わたしも街道をゆく/1989年/中国地方へ
わたしも街道をゆく 1989年 中国地方へ


1989年8月12日 秋吉台から萩へ 本日の走行距離210Km

関門橋の親切な人たち

 セブンイレブンのでパンをかじって朝ご飯。R316からR9へ。

 周防灘を左手に見て走ってると、ほら見えてきました、10ケ月ぶりの、関門橋! その向こうはもちろん九州。…向こう側に行きたいなあ、朝も早いし。行ったって帰ってくるだけのことだけど、えーい行ってしまえ

 フグの壁画に迎えられて関門トンネルに入る。全長5kmぐらいかな、関門海峡の下、海の中を走ってるなんてとても不思議。排気ガスでけむたいのはちょっと辛い。

 明かりが見えてきた、九州へ2度目の上陸だ。靴の底でとんとんと地面をたたいて確かめてみる。九州の道、そして九州の匂い

 ゆっくりできないのは悲しいけど、九州ツーリングじゃないもんね。門司港インターから高速に乗る。復路は関門橋だ。
 橋の上で例によって写真を撮ってさて行こうかなと思ったところへ、団体ツーリング中の一人が横で止まった。
 「大丈夫?」
 なんのことだか分からない、なんで大丈夫なんて聞かれたの、私?
 「は?」
 「故障したんじゃないの?」
 あそっか、路肩でなんか止まってたから心配してくれたんだ。
 「いえあのなんでもないですだいじょぶですから」
 そして彼らは
 「故障ではないようですどうぞ」と無線連絡を残して、走り去っていった。心配させてゴメンナサイ。

 海の上、ふたつの島をつなぐ橋を渡るのは気持ちがいい。だって右も左も下も海なんだもん。

やっと来ました松陰先生

 下関インターで高速を下りて、R9へ戻る。目指すは本州最西端の地。でもどこなんだろう。西山、という町に着いた。地図によればここが本州の一番西の町だけど、ウロウロ走って迷子になりそう。最西端の町に来たってことで満足しよう、うん。

 R191を北上する。ここからは、山陰だ。
 日本海に沿って、国道と、単線の山陰本線が交差しながら続いている。時々走り去ってく列車は2両編成。暑い日差しの中で真っ赤なカンナの花が咲いている。ああもうこれってまさしく正しい田舎の日本の夏の風景だ。夏休み、にどっぷりひたる私。

 ところで洗濯物が溜まっているんだった。町を通るたびに気にしてるけどコインランドリーの姿はない。長門ならきっとあるだろうと思って、駅前でお巡りさんに聞いた。無いねえと言われてしまった……そうだよねえ大学とか無いもんね。ま、いいか。

 いよいよ萩市に入る。隣の市との境で「萩市」の表示を見て、やたらと感動してしまった。私の卒論の主人公、吉田松陰さん、貴方の町に私はやっと来ることが出来ました。
 時間はまだお昼、さあ観光するぞ、と思ったところが明倫館の前。地図を見ているところに一人のおじいさんがやってきた。一人で走ってることや、卒論に吉田松陰を書いたことを話したら感心されてしまった。そのおじいさんも若い頃はオートバイで走り回ってたんだって。
 お話をして別れ際、冷たいものでも食べなさいって、千円札を2枚出された。ちょっとそれはまずいですよ、おこずかい貰う訳にはいかない。断ったんだけどしっかり握らされてしまった。動揺してておじいさんの住所も名前も聞けなかったなんて、ああ本当にすいません。結局使えなくってアルバムに貼ってある。もしかしてあの人は吉田松陰の化身かもしれないなんて思ったりして(その後あまりにも貧乏で、泣き泣き使ってしまいました。ああ悲しい)。
 おてんとさまが空の真上でぎらぎらしているお昼時、明倫館の跡地の小学校、誰もいない校庭で一人、暑い日差しを浴びてる。気持ちいいな。

 こぢんまりとした萩の町を走り、松本川を渡って松陰神社へ。さすが本場、世田谷の松陰神社と比べものにならないくらい人がいっぱいいる。
 松下村塾の本物がある。本当に小さくて狭いしボロっちい家(というか小屋みたい)である。でもここで学んだ人たちの顔ぶれときたら、どの人を取ったって大河ドラマの主人公になれるような人たちばっかり、いったい吉田松陰というお方はどんなパワーを持ってたんだろう。蟄居させられてた狭っくるしい部屋で何を考えてたのかなあ。
 遺墨館に入ってみた。彼の書いた、たくさんの著作が展示してある。ガラスケースの前で、私は動けない。かつて生きてた一人の人が、何かを思って書いた文字、あ、吉田松陰って人は生きてたんだ、って初めて実感を持った瞬間。東行日記などの旅行記を見ると、昨日と今日とでは字がまるで違っている。旅をしてれば毎日想いは違うもんね、きっと私なんかとおんなじに、初めての景色やいろんなものに、感動したり驚いたりして、夜、宿で日記を付けてたんだろうなあ。同じだね。このツーリングの一番の収穫。

 満足一杯で、参道わきのお店「松陰食堂」で昼食、しそわかめのおむすびがおいしい。店内の壁には、長州出身の幕末明治の志士たちの写真なんかが飾ってあって、さすが萩らしい。
 松陰神社の裏手の急坂を上ると、萩の町並みと、日本海が視界の下に開ける。ここが吉田松陰の生まれた所。そして彼を始め、高杉晋作・日下玄瑞らの墓も集まっている。いいところ、見晴らしがよくってここで眠ってるなんてさぞかし気持ちいいでしょう。お墓もみんな海に向いている。ちょうど法事があったみたいでよそ者がいて申し訳ない。

 でも生誕の地には誰もいない。かなり街の中心地から離れてるけど環境はいい。
 そばには松陰と金子重輔の像がある。望遠鏡を手に、海の向こうの何を見ようとしてるんだろう、そっちはアメリカじゃなくて中国のような気がするけど

 しばらくたたずんでからから市街地に戻る。昔ながらの土塀が続く武家屋敷跡をゆっくりVTZで走る。一時停止とレンタサイクルが多くて走りにくいけど、風情があっていい街だ。

 ユースでの晩ご飯、ビールが有ったのでラッキーとばかりに飲んでたら、東京から来た女がガバガバとビールを飲んでた、という話になってたらしい。後で聞いた話だけど。大ビンしかないってゆーから大ビン1本飲んだだけじゃんか〜。