わたしも街道をゆく/1988年/九州へ
わたしも街道をゆく 1988年 九州へ

1988年10月24日 長崎から平戸へ 本日の走行距離268Km

 昨日の夜おしゃべりをしたみんなで一緒に写真を撮って出発。海沿いのR202を北上する。なんだかこの道は変な道、立派な道路と、農道みたいな辺鄙な道が交互に出てくる。疲れるなあ。
 九州人が自慢をする、西海橋を越える。…そんなにすごい?うーん残念だが私の心には働いてくれないらしい。たしかに高さはすごいけどね。

 たとえばミッドウエイなど、どうも私は佐世保に明るいイメージを持っていない。でも通ってみれば普通の地方都市、佐多岬で会ったオジサンも住んでいる街だ。

 九十九島を見たくて、海岸沿いの(地図の上ではね)県道を選ぶ。……道路と海の間には建物がぎっしり、なんだ海さえ見えやしない、がっくり。
 小佐々町の神崎という所が本土最西端だ。海に向いて小さな碑が立っている。釣り人たちは、関係ないよという顔で糸を垂れている。南や北の果てと違って、地味。

 平戸瀬戸に架かる平戸大橋を渡って平戸島へ。ここでの目的はただ一つ、「バイクだけで行ける日本最西端」の土を踏むこと。でも市内に入ったら国道がわかんなくなった。迷った揚げ句の立ちゴケ、ああ情けない。
 パンとコーヒーの昼食をとってるとき、何だかぽつぽつ落ちてきた。走りだすと、本格的なヤツが来た。あーあ、九州に入ってから2週間、1回も降らなかったのにとうとう雨だ、くやしい。よその家の屋根付き駐車場の隅でカッパを着る。

 気を取り直して走る。工事中ダートもなんのその、ここ宮之浦が他の交通手段に頼らないで行ける、日本最西端だ。すごいぞVTZ、たったの半年で、バイクだけで行ける日本の四つの端っこを制覇するなんて。ガソリンスタンドのオジサンに撮ってもらった最西端での記念写真は、このツーリング唯一のカッパ姿。
 けっこう雨足が強い。平戸大橋を戻り、橋のふもとの駐車場にいたら、長崎のユースで一諸だった男の子と会う。今日の泊まりもユースなんだって。実は私もそうしようと思ってて電話したら、今日は誰も泊まらない(つまり私一人?)といわれ、ちょっと悲しいからやめたんだ。彼はその後に電話したみたい。私のお宿は国民宿舎、それではね、とお別れする。

 ユースについて行けばよかったかなあ、と後悔した国民宿舎への道。真っ暗で街灯もない。民家の間の細い道、暗闇の中、突如現われるダート。怖くて心細くて泣きたくなる。なんで私こんなとこでこんなことしてるんだろう。

 …やっと国民宿舎の場所がわかった。行きすぎてたんだ切り返ししなくちゃと、建物の前でバイクを後退させたその時、VTZのヘッドライトが、道の向かい側の墓地を照らしだした!上に十字架をのせたお墓が闇夜に浮かび上がったその恐ろしさといったら……思わず息が止まった。

 でも疲れた私をほっとさせてくれたのは国民宿舎のフロントのオジサン、濡れてるからいいですって言っても荷物を運んでくれた。嫌いなおかずが出たことも、お風呂場の窓のさんに小さなカエルがいたことも許してあげる。


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