絵物語を求めて 1950年代の児童文学の挿し絵
こどものころ読んだ創元社・世界少年少女文学全集を図書館で見る機会を得ました。私の地方の
図書館が蔵書のリストをインターネットで検索できるようにしたので、なつかしい本がまだ残っているがわかり、
再会することができました。第41巻ロシア篇の挿し絵はみな古風なペン画でした。アントーノフ「緑の谷」の挿し
絵は明らかに原書のものをそのまま使っているのですが、画家の名は記載されていません。
「緑の谷」を読むと、作品が書かれた当時のソ連が国家事業として、小麦の品種改良を行い、社会主義の理想に
燃えた国民がその恩恵をこうむるという、国家にとっても国民にとっても幸福な時代(?)であったことを感じます。
子供のころはおそらく通読していなかったのでしょうが、今回しまいまで読み直しました。適度のユーモアがあり、
現代のおとなの鑑賞に十分耐える作品と思います。
小麦の収穫によろこぶ少年少女たちは、リアルな描線で書かれています。黒い服はていねいにペンが入れられ、少
し暗い感じがします。登場人物の顔は単純な線だけで書かれ、なるべく陰影をいれないようにしており、明るい感
じを保っています。ハイライトの部分は輪郭線が途切れています。(山川惣治の輪郭線はけっして途切れません。
クロッキーの修行が長かったのでしょうか。)
少女の顔は目と眉、鼻、口が簡単に書き込まれただけです。0.5ミリずれただけで、表情が変わってしまうでしょう。
子供の挿し絵は狭いスペースに絵を入れるために、細かいところまで描写できるよう、ペンを使っているのだと思い
ます。わずかの線で、表情を適確にあらわすには相当な修行がいるし、どの線を残し、どの線をすてるかに、画家
の個性がでます。何度も何度も子供たちの顔を書いて、画家は自分の挿し絵のスタイルを完成させるのでしょう。
その成果は簡潔なペン画の線に凝縮されています。手塚治虫のマンガの単純な線をいつも模写していると、簡単に
手塚風のマンガが書けるのはこのためです。
少女の顔は現実よりも可愛らしさが強調されています。これが極端になるとマンガになるのでしょう。
アントーノフ「緑の谷」は1953年から1954年に書かれています。この時代のソ連だけでなく、世界中の児童文学の
挿し絵画家が同じようなスタイルの絵を書いていたようです。それらをすこしずつ見ていきましょう。