お日様ってまぶしい
目が覚めて一番にしたことは、カーテンの向こうの空を見ること。やったー晴れだ晴れ。わくわくしてじっとなんてしてられない。6時に出発。
小岩井有料道路は時間が早くて無料(というか料金所に人がいない)である。誰もいない道を、赤い屋根のサイロや牛さん羊さんを見つつのーんびり走る。みんな朝ご飯の時間ですか?
そのうちぱあっと視界が開けた。エンジンを切ると、のどかな牛の鳴き声が聞こえてきた。ゆるく連なる丘陵、草を食む牛たち、丘の上にお行儀よく並んだ木々、草地の真ん中に一本だけ立った木もいる。そしてなんたってこの青空とまぶしいお日さま、ああもう、嬉しくて幸せで、お日さまの光に涙が出た。雨降りの苦労が青空とお日さまの光に蒸発してゆく。
小岩井道路をどんどん登る。岩手山、頂上は見えないけど、足元に広がる町はどこだろう。太陽浴びて気持ちよさそう。
終点からは今度は県道を走って下りる。道幅は狭いけど、その分緑がぐっと身近。
岩手山遥拝所の看板を見つけて、おっと行かねば。農道を走るのって、どうも人様の家の庭先を走ってるような気がして落ち着かない。仕事の邪魔ではないですか。といいつつも牧場と農地の間を走る。ん、行き止まりだ、と思いきやここから先は細いダートがまっすぐ走ってる。なあんだ、やめよ、と引き返す。こんな砂利道走れないよ。
バイク雑誌に出ていた道を探す。いったいどこだといっているうちに有料道路にぶつかってしまった。さすがに料金所の人も出勤してきた。今度はちゃんと料金払い、小岩井有料道路とお別れ。
DNAの底から農耕民族
次なる目的地は花巻なんだけど、素直に国道走っていっても面白くない。国道よりも西側の、県道で行こっと。その方がその土地の生活や空気を少しは知れるものね。でも道がわかりにくいっていう難点もある。しばらくうろうろして、やっと目的の県道盛岡和賀線に出た。東北自動車道の西(時々東)を並行して走っている道である。
日本の穀倉地帯、明るい農村、近ごろの雨と今日のこのお日さまでぐいぐい伸びてる稲穂のかおりがしてくる。稲のにおいって、ぐっと吸い込むとなんで胸の奥がきゅんと痛くなるんだろう。稲作始めた太古の記憶がよみがえるのかなあ。
ところが道を間違え、和賀石鳥谷線から抜け出せない。右に行ったり左に行ったりしてても気が付くとちゃんと(?)和賀石鳥谷線にいるところが我ながらすごい。迷路じゃないんだからもとの道に戻りたい。救いはこの天気と景色、どの道も大好きな景色だから迷子になってもちっとも気が焦らないどころか鼻歌まで出てしまう。みんなこのあたりをもっと走ればいいのに。この気持ちよさをわけてあげたい。
そのうちもとの道に戻って、さて宮沢賢治記念館へ。
賢治記念館でVTZから下りる頃にはもうすっかり夏。暑い、という忘れてた感情が久々によみがえる。ジャケット脱ぐのももどかしい。
展示物は、賢治の環境・信仰・科学・芸術・農村・総合・資料という構成で、いろんな方面から賢治を知ることができる。残念なのは、まあ大事なものだから仕方ないけど、自筆原稿が無い(レプリカはあった)こと。その人のその時の気持ちを知るためには重要なものだ私は思っているんだけど。
R283沿いで、ひまわり畑を見つけた。ほんの少しだけどそれでも私はあんなに咲いているのを初めて見たと思う。ひまわりが咲いてると、景色がぱっと明るくなるよね。
花巻そして遠野
高村山荘は花巻のずっと奥のほうにある。その響きから私は、文人の集まるサロンみたいなものを連想していたが、まったく違う。花巻に疎開したまま終戦を迎えた高村光太郎は、この奥まった集落に、掘っ立て小屋といってもよさそうな小屋を建て、自炊生活をしていたんだという、それも62才から。冬は雪で身動きが取れないこんな所で作品の構想を練り、智恵子を想っていたんだ。この季節は一面緑で私には嬉しくて仕方ない明るい農村だが、冬はどんなに厳しいのか想像もつかない。小屋は元のまま守るため一回り大きな小屋(套屋)に入っている。村人たちが木を持ち寄って作ったそうだ。記念館には資料が展示してあり、村の小学校の生徒たちにに宛てて書いた手紙が、いいオジイサンだった光太郎を連想させる。やさしい人だったんだろうなあきっと。
納豆の入った光太郎蕎麦を食べて出発。向かうは遠野。
…遠野はただの観光地である。遠野市に入るとすぐに、がっちりお金を取る南部曲がり家の千葉家。なんだかちょっと気をそがれつつも遠野物語のふるさとを訪ね走る私。常堅寺に行けば見られると思ってたのにオシラサマはどこにいるの? 境内をうろうろしてるうちに裏手の小川に出た。ここがカッパ淵。少し日が落ちたら本当にカッパが顔を出しそう。ここが一番遠野らしいや。カッパの像を置いた小さいほこらの中にはノートがあって、ここを訪れた人たちがなにかを書いてゆくみたい。見ていると、書いていきなさいと近くのベンチに座ってたオジサンに言われた。彼はここの名物オジサンらしい。きっとカッパの生まれ変わりなんだよ。
実は遠野で一番楽しみにしてたのは、地図(いつもお世話になってる昭文社のエアリアマップ最新版)に出ていた南部曲がり屋廃屋群。地図どおりに間違いなく行ったのに、いくら走ってもそんなものない。人気もなくなってくるし、淋しくなって引き返す。地図には出ていないダムがあったから、このダムの底に沈んでしまったのかもしれない。ちょっとショック。
今日の泊りは釜石、ステーションホテルはその名の通り駅前にある。でも駅前には他になんにもない。新日鉄しかない。買い出しに行ってもなんにもなくて、結局ホテルで高い夕食を食べることになる、2500円也。そこで出てきた白身の魚、なんとこれがマンボウだって。聞かなきゃ全部食べたのに、聞いた(というか聞かされた)とたんに食欲なくなった。サンシャインシティの水族館で見たまんぼうが目の前に浮かんできた。