わたしも街道をゆく/1988年/九州へ
わたしも街道をゆく 1988年 九州へ

1988年10月15日 佐多岬から鹿児島へ 本日の走行距離317Km

 目が覚めたのは早朝5時半。カーテンを開けて外を見ると、地平線がオレンジ色に染まっている。ため息…。じっと座ったまま日が昇るまで1時間近く見とれてた。本州最南端の日の出。漁に出るのだろうか、船がその陽の中を通ってゆく。夢のような景色。
 朝ご飯を食べて、佐多岬リターンマッチだ。再びロードパークを走り、佐多岬へ。

 駐車場で一緒になった、佐世保ナンバーの車のオジサマと話をしながら歩く。北海道へも車で行ったんですって、すごいですね。
 岬の先端までは、遠い。ジャングルみたいな道を20分は歩いた筈。息を切らしてやっと到着した。

 佐多岬灯台、陸から離れて灯台が立っているのがかっこいい。はるか沖には、屋久島、種子島、硫黄島など、南の島がうっすら見える。パッションフルーツのジュースがおいしかった。南の果てはやっぱ明るい。
 さて、ここがこのツーリング最南端、これ以上南には行かないのかと思うと淋しい気がする。

 鹿児島湾に沿って北へ。左手遠くには開聞岳、正面には噴煙上がる桜島、薩摩の国ですねえ。
 鹿児島湾にぽっこり突き出た桜島、周りをぐるりと道が囲んでいる。溶岩原は道の両側に溶岩がゴロゴロしていてあたかも地獄のような(見たことないけど)恐ろしい様子。
 湯之平展望台への道は、細くてくねくね周りは溶岩。それだけじゃあない、路面は灰だらけ、不用意に足を出すと、ずるっと滑って倒れそう。でも頑張って展望台まで行くと、やはりすごい迫力。生きてるんだねえ桜島さん。
 ぐるりと島の反対側まで行くと、埋没鳥居というものがある。鳥居が火山灰でほとんど埋まっちゃってる。火山ってこんなに怖いものなのか、ゾッとしてしまう。
 そこでさっきの佐世保のオジサマと再会。さっきより噴煙がすごいよといわれて見上げれば、本当だ、もくもく煙を上げている。今にも噴火するんじゃないだろうか。
 オジサマとはまたそのあとも道で会い、私が霧島へと右折する国分まで一諸に走る。ここ曲がるんだよと合図してくれ、鹿児島市方面へ去っていった。オジサマ、お元気で。

 霧島へ、秋風の中、木漏れ日がきらきら光る道を走る。ちょっぴり紅葉している高千穂峰が見える。なんだかとってもいい気分。早く生駒高原のコスモス畑が見たいなあ……なあんていい気になって走っていた私、三叉路の一時停止に気が付かず、停止線から飛び出した。
 …不思議なことに一瞬の間にいろんな事を考えた。最初に目に入ったのが私の前を横に走っている黄色いペイント。あ、向うの道が優先道路なんだ。どうしよう向うから車が来てる。ここでぶつかったら私が絶対悪い。現場検証したりしてきっと面倒くさいはず、どうしようぶつかっちゃうよ。思いっきりハンドル切って……コケた。
 もういつも周りの人に迷惑掛けてばっかりだ。停止線の当たりで私を見てて「ずいぶんかっ飛ばしてんなあ」と思ってたというガンマの男の子、助けてくれてありがとう。なんといってもぶつかりそうになった車にのっていた3人連れのおねえさま達、本当だったら怒鳴られて然るべきこの私を心配してくれて、怪我はない?大丈夫?とやさしいお言葉、嬉しかったです。すみませんでした。
 ああそれにしたっておとといコケてまた今日コケて、いったいなに考えているのだろう。猛反省だ。でもなぜかおとといは「高千穂」峡の近く、今日は「高千穂」峰の近く、偶然とはいえ不思議。
 コケる度、立ち直りが早くなってくなんていけないこと、でも心はすでに生駒高原だったりする。煙を上げてる硫黄山、まあるい不動池を見つつ、生駒高原だあ。

 だいぶ傾いてきているお日さまの光、ライティングは最高だ。霧島連山をバックに一面のコスモス畑、盛りは過ぎてしまっているし、いかにも植えましたって感じではあるが、とてもきれい。
 でもいつまでもいられないのだ。さすがに今日は土曜日で、霧島の温泉はどこも満室。もう夕方だけど、鹿児島まで行かなくっちゃいけない。宮崎自動車道、小林ICから乗る。さすがにさっきコケたばかりでこわい。右ミラーがあさっての方向いてるし、低速違反で逮捕されそうな時速70KMしか出せない。どんどん暗くなってくるし最悪だ。

 なんとか無事に鹿児島に着いた。ぐったり。夕食には間に合わなかったので外に出て食事。同室の女の子とずーっとおしゃべりして、夜が更けた。


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