わたしも街道をゆく/1989年/北陸へ
わたしも街道をゆく 1989年 北陸へ

1989年11月4日 富山から高山へ 本日の走行距離220Km
 今日こそのんびりと秋の旅を堪能したい。あっという間に朝食を食べ終え、出発。

 富山市からR41を南下するとすぐに紅葉の中。「真っ赤だな(略)」と「秋の夕日に照る(略)」を交互に口ずさみつつ走る。
 数河高原にさしかかると、はるか遠くに白く雪を被った北アルプスが見えた。神々しいその姿に古代人たちが山を神として信仰したわけがわかったような気がする。雪山に惹かれる人たちの気持ちも理解できるなあ。一つ人生深くなった。

 ここでR41とお別れ、白川に向う。燃えてるみたいな真っ赤な紅葉の中を走る。VTZと私も赤く染まりそうだね。

 R360に出た。車2台も行き交えないくらい細くてクネクネの道それだけならまだいいけどなんで舗装してないの? 工事中なら思い切って通行止めにしてほしい。砂利がでかくてハンドル取られる。
 モンダイのその場所は、ある右ウルトラ急カーブ急勾配、うまく登れるかなあ。左端をトコトコ上がろうとする私。と、上から工事関係車両がおりてきた。ど、どうして右側(こっちから見たら左)おりてくるの? ぶつかっちゃう、除けなきやっ、あ、ああっ、ドテッ。コケちゃった。後ろに車が何台かいるのに、恥ずかしいったらない。穴があったら入りたかった、ホント。
 天生峠で一休み。「大丈夫だった?」と何人かに声を掛けられてしまった。ああん情けない。けど心配してもらえてちょっぴり嬉しい。
 オフローダーじゃないんだ、VTZは。まともな道が走りたい。白山連峰、そして白山スーパー林道を見ながら思う私。

 合掌造りの里、白川郷にやっと到着。お昼食べて、合掌村を見学しよう。が、休日・昼時・観光地、すいてるわけがないのだ。バイクを停めるところすらない。観光バスと団体さんを見ただけでなんだかうんざりしてしまった。あんなに苦労してたどり着いた白川だけどさっさと背を向ける、なんだかばかみたい。
 御母衣ダムの横を通るR156はようやくまともな道、嬉しい。御母衣湖の周りも紅葉がきれい。ダムが出来るまでは村があったそうだ。自分の生まれ育ったところがダムの底に沈んじゃうなんて、悲しいだろうな。帰りたくたって二度とふるさとには帰れないんだもの。

 片側通行の信号待ちで、隣に停まったトラックのオジサンとおしゃべりをした。奥飛騨の温泉はいいよ、って。今度行ってみますね。

 庄川村からR158へ。親子丼を食べながら考える。今日はどこまで行こう。暗くなるまでなんて絶対走りたくなんかない。だいたい私は一日200kmも走らないのが好きなんだ。まだ2時だけど40km位先の高山で泊ろっと。そう思ったら気が楽になった。

 高山の町に近づいてきた、と、あれは何だ? キンキラキンに輝く屋根、神社仏閣にしちゃ派手。あ、TVで見たことがある。××教の総本山だ。建物のそばには彼ら独特の仕草をして歩き回る信者たち。うーん……コメントは避けよう。

 お日さまはまだまだ元気だし時間はたっぷりあるし、嬉しいね。さあー観光するぞ、っと意気込んで飛騨民俗村、飛騨の里へ。水車の回る五阿弥池の回りには、紅葉に囲まれて合掌造りの古い民家がたくさん。北アルプスの眺めも絶景。キンキラキンが目に入ると興醒めだけど。
 各地から移されてきた民家の一つに、「旧大野家」というのがある。うちのご先祖、岐阜の人だからもしかするとこの家にかつて住んでた人は、私の、遠い遠い親戚かもしれない。室内に上がってそう思ったら、床のきしむ音も何だか懐かしい気がしてくる。

 夕焼け色に染まった北アルプスを屋根の間にちらちらと見ながら高山の町に入る。さすが小京都、町並みがとっても美しい。荷物のでっかいバイクはなんとなく不似合い。
 お寺のユースに荷物を置いて、食事に出た。高山の町ってあんまり食事する所がない。やっと見つけたお蕎麦屋さんで食べたてんぷらそば、とても美味しい。
 帰りがけにビールを買って風呂上がりに飲んだ。極楽極楽。


前の日に戻る

次の日に進む

「わたしも街道をゆく」top pageに戻る