先にも山の辺の道を歩いてる人にはここでしかすれ違わなかったんだけど、その貴重な人々に、おむすび食べてる所を見られてしまった。でも、おいしいんだぞと自慢したかったなあ。

 崇神天皇陵を越えてから県道に出て、いったん柳本に戻る。郵便局でお金をおろす。また県道に戻る道を地元の小学生に聞いている私はなぜか関西弁になっていた。 うし

がんばれ山辺の道

 さて後半戦。まず長岳寺へ。

 門のそばにはたくさんの小さな石仏さんたちがいらっしゃる。半分埋まってたり斜めになってたり、もう細かいところは全然わからなくなっている。いつかただの石になってしまうのかしら。お寺の中にも石仏は多いけど、不動明王はひょうきんなお顔でちっとも怖くなくて可愛かったなあ。

ゴーゴー山辺の道 山辺の夏

 民家の間や畑の中の道を元気に歩く。墓地の間を抜ける道もある。ここで眠ってる人たちは、しょっちゅうざわざわ人が歩いてて落ち着かないだろうなあ。申し訳ない、と思いながらも山の辺の道に眠るなんてちょっとうらやましい

いぬ1 いぬ2  いつしか道は、ビニールハウスにはさまれた、農道。なりたてのナストマト、ちっちゃいカボチャがころころしている。あ、子犬だ。おいで、って呼ぶとすっとんで来た。頭をなでてあげるとひっくりかえって喜んで、ぺろぺろ手をなめる。かわいいなあ。

 竹之内町の環濠集落が見たい。かつて自分たちを守るために村の周りに水濠をめぐらせたそうな。でもどこに? 行ったり来たりうろうろしても、そんなものない。ま、いいか。また今度探そうっと。

 ひっそりとしてもの寂しい夜都岐神社で休憩。涼しい風が渡っていく。あとひとふんばりだ。

 さすがに足が重たくなってきた。登り坂、よいしょよいしょと登ってく。道の両側は木が欝蒼としててなんだか悲しくなってきちゃう。

 池のほとりに、大寺院の絵図が掲げてある。内山永久寺という大きく華やかなお寺がかつてここにあった。平安時代から続いていたのに、明治の廃仏毀釈で廃絶してしまったという。夢の跡、で済ませてしまうにはあまりにも寂しい。明治政府はとんでもない事をしたもんだ。

 森(ちょっと大袈裟)を抜け国道の下を通り、また森に入る。岸に合歓の花が盛りの池の横を通る。奈良県発祥の地という看板があった。どういう意味なんだろう、説明が書いてはいない。まあそんなことはこの際どうでもいい。もう、目の前は終点、石上神宮。

 ふう、大きなため息を一つついた。石上神宮に到着だ。ここまで14km弱、すごいすごいよく頑張ったよねえこの私が。無事にここまで来ました、と拝殿に手を合わせる。なんだかすご〜く気持ちいい。

ビール、差し入れッス

 県道まで歩く。山の辺の道を一歩離れると、ここは天理教の町なのだ。天理大学の子が言ってたように、たしかに町の中はきれい。ハッピ着た人も歩いてる。大学もきれいな建物だ。おおあれが総本山。でかい。町の名前まで変えちゃったんだからたいしたもんだ。でもちょっと…こわい。実家の近くに教会があって、よく庭で遊んでたから、新興宗教とは言っても天理教にはそんなに違和感持ってなかったんだけど、ここにいるとなんだかやっぱり異様な気がする。独特だよね、信者じゃない人って住んでいられないだろうなあ。

 バスで柳本に戻る。宿への途中でビールを買う。泊まっている旅館に気を使っている私なのだ。

 お蕎麦付きの豪勢な夕食、爪先立ちのお風呂に入って、オヤスミナサイ。


モノクロームな山辺の道の世界はここから。たんなる自己満足の世界です。