わたしも街道をゆく/1988年/四国へ
わたしも街道をゆく 1988年 四国へ

1988年5月4日 中村から大洲へ 本日の走行距離252Km

 雨はやまない。

 とりあえず足摺岬に一緒に行こうか、とFくんとともに出発。すぐに四万十川にさしかかった。日本一の清流もこの雨じゃあんまりきれいじゃない。けどさすがというかなんというか、川幅一杯に両側の土手からクレーンで吊ったワイヤーロープを張って、そこにいっぱいの鯉のぼり。圧巻。
 足摺スカイラインを走る。急カーブの連続だ。天気が良ければきっと太平洋が眼下に見えてすごいんだろうな、でもなんにも見えないの。前走ってるFくんも見えなくなっちゃうくらいの、霧。でも岬先端に着く頃にはすっきりしてきた。

 …さすが、足摺岬。両側に並ぶお土産屋さんが、いかにも観光地っぽい。観光客もいっぱいだ。いい匂いがする、焼きいかだあ、食べましょ。シャツにお醤油のしみ作りながら、ぱくぱく食べた、ああおいしい。お土産に鰹の生節買って、さ、観光しましょ。
 まずはジョン万次郎さんの銅像にご挨拶してから展望台へ。ここから見る灯台は断崖絶壁の上にどっしりと建っている。室戸岬とは対照的。
 椿のトンネル、と言われている遊歩道を灯台へ向かう。わあ、すごいねえ、とちょうど二人連れが景色を眺めてた脇で私が言った。どれ、と立ち止まったFくんが、あっ、と言った。そこにいた女の子と彼、桂浜で会ったんだって。(……あとで聞いた話だけど、桂浜で彼女と知り合ってすっかり彼女に一目惚れしちゃったんだって、Fくん。その場ではすぐに別れちゃったけど、やっぱりどうしても追い掛けたくなってしまって同じ方向に向かったんだって。ああそれなのに、せっかく出会えたのに、Fくんは私(いちおう女だな)連れ、彼女も女の子と一諸。なんだか私はFくんに申し訳ないような気がしてしまったのであった。
 灯台の所でも、シャッターを押してもらったりしたのに1枚ぐらい2人で撮ってあげればよかったよね。ゴメン、気が付かなくて。

 急な階段を下りて、白山洞門という海食洞門へ。よくこんな穴が開くよねえ、自然ってすごいよなあ。
 下りが急だったということは登りはその百倍くらい大変。ゼーゼー言いながら登って、そろそろ足摺岬ともお別れだ。足摺の半島から出るのに今度は有料ではない道を通ってみた。くねくね道でとっても疲れる。

 でもR321は快適。これで天気が良かったらどんなに気持ちいいかと思うとくやしい。竜串あたりの観光地は素通りして先へ先へ。宿毛からR56で再び中村市を目指す。
 Fくん今日はどこまで行くの?私は憧れの四万十川沿いに北上して、大洲まで。ご一諸する? …でも後悔したでしょ〜、四万十川の道の悪いこと悪いこと。川というのは蛇行してるし、川沿いの道はそうすると当然蛇行してるのは仕方がないのかなあ。その上、雨はどんどん強くなる、ああもう。本当はちょっと止まって雨でもいいから四万十川を眺めたかったけど、この雨じゃあんまりわがまま言えないかな。
 …おっと突然工事中ダート。けっこうでかい石や水溜まりをよけて無事通過、思わずピース、だね。
 小さな町の、きっとメインストリートなんだろうけど、その中にあるガソリンスタンドへ。でも誰もいない。隣の雑貨屋さんに、すいませーんと顔を出して給油してもらう。オジサンと雑談。お子さんが東京に行ってるんだって言ってたな。東京に慣れちゃったら、この環境に帰ってくるのは辛いかもしれない、と失礼ながら、思う。でもきっと、少し年を重ねていくと、東京よりもここのほうがいいことに気がつくはず。都会の生活は、たしかに便利すぎるくらい物に恵まれてる。でも、蕩々と流れる、こんな川が東京にある? 洗剤の泡だとかゴミが浮いてるような川ばっかり。自然と、物質的充実とは相容れないものなんだな、きっと。

 四万十川を後にして、お昼は道路沿いのちいさなお店に入ってうどんを食べる。うーん、暖まった。
 駐車場からバイクを出しながら、そういえば彼のバイクってなんていう名前なんだろう。バイクの名前なんて全然知らないわたし。カワサキ、としか書いてないからわからないんです。
 「ねえ、このバイクなんて言うの?」なんて、あとから思えばまるで片岡義男の小説みたいなことを聞く。え、ZIIなの…あの有名な。ゼッツー前にして、名前聞くなんてゴメンなさい〜、きっとムッとしただろうなあ。
 大洲へと走る。大きなコーナーがいくつも続く。田圃の間の直線を走ってたら、反対車線側の田圃に落っこちてる車があった、ゾゾッ。スリップしたのかしら。

 大洲市に入った。雨の中で地図を見て、あっちかなあと迷いつつお宿に到着。バイクがたくさん停まってる。
 またもや、あのー、1人男の子泊まれますか?と彼の寝場所を確保。グローブの色が落ちて真っ黒になった私の手を見てそのへんにいた男の子たちに笑われた、ちぇっ。  まずはお風呂に入ってしまい、それから夕食。おかずを見て思わず目眩。なんの恨みがあってウナギなの?(←ウナギは嫌いなのである)これ食べていいですヨ、と隣りの人に私の分をあげる。これの他におかずは小鉢に入ったあえもののみ。それをおかずに物足りない夕ご飯。

 でもいいの、なんといっても今日はビールがあるのさ。さっきFくん達が買いに行ったんだって、やったねっ。
 役に立たないカッパのせいで濡れたジーパンの代わりにシーツを巻いたという妙な格好のFくん、今日佐田岬半島で壁に激突したというAくん(この時の写真送ったのに返事もくれない)、高島平のMちゃん(FZR400に乗ってる、やっぱりソロツーリング中)そして私の4人、男の子の部屋で、乾杯。肴は足摺で買った生節。これがけっこうおいしいのだ。
 女が1人で走ってるなんて変わってる、おかしい、ふられたとかなんかあったんやないの?と私たち2人はいじめられ、なんで男はよくて女はいけないんだ、なんて言ってるところへ、ヤバイ、ペアレントのおばあちゃんが来た。なにしてるの、女の子の部屋はここじゃないでしょ、飲むんだったら下で飲みなさい、と言われてMちゃんと私は部屋にとりあえず帰った。けどすぐまた戻って、宴会再開。
 他に2人加わって、6人で飲む。今度は関東弁が攻撃される。神戸の子が「関東弁聞いてると背中がむずむずするわ」だって、失礼な。関西弁なんて漫才みたいじゃないよ、口には出さなかったけどさ。
 でもさ、関東といったって、東京だけじゃない、茨城とか神奈川とかいろいろあるけど関西の人から見れば、一諸なんだってことに気が付いた。千葉埼玉を馬鹿にしたり、品川ナンバーがかっこいいとか言ってるのって、馬鹿みたいなことだよな。
 と、またおばあちゃんの登場。今度はもう本当に部屋へ帰って寝る支度。

 ここのユ―スも変な構造で、男の子たちの部屋と私たちの部屋と襖一枚隔てただけ。おかげで彼らの声がよく聞こえてくる。Fくんの桂浜で会った彼女の話もここで仕入れた。私は隣から聞こえてくるいろんな話を面白がって聞いてたんだけど、怒るのは同室のお姉様たち(主婦らしき車で来てる3人組)、静かにして下さいっと叫ぶ、いったんは静かになってもまたうるさくなる…と、今度は境の襖をどんどん叩く、大変な剣幕。すごく怒ってるよ、って隣に言いに行こうとも思ったけどやめて、寝る。
 左手が痛い、腫れてる。どこかでぶつけたっけ。


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