わたしも街道をゆく/1992年/近畿へ
わたしも街道をゆく 1992年 近畿へ


1992年7月20日 奈良市内から柳本へ 本日の走行距離51Km

相談に乗ろうか?

 今朝ものんびり、ひらけポンキッキも見てしまった。

 まずは興福寺へ。ここはなんといっても阿修羅像でしょう。いざ国宝館へ。優雅なものよりは力強い像が多いみたい。その中の一つが、戦闘の神、阿修羅像。よく言われてるけど、少年にも少女にも見える。性を超越して、男だ女だっていうミニクイ世界にまだ足を踏み入れてないところがいいんだろうなあ。寄せた眉根に、悩みがあったら相談にのってあげるよって思っちゃう。

 庭には鹿もたくさん。

 興福寺の宝物も出展されてる、国立博物館。でもバイクを停めたとき、ちょっとやな予感がした。そう今日は月曜日、普通こういうところは休みなんだよね、ガックリ。また来れるかなあ。

大和古寺巡礼

 どうやら今日はお寺巡りになりそう。これぞ大和古寺巡礼だ。

腰を下ろせばシカのフン♪ 大仏殿  東大寺。いったい入口はどこなんだろう。近くをうろうろしても全然わかんない。気が付くと大仏殿の裏にいた。まいいか、ここに停めちゃおう。鹿さんバイクに噛みつかないでね。そして裏から大仏殿へ。

 平日といってもさすがに観光客が多い。欧米系と韓国系の外人さんもたくさんだ。近くの幼稚園の子供達も走り回っている。
 でっかい大仏さんにお目にかかるのは修学旅行以来だなあ。脇持もいらしたとは知らなかったが、脇持もでかい。天平の昔の開眼供養はどんなだったのだろうか。見てみたかったなあ。

 白毫寺、新薬師寺、行きたかったけどやっぱり道がよくわからない。なんでこんなに方向音痴なの?日差しは暑いしもういいやなんでもと投げ遣りになる。でも(多分)白毫寺の裏あたりの道は静かで誰もいなくてちょっと良かった。

朱雀大路  日差しを遮るものなどなにもない、平城京跡。埃っぽい道路に面したここが華やかな都の中心だったのか。の建物が並び、空はきっと今よりもくて、想像の中の奈良の都のモノクロームの世界とはまるで違う風景が広がっていたんだろう。少しだけ、かつての建物が復元されていた。

 さてそろそろ次なるお寺さんへ行こうかな、と走り出す。あれ、タンクバッグの肩掛けひも、ちゃんとしまったっけ。…やっぱり、外したひもを荷物の上に乗せたままで走り出してしまったみたい、落としちゃったあ。後で探しに戻ったけど、見つからなかった。

伎芸天さまこんにちは

 競輪場のそばを通りすぎると、民家に囲まれて、秋篠寺はある。東門をくぐり、木立の中の参道を歩く。光仁天皇によって建てられた奈良時代から、平安末期あたりまでは、東西二つの塔や金堂もあって大きなお寺だったという。受付を通り、本堂へ。

石仏さん 壁さん

 薄暗い本堂の中へ、一歩入る。明るい日差しの中にいたせいで一瞬、中が真っ暗に見える。少しづつ目が慣れてくると、基壇の上に並んでいる像が見えてきた。入口から一番手前にいらっしゃるのが、伎芸天。きれいなお顔。天平時代に造られたそうだけど、古代の顔というよりは今の顔をしている。仏様というよりは人間らしいお顔をしている。でもきっとこんな人は本当にはいないんだろうなあ。きれいで優しくて全てを包み込むことが出来て、エゴのかけらもない。いつもこんな顔していられたらいいなあ

 芸能に関する願いを叶えてくれるんだって。音楽家や文芸家に信仰されてるそうだ。どうかどうか伎芸天さま、私に、人を感動させることの出来る文章を書く力をお与えください、と手を合わせる。(2001年、私は立派に著者本を出させていただけるライターになっています、いちおう。人を感動させてはいないと思うけど。ありがとう伎芸天さん)

 ちなみに御本尊は薬師如来。日光月光菩薩や、ちょっと怖い愛染明王もいらっしゃるのだ。忘れちゃいけないのだ。

 もっと奈良らしいもの食べりゃいいのにケンタッキーでお昼を食べて唐招提寺へ。

天平の甍

天平の甍  あの九州の坊の津に上陸し、失明しながらも東大寺戒壇院とここ唐招提寺を建てた鑑真和上。そのパワーって一体なんだったんだろう。残念ながら鑑真和上像には年に3日しかお目にかかれない。いつか像と向かい合うことがあったら聞いてみよう。
 あ、そうすると私ってもしかして日本での鑑真和上の初めと終わりの地に立ったことがあるんじゃあないですか、すごい。でもそのくせ和上の事をよく知らない。  天平の甍、金堂の屋根の鴟尾、向かって左のは創建当時からそこにあるのだ。1250年の時をそこで見ていたんだねえ。奈良は爆撃しないことになってたといってもB21が上を通ったこともあったのかもしれない。人間なんて長くたって百年の命。物や建物が口を聞けたら、いろんな事を話してくれるんだろうなあ。

薬師寺東塔 薬師寺西塔  奈良といえば修学旅行、修学旅行といえば薬師寺でしょう。あのやたらと話術の巧みな坊さまはまだ頑張ってるのかしら(訪れた当時はご壮健だったようですが、もう亡くなられたのでしたね。合掌)。たしか東塔の下で話を聞いた。あの頃はまだ、西塔は再建されていなかったな。赤と緑の色鮮やかな塔、東塔が凍れる音楽なら、この西塔はどんな音楽だとフェノロサは言うんだろうか。
 東塔に近付いて、手を触れた。1200年の手触りがした。

 駅の近くで会社にお土産を送る。

ぬるいラムネとプッチンプリン

 明日の山の辺の道の半分走破のための足場として天理市へと県道を南へ。天理に近付いてくると、県や市の名前を大きく掲げた建物が目立つ。なんだろう、とふと考え、すぐに分かった。天理教の信者の人が、おぢばがえりって言うんだっけ、各地からここに来た時に泊まる所なんだろうきっと。
 天理は柳本の旅館K屋へ。本当はユースでよかったんだけど一杯だったの。それが良かったのか悪かったのか、お陰で面白いところに泊まれたのだ。

 古びた風情の旅館、と言えばいいのかしら。いや、歴史ある建物を磨きこんで使ってるって訳ではない。建物も古いが手入れもしてない。立て付けが悪くなってて襖や障子がピタッと閉まらない。埃をかぶったものが置いてあったり小引き出しにはなんだかいっぱい物がしまってあったりする。なんだかなあ、と思ってるところへご主人登場。ラムネとプッチンプリンを持ってきてくれた。山の辺の道の地図や本を貸してくれる。奥さんと別れて一人でやってるなんて大変だなあ、いいオジサンみたいなのに。でも他にお客はいないのかなあ、さっき下にいた男の子たちは下宿生だそうだし、二泊する予定なんだけどやめよっかなあ。ぬるいラムネとプッチンプリンがなんだか悲しかった

 だけど、1階に降りていって厨房の前を通った時、食事の支度のためにしゃがみ込んで冷蔵庫の中をのぞいてるオジサンの後ろ姿に、なんだか胸に詰まるものを感じてしまい、しょーがない二泊しよっか、という気持ちになってしまったのだ。

 夕食の時間になった。ポークステーキとサラダなどだったが、けっこう細かいところに手をかけてる感じ。下宿生と一緒じゃ、腹にたまればいいようなものが出てくるのかと思っていたので、ちょっとだけ嬉しかった。でもお昼が遅くてそんなにお腹空いてなかったからお肉は半分学生さんにあげた。

 オジサンはおしゃべりが好きだった。やっぱり天理教の信者なんだって。
 男の子たちはみんな天理大学の学生たち。かなり下宿代は安いらしい。彼らは別に信者ではないそうだ。

ベタベタ足拭きマット

 食事の次はお風呂の時間。ねえこの調子で行くと、お風呂場も一つ?客用とか下宿生用とか、男子用女子用になんて絶対分かれてないよね……ああ、ベタベタしてる気がするこの床、いつ洗ったのやらこの足拭きマット。うう、毛が新陳代謝活発な二十歳前の男の子たちと同じ風呂に入るとは、夢にも思っていなかった。たまんない。妊娠しちゃいそう(うそ)。思わず、爪先立っちゃう。

 お風呂から上がって、下宿生の一人と、おしゃべりをする。ここも昔はそれでも繁盛していたこと、奥さんに逃げられてからどうもぱっとしなくなっちゃったとか、私はなんと5月以来のお客、それもこんな若い女の人来たことないとか教えてくれた。(若くないよ私ゃ)

 今まで泊まった宿の中で一番すごい、と思いながら、これまたいつ干したかわからない薄くて湿っぽい布団で、オヤスミナサイ。