わたしも街道をゆく/1992年/近畿へ
わたしも街道をゆく 1992年 近畿へ


1992年7月16日 吉野から明日香へ 本日の走行距離141Km

吉野の朝

 目が覚めたのは5時半。薄もやの中、向こうの山に見えるのは如意輪寺だろうか。そしての声、ああいいなあ。気持ちよくて思わずまた寝ちゃったっす。

修験道屋さん 金剛山寺

 急坂の途中の金峰山寺へ。本堂(蔵王堂という)は再建400年、文禄の役の頃か。江戸時代より前からどっしりと建っているんだなあ。境内には天満宮もあって、古びた鳥居をぼーっと見てたら集団登校中の小学生に、元気に「オハヨーゴザイマス!」って挨拶されちゃった。オネエサン(…すいませんオバサンです)は嬉しかったゾ。

 今度吉野に来るのなら、桜の季節。桟敷に座って満開の桜が見たいなあ。でも今だって合歓の花が盛り。甘い匂いがおいしい。

 柿の葉鮨と陀羅尼助丸の看板を見ながら吉野の山を降り、紀ノ川に沿って、西へ。

緑の自己主張

ねむのはな だんだんばたけ緑いっぱい
 R371へ左折、高野山へ。たしかに地図には悪路って書いてあったけど、丹生川と並んで走るこの道は、ガードレールもないくねくね道だ。

 川べりの岩肌に咲いている朱色の花がきれいでバイクを降りた。山の緑を見上げていたら、なんだか急に木々の葉っぱが私に向かって自己主張をし始めた。なんでだろう、あんなに遠くの木の葉がくっきりと目に入ってくる。一枚一枚が、生きてるよ生きてるよって言っている。
 あちこちで釣をしている人もいるみたい。でもゴミは持って帰ろうね〜

高野山へ

高野山  やっと高野山に着いた。今でさえこんなに大変なんだもの、かつては本当に下界と隔絶された世界だったんだろうなあ。弘法大師が嵯峨天皇の命で創建したお山、金剛峰寺。今日は嵯峨天皇御忌法会だから拝観は無料、ラッキーである。ありがとう嵯峨天皇さん。文久二年再建(幕末、京の都はすでに血なまぐさかった頃だ)の堂内に入る。がっしりしてる。高名な襖絵もあるが、一番すごいのは台所。この広さ、この中に家が何軒建つんだろう、しっかりして黒光りしてる床や梁、でっかいお釜。今でも本当にここで食事の支度をしているのだろうか。作務衣を着た若い人たちがうろうろしてた。

あまーいコーヒーが嬉しかったよ

堂守さんと  女人堂に行ってみる。かつてはここまでしか女は来ちゃいけなかったんだ、今じゃこんなふうに一人でバイクで来ちゃうんだもの時代も変わったもんだと弘法大師さんも思っていることだろうなあ。堂守さんとでも言うのか、女人堂を守っているおじいさまがちょうど出てきてにっこりされた。つられて私もにっこりしちゃう。休んでコーヒーでも飲んでいきなさい、とコーヒーをご馳走になる。お砂糖たっぷりのコーヒーは甘かったけど、心安らぐ味でした。一緒に写真撮りましょうよって写真を撮って、別れ際にお守りをいただいた。ありがとうございます!ここに至るまでどんな人生を生きていらしたのだろう、とってもいいお顔をなさったおじいさまだったなあ。なんだか嬉しいひとときだったのだ。(毎年年賀状をくださるのだ。…そういえばもう来なくなったなあ…)

 さてと奥の院にも行きたいけれど、歩きたくないなあ、また今度ということで(自分を納得させる一番の言い訳)高野山を後にする。高野山道路というこの道は、昔は有料道路だったの?県道なのにさっき走った国道よりも立派な道だ。途中のドライブインで食事ついでに今日のお宿を確保、いよいよ明日香へ向かう。

壷坂霊験記とガイドさん

ちくびがヘン  紀ノ川沿いを東に戻り、R169を北へ上がって壷坂寺へ。拝観料を払うところで、「ようお参り」と迎えられる。いい言葉だな。  壷坂寺と聞いて思い浮かぶのは、一つは枕草子。「てらはつぼさか」と書いた清少納言もここを訪れたことがあるのだろうか、京都からはけっこう遠いけど。

 もう一つは壷坂霊験記。といってもどんなお話なのか、内容はここに来て初めて知ったのだ。…お里と沢一という夫婦がいたそうな。盲目の沢一の目が治るようにと夜な夜な壷坂寺へ願をかけに行くお里に、男が出来たのではと誤解した沢一は或る晩こっそり後を付いて行く。するとなんとお里は沢一の為に祈っているではないか! ああ私はなんという恥ずかしい誤解をしていたのか、と嘆いた沢一は、谷に身を投げる。お里も後を追って飛び下りたが、なんと霊験あらたかな観音さまの力で二人とも助かったうえ沢一の目も治ってしまうのであった。ああなんという美しい夫婦愛、というお話である。ずっと昔から目の病に効き目があるといわれていたんだ。

 という訳で私もこれ以上目が悪くならないように、絵馬を納めてお祈りをする。
 由緒正しいお寺さんのくせに本堂の中はなんだか雑然としてる。いろんな仏様が適当に並んでて、いも満月が袋ごとお供えしてあったりする。いいなあ本当に愛されているんだろうなあ。門の仁王様のそばもがらくた?がちらかってる。庶民的だなあ。

おつかれさまです  観光ガイドのお姉さんがベンチでぐったりしている。オジサンオバサンの相手は大変でしょう。頑張ってね

明日香でナンパ

橿原神社  いったん明日香村を通りすぎて、橿原神宮に行ってみようか。高校野球の地区大会をやっている球場の隣にある橿原神宮は、とにかく広い。歴史はそんなに古くはない、まあ、明治神宮みたいなものか。でも畝傍山を背にしたところはちょっとカッコイイ

 わあ、あれはもしや天香久山、耳成山だ!と大騒ぎしながら道にも迷って、甘橿丘のふもとに着いた。ところで、アノーと声掛けて来たダ○キンのオニイサン、ヘルメットかぶってる女ナンパするなんて変なヤツだなあ。ヘルメット脱いでから「間違えました」といわれると困るので、とっとと「結構です」とお断わりして、民宿へ。

民宿の夜は更けて

 明日香ではみんなそうらしいが、一般家庭が民宿もやっている。それも別棟じゃなくてその家の一室って感じ。なんだかこっちが気を使っちゃう。仏像みたいな顔した奥さん、悪い人じゃないんだけど、お友達との電話で単車が邪魔で車が出せないとか言ってんの、聞こえてるんですけど!そこに置けって言ったのはどこの誰だい。ま、いいけどさ。

 ねえ、ここは明日香、甘橿丘のふもとで飛鳥浄御原宮や板蓋宮のすぐ近くなんだよ。蘇我入鹿もこのあたりに住んでたかもしれないんだ。ゆるやかな緑の中に延びた道の向こうから領布を翻して明日香の娘が走ってきたとしてもなんの不思議もないような風景の中にいる私、古代の夢でも見て眠ろう。