わたしも街道をゆく/1990年/北海道へ
わたしも街道をゆく 1990年 北海道へ

1990年8月7日 羽幌から浜頓別へ 
 サティを聞きながら、ブレックファースト。うーん、お洒落。とてもツーリング中とは思えない。
 でも外を見ると、雲行きが怪しい。時折パラパラと降ってくる。出発していく子たちはカッパ姿だ。今日は最北端に行くんだからね、雨なんて降らないで欲しい。

 祈りが通じたのかカッパは着ないで出発し、走ったのも束の間。ほらー来た来た、雨。買ったばかりのカッパに腕を通す。それにしても私って雨女なんだろうかやっぱり。カッパを着て走っている時が一番ツーリングだなあって気持ちになるのが腹立たしい。

 雨の中、R232をどんどん北へ走る。
 天塩でいったん国道と別れ海沿いの道を選ぶと、サロベツ原野。ちょっと季節がはずれだったかな、花はあちこちにぽつぽつとしか見えない。雨が上がった。休憩所でカッパを脱ぐ。そこで会った男の子たちと話をする。青森から函館へのフェリーで一緒だったんだって、偶然だね。

 ガソリンがなくなりそうだ。サロベツ原生花園の前を通り越して豊富の町で給油してから原生花園へ。一番きれいな時は過ぎているそうだが、あちこちに咲く花たちは、小さいけれどよーく見ると、本当に可憐。生け花のような花は不自然であんまり好きじゃない私、自然のままで咲いているこんな花が大好き。のんびりゆっくり、写真を撮りながら見学した。
 海沿いの道に戻る。日本海の向うには利尻島、残念ながら利尻富士の頂上は見えない。

 野寒布岬をちらりと見て、さあいよいよ日本最北端、宗谷岬へ。心がはやる。
 小さな漁港をいくつも通りすぎる。
 気持ちがせいているせいか、やけに遠い。雲の間から広がってきた青空の向うに岬が見えるたびに、あそこだ! と感動し、そのたびにフェイントをかけられてがっかりする。おかしいなあもしかして通り過ぎてしまったのかもしれない、不安になってきた頃、やっと到着。宗谷岬だ。

 描いていたシチュエーション通りに行かなかったのは、お土産物屋さんから離れたところにバイクを停めたせい。本当はこんな予定だったのに。

 …宗谷岬に着いたよ、バイクにそっと話しかける。イグニッションを、オフにする。私をここまで運んでくれた、頼もしいエンジン音の代わりに聞こえてきたのは、「宗谷岬」の歌。朝から晩までこの曲がかかっているという話を聞いたときには、くだらないな、そういうのってやめてほしい、そう思ってたのに。
 参ったな、ヘルメットが脱げやしない。しばらくの間、私はバイクの上で、歌を口ずさみながら、涙でにじんだ日本最北端の碑を見つめていた……

 エンジンを切っても観光客の歓声しか聞こえない。なあんだ思いっ切り感傷的になろうと思ってたのに。そこへさっきから何度か会っている子たちがやってきた。そろそろ出発するんだというのを、ちょっと待て、写真撮るからシャッター押してよと、元気一杯の最北端到着になってしまった。
 ひとりになってお土産屋さんに向かって歩いてたら、聞こえてきたきた「宗谷岬」。本当に参った、こんなとこで泣くなよなあ、いい歳して。
 うるうるしながらお土産買って(くだらないと思いながらも買ってしまう、最北端到着証明書)、さいはての海を見ながら食べたジャガ揚げは、最高っす。

 ここから向うは、オホーツク海。この海の下に、おいしいほたてさんやかにさん、うにさんたちが眠っているのかと思うと、よだれが出ちゃう。

 オホーツク海沿いに、南下。クッチャロ湖の近く浜頓別で泊まった民宿(ユースみたいな男女別合部屋ってヤツ。「とほの宿」ですね)ではノリのいい関西のおねえちゃんたちと一諸に、ジンギスカンの夕食から始まって入浴をはさみ、待ってました風呂上がりのビールこいつが最高だよね、と飲みまくり。特製果実酒も登場、はまなす酒やらこけもも酒、うめー。


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