わたしも街道をゆく/1987年/東北へ
わたしも街道をゆく 1987年 東北へ

1987年8月14日 釜石から青森へ 本日の走行距離371Km

 チェックアウト、5時。フロントのお兄さんが本当に眠そうでごめんね。

 でも早く出てよかった。すこうし霞みがかったところに朝日が輝いててとてもきれいな海を見ることができたし、このあたりの風習なのか、いくらお盆だってこんな早くにお墓参りに行く人たちの姿も見られた。
 そして、あの宮古湾海戦の、宮古。そう、明治元年戊辰戦争の戦場になったところだ。狭いおだやかな入江、ここでかつで海戦があったなんて信じられないような朝の景色。

 浄土が浜も、まだ人影もまばら。きれいだなあ、と見ていると「お嬢さん」と声をかけられた。私のことか? 見るとひげもじゃなオジサンと若い女の子、「ひとりですか」なんて彼女と一緒なのに何故声をかけるんだ? なんだろうこの人は。でも話を聞いてみると、実は彼女にも、今声かけたんだって。このオジサン、H氏は浄土が浜を案内するのが好きらしい。車で福島から来ていた彼女もそれでつかまったらしい。ここから見たほうがいいんだよ、と展望台に案内してくれる。たしかにその通り、少し高いところから見るともっときれい。
 このH氏はサービス精神旺盛。自分のカメラで写真をたくさん撮ってくれる。その写真を送ってやるよ、と言われても彼女はオジサンに住所を教えない。見た目がかなり風変わりだから警戒しているのであろう。でも、せっかくいい景色のところで撮ったのに、と思って、オジサンのいない隙に、私のカメラで撮った写真を送ろうと住所を聞いた。オジサンは、彼女が住所を言わないことをこの後もけっこう怒ってたけど、たぶん彼女が普通で、警戒心のない私がおかしいんだと思うよ、オジサン。
 他の名所も案内してくれるというので、私はもちろん(あぶねえなあ)ついていったけど、彼女とはここでバイバイ。私って誘拐されやすいタイプかもしれない。オジサンがいいひとで、ほんとうによかった。
 オジサンの日本拳法の道場でポカリスエットを2本貰ったあと、車の後をくっついて田老の三王岩に連れて行ってもらったり、お餅(みたいのに砂糖醤油を付けて焼いたの)を買ってもらったり、さんざん世話になる。ありがとうございました!

 オジサンと別れた後、お薦めの北山崎に行こうとしたけど、道がわからなくなっちゃってあきらめた。だって林道みたいな所(舗装はしているけど)に入ってしまったんだもの。さてその林道もどきの出口、R45にぶつかる所が、今日の私の朝ご飯の場所。CBRの影に隠れて、貰ったお餅を食べ、ポカリスエットを飲む。おいしかった。けど恥ずかしいよな、こんなとこで。

 久慈を越え、国道から離れ、ウニ丼目指して種差へ。ここでも懲りずに迷子になるが、ウニ丼のために頑張り、種差海岸の食堂に到着。これもまた頑張った分だけおいしい、幸せだあ。
 R45からR4へ、もうすぐ青森。R4は、なんだかまだ見ぬ北海道みたいな感じで大喜びする。みちのく有料道路には、シカに注意、の看板があるし、いいなあ、なんだか。曇ってるのが悲しいけど。

 そして上野発の夜行列車が着く、青森駅だ! ここにいる自分にむちゃくちゃ感動。だって本州の端っこなんだよ。青函連絡船の乗り場へ行くと羊蹄丸がいた。そして北海道へ行くバイクたち。いいなあ、私だっていつか行くんだ。

 今日は、会社の先輩の実家に泊めてもらうことになっている。駅前から電話をして木造へ向かう。
 たしかに田舎だ。まわりは一面田んぼ。これじゃあ東京から戻りたくないだろうなあ。
 すごいなあと思ったのは、お風呂。先輩のうちの隣に銭湯があるんだけど、それがなんと温泉なのだ。先輩と、姪の女の子と3人で入りに行った。戻ってきたら豪勢な夕ご飯。なんだか申し訳ないみたい、手土産も持たずに行ったのに(非常識なヤツ。買うゆとりがなかったんだってば)。
 さすがの私も疲れてたようで、布団のなかでテレビ(確か、かわいそうな象、の映画)を見ているうちに、寝てしまい、唯一雨の降らなかった1日が、終わった。


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