その後の物語4 -その後の山川惣治-
山川惣治は雑誌「ワイルド」の出版で莫大な借金を背負い、邸宅を処分して、横浜にレストラン
「ドルフィン」を開き、引退してしまいました。(昭和43年)
昭和45年、筑摩書房が現代漫画のシリーズ第2期の第10巻に「こども漫画傑作集」を出しました。山川惣治は
「少年ケニヤ」を漫画風に書き直しました。大蛇ダーナの出現までが収録されています。これには、日本海軍が真珠湾
を攻撃した絵も新たに書かれていました。
翌年、筑摩書房の「少年漫画劇場1」に「少年王者」が収録され、小松崎茂と巻末で対談しました。
昭和50年、桃源社が往年の名作「銀星・ノックアウトQ」を復刻しました。
昭和50年ころ、週間朝日の別冊に短編を描きましたが、往年の山川惣治を思わせる絵は、私の見るところ、たった
一枚、骸骨の絵だけでした。練習不足でした。
昭和52年、集英社から「豪華復刻版・少年王者」全三巻が発行されました。
昭和58年、角川春樹事務所が「少年ケニヤ」をアニメ化し、それにタイアップして「少年ケニヤ」「少年王者」
「少年エース」を文庫で復刊しました。山川惣治はカバー絵と口絵を書きました。私の考えでは、口絵はともかく、
カバー絵は若い画家に任せるべきでした。
復刻と同時に文庫型の新しい雑誌「小説王」に新作「十三妹」を連載しました。小さな版型だったので、線の乱れも
目立たず、まずまずのできでした。週間朝日の別冊特集では再起不能のように思われましたが、奇跡的にカムバック
できました。しかし、連載の最後に、アーサー・ラッカムのオマージュのような小人が突然登場し、そのまま連載
が途絶えてしまいました。それでも2巻の単行本が発行され、現在それらを所蔵する公立図書館もあるようですので、
単行本では結末が書き加えられていることを期待します。
復刻に際して、雑誌「カドカワ」で歌手松任谷由美と対談しました。このサイトの山川惣治の紹介のページにある
肖像は対談記事についた写真からの模写です。ユーミンは無名時代、横浜の山川惣治の長男の方が経営するレスト
ラン「ドルフィン」で歌っていたのです。この対談の席上、ラッカムの絵が好きだという山川の発言がありました。
「ワイルド」に連載された絵物語「バーバリアン」が一冊にまとめられて出版されました。
雑誌「ダ・カーポ」が戦後のヒット作品を選んだとき、「鉄腕アトム」「赤胴鈴之助」などとともに「少年
ケニヤ」がえらばれました。山川惣治はコメントの中で自分は恐竜が好きだと述べています。
平成4年12月17日、84歳で亡くなったとき、最後まで絵物語を書く意欲を持ち続けていた、と報道されました。