山川惣治と絵物語の世界page1614 picture

   

その後の物語2 -その後の恐竜物語-

山川惣治の恐竜の登場する絵物語を読んで、十年もたったでしょうか、カラー映画の時代の恐竜映画の 代表選手は「恐竜100万年」「恐竜グワンジ」のハリーハウゼンでした。

社会人になったころ、ズデネック・ブリアンの図鑑「人類以前」に出会い、高価な書物を買おうかどうしょうかと迷って いましたが、あるとき、精神的ショックをいやすために衝動買いしてしまいました。

「大恐竜時代」アドリアン・デズモンド著(二見書房刊/1976年)という書物に出会い、恐竜温血説の洗礼を受けました。

大阪の海洋堂という模型屋さんに群れ集うモデラーの中から、高級紙粘土で、リアルな恐竜造型を造る荒木一成という 針灸師さんがあらわれ、恐竜模型のルネッサンスがおこりました。シリコン型にポリウレタンを流しこんで、鱗の一枚一枚が わかるような恐竜模型を製作する方法を紹介した本があり、一時熱中しました。恐竜温血説にもとづいて、活発な運動姿態を とる模型が多かった。

英会話の先生が推薦した映画「レッド」を見に行って併映のジャン・ジャック・アノーの「人類創生」(1981年)に感激 しました。

「モンゴル恐竜博」(1985年)、「世界最大の恐竜博」(1994年)など恐竜の化石を展示する博覧会が次々に日本で開催 されました。日本各地で恐竜の化石の発見が相次ぎ、地域おこしのため、あちこちで恐竜の博物館ができました。自分の 地方の県立博物館にも恐竜化石のレプリカが多数展示されるようになりました。

息子に恐竜の図鑑を買い与えたり、図書館で借りてきて読ませたりしたので、彼は一時恐竜に熱中していましたが、やがて さめました。あるとき「少年ケニヤ」を読んでいると、息子が来て、黙って読み、恐竜が沢山登場する下りにくると、 「ジュラ紀の恐竜も白亜紀のもごっちゃにしている」とほうり出しました。(しかし最近は細かい誤りを許す度量がついた のか、読んでいるようです。)

インスタントラ−メンのテレビ・コマーシャルで、精密なコンピュータ・グラフィックスによるものがありました。 マンモスなどの古代動物の出てくるアニメを楽しみに見ていました。

「キング・コング」以来の画期的恐竜映画「ジュラシック・パーク」を見に行ったが、非常にこわかった。恐竜温血説に 基づいたデザインで、みなしっぽを水平にのばして頭部と釣合いを保つ姿勢をとっていました。知能的恐竜の代表として、 足に鈎爪のあるヴェロキラプトルがでてきました。恐竜はコンピューター・グラフィックスで描かれており、この映画以来、 人形のコマ撮りによる恐竜映画は一掃されました。

恐竜に関する啓蒙書が多数出回り、すぐれたイラストも多くみられ、昔、山川惣治が描いたような、恐竜の登場する絵物語 を描くのは、今日では難しくなりました。よほど素晴らしいアイデアと技術がないと書けない状況になりました。

しかし、わたしは大学生時代、病気で寝ていて、外国の子供むけのテレビドラマに感激しました。それは、トリケラトプスの 動かない模型を使って、さも本当の恐竜であるかのように、役者が演技するものでしたが、その遊び心に陶然となりました。 その低予算の番組のことを考えると、ひとを感動させるのは技術だけではなく、感動的な恐竜絵物語を描くのは今日でも 不可能ではないと思います。


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