わたしも街道をゆく/1990年/北海道へ
わたしも街道をゆく 1990年 北海道へ

1990年8月12日 ウトロから釧路へ 
 朝、テントのファスナーをそっと下ろす。日差しがテントの中に差し込んでくる。まぶしいっ。1日じっとしていた甲斐があった、とってもいいお天気。昨日のロスタイムで、強行スケジュールになっちゃうけど、お日さまと一諸なら頑張れそう。

 R334、知床横断道路を走る。登っていくと空には厚い雲が広がっている。でも見て!その雲が、ちょうど羅臼岳の頂上にひっかかっては少しずつ、真っ青な羅臼の空へちぎれて流れてく。なんだか羅臼岳って雲の製造所みたい。

 知床峠は風が冷たい。
 根室海峡の向うに横たわる島、それが国後島。あんなに近くにあるのに、あそこは外国なんだよね。目の前にある自分の故郷に帰れない人たちがたくさんいる、とても辛いことだと思う。でも国後島で生まれ育ったロシアの人たちだっているんだから簡単に日本に返せとは言えない。早く、みんなにとっていい方法で北方領土問題が解決しますように。

 羅臼から南へ伸びるR335は、ずっと国後島を見ながら走る道。楽しいけれど、ちょっと複雑な気持ちもする。きらきら光る海の上の漁船たち、国境なんて線引いてないもの、命がけの漁なのだろう。

 標津で国道から離れ、野付半島の先端へ向かう。幅の細い半島、両側がすぐ海のこの道も嬉しくなっちゃう気持ちよさ。強い風で曲がってしまった木々、海辺で遊ぶ馬たち、青い海と青い空そして国後の島影をバックにたなびく青い旗、なにかの合図なのだろうか、ここでのこの光景が北海道で一番気に入った景色だ。なんてフォトジェニックなのだろう。撮った写真は露出オーバーで失敗してしまったけど、心にはしっかり焼き付いた。
 駐車場にバイクを停めて、枯れたトドマツの群れ、トドワラへ歩く。ちょっと遠いが小さな花たちが点々と道の両側で咲いているのを見ると心がなごむ。
 お天気がいいせいかすべての色がとても鮮やか。湿原の緑、海の青、トドワラの白、遠くにはサイロの赤い屋根が見えて、まるで絵に描いたよう。でもいつかは全てのトドマツが枯れ果ててただの湿原になっちゃうらしい。それも自然のなりゆきなら、しかたがないね。

 根室市内でR44から県道へ。日本最東端、納沙布岬はもうすぐだ。北方領土を返せの看板ばかりが目立つ。空を見上げれば、ずいぶん雲が多くなってきた気がする。
 泳いでも行けそうなほど(私は泳げないから行けない)目と鼻の先にある歯舞群島、双眼鏡を覗くと建物までもがはっきり見える。国後島よりも近いだけに、元島民の気持ちはさぞかし辛いのだろう。岬にはためく日の丸の旗がなんだか悲しい。

 何年か前には無かったらしい、タワーが建ってる。へえ登ってみようよと近くまで行って、やめた。だってどうやらこれ建てた人は人類は一家世界は皆兄弟のS氏みたい。なあんかちょっとねえ。(なにがなんがちょっとだったんだろう?)

 納沙布岬を後にする頃には、まだ昼間なのにどーんより暗くて嫌な予感。さっきまであんなに晴れてたのに…。と、国道に戻ってちょうどガソリンを入れてた時に、来た、すごい大雨。一日の間のあまりの天気の変化に、北海道のでっかさを知る。でもでっかさなんて知らなくてもいいから丸一日ぐらい晴れてたっていいじゃない、なんて気にもなっちゃう。
 数時間の雨との戦いが終わり、やっと空が明るくなってきた。だけど、正面は明るくたって、後方及び斜め右前方は真っ黒の雨雲だ。反対側からくるライダーたちがカッパを着ている限り、油断は出来ない。

 今日のお宿、釧路にだいぶ近づいてきた頃、やっと安心してカッパを脱ぐ。夕焼け雲がきれいだな。なのにもういい加減にしてくれる? 市内に入ったらまた、いつ降りだしてもおかしくないような変な色の雲が立ちこめてしまった。
 はらはらしながらも市内のホテルにチェックイン。また、例の居酒屋「鱗」に行こう! と張り切ってタクシーに乗るが、お休みでがっかり。あんまりぱっとしない飲み屋でぱっとしない夜になってしまった。


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